02-05/楽園の巫女 Pt. 2
「ありゃ、行っちゃった」
「どーすんの? このまま追っちゃうと帰りが夜になっちゃうよ?」
「そうね。今日はここまでにしよ?」
「……今日はもう帰ろっか」
「うん」
「じゃあ私は先に帰ってるね」
「……」
「じゃあまた後で」
「うん」
「…………」
「? どうしたのサニー?」
「…………私の能力で姿を消して、ルナの能力を使ったにもかかわらず……なんでわかったんだろ、あの人間……?」
◆
「…………」
飛んでいる。
空を飛んでいる。
俺は確かに今、爽快な青空の下、空を飛んでいる。専ら人の力でだが。しかし事実には変わりない。
先人の魔術師達の悲願を……人間の夢を、空の世界を肌身で体験しているのだ。
「おーおー、風が気持ちいいったらありゃしないぜ。レージもそう思うだろ?」
「………………」
魔理沙が後ろに振り返り、大きな声でそう言っているが、俺の耳には殆ど入っていない。
風で声が掻き消されているのが要因なのだが、それ以外にも原因がもう1つ。
「……高い…………な」
「おう。高ければ高い場所ほど、涼しい風が当たるから心地良いぜ」
絶景なのは違いないが、呼吸が若干苦しいような……。あと心臓の動悸も激しいような……。
ちらっと、遠くの景色を眺めたが、高度計といった計器が無いから今どの位の高さで飛んでいるのか定かではないが、さっきまでいた森の近辺が小さく見えるので、目測するに俺達は随分と高く飛んでいるようだ。
高さを確認すると俺の中では否定しようのない焦燥感が一気に溢れる。それを態度や表情、言葉だけで出さないので今精一杯だ。
落ちないかと不安になる。落とされないかと不安になる。旋回しながら落ちないかと不安になる。上下反転して落ちないかと不安になる。錐揉みしながら落ちないかと不安になる。箒がバラバラに分解して落ちないかと不安になる。
──そんな濁流のように押し寄せる幾多もの不安ばかりが、俺の中で留まる事無く渦巻く。
「…………」
だからこそ、正直に、言おう。俺は、高所恐怖症もとい────飛行機恐怖症だ。
飛行機に乗ってる際は甲高いエンジン音を耳にしながら、着陸するまでの間はずっと目を瞑っている有様。ヘリコプターの場合は尚更それ以上に酷く、景色を見下ろさず、終始遠くを凝視しては早く目的地に着かないかと切迫した思いで祈り続ける。
主にトラウマの原因となったのはヘリコプターの事故だったのだが、今の箒に乗っている状況は飛行機と、ヘリコプターに乗っている状況と被るのだ。
だがこちらの方がエンジン音といったノイズが無く、静かなので全く耳障りではない。……が、やはりというか反面、景色が丸見えなのは俺からしてみれば地獄に他ならず、更に風防無しというおまけが付いているのが更に不安を掻き立てる。
しかし……、しかしだ。眼前に広がる世界は絶景の一言に尽きる……と俺は下を見ずに、遠くを眺めながらそう思う。
外の世界では高層ビルが我とばかりに立ち並び、空はガスで澱み、環境は悪化し、そんな歪んでいく景色に人々は憧憬を抱くことが無くなった。
しかし幻想郷は外とは違い自然が残されており、俺の五感が全てが澄んでいると伝える。
遠くまで見渡せる地平線を遮る物が何も無く、ただあるがままの麗しき世界が目に映り、どこまでも澄み切った、自然な空気が俺の肺を満たす。
人々が忘れてしまった、全ての原点であり回帰すべき、懐かしき、美しき、憧憬し、恋焦がれた、忘れ去れた世界──幻想郷に俺は確かに今、存在しているのだ────。
「……景色が良いなぁ」
……なんていう、現実逃避的な意味合いを含めた思いをどこぞに馳せながら、小声でそっと呟く。
それに視界が滲むようにぼやけてきてるような、徐々に柄を握った手の握力が弛緩していくような感覚が……。
それはどう考えても幻覚でも錯覚でも無い。間違いなく俺の力が抜けていっている証拠。
だが、しかし、ここで、緩みつつある意識を即座に手放した途端、俺は間違いなく箒から落ちて引力に促されるままに自由落下運動で加速し、そのまま地面に叩きつけられて鮮血やら骨やら脳漿やら内臓やら体液を一帯に撒き散らすことになる。原型はある程度は留めてるだろうが、嫌な死に方には変わりない。
ミンチ状の肉塊になる前に落下中、渋っていた飛行魔術を行使して空中で停止飛行すればいいのだが、いかんせん術式を構成する構築式が曖昧ながらにしか覚えてないので、仮に式を完成させてとしても実現可能かどうかは正直微妙だ。
落ちたその時には魔理沙に助けてもらおう。もう高い所が怖い、と告白して笑われたとしても命に比べれば非常に安いもんだ。
「……ん?」
すると今まで頭上でじっとしていた上海が何やらモゾモゾと動きを見せる。
頭上から肩に降りるや、ちょこちょことこぢんまいな動作でシャツを掴みながら胸元まで降りると、相も変わらないつぶらな瞳で俺をじっと見上げてくる。
もしかしたら俺の様子に何かしらの違和感を感じたのか、はたまた単なるポジションチェックか。でなきゃ頭の上から胸元まで降りてくる理由が皆目つかない。
一体、何の為に降りてきたのだろう? ……なんて考えていると、上海は俺の胸を軽く撫で始めた。
「~♪」
その不意打ちにも近い優しい撫で方に、俺は驚くどころか、むしろ何とも言い知れぬ安堵感を得る。
「……」
俺を見上げる上海の瞳が「大丈夫?」と語っている……ような気がした。その手は胸元──心臓──の辺りを優しく撫で、優しくさすりながら。
その目が伝える心配と、淡々と胸をさする行為が何を示唆しているのだろうかと疑問に思い、考えてみるがどうにも把握出来ない。──が、ふと1つの予感がよぎる。
あくまで仮説だ。しかし上海の行動を思い返してみると、それは最早確信に近い。
……気付いてる。間違いなく、上海は察している。
俺が空に、恐怖を抱いていることを……。
「だ、断じて違うぞ? だ、断じて……」
なるべく穏やかに反論しようとしたが、台詞が若干上ずってしまった。
傍からすれば滅茶苦茶怪しいったらありゃしない。図星で指摘され思わず露わにしたのと同然だ。
「……」
それでも上海は何も語らない。俺の姿を見て嘲笑うこともなく、馬鹿にすることもなく、魔理沙に密告することもなく、ただ見上げて胸をさすり続けるだけ。
ただ純粋に、俺の様子が心配になったので不安を払うように、落ち着かせてくれてるのだろう。
上海人形、なんて良い娘なんだろう……。
だったら俺も上海の好意に甘えさせてもらうか……。
「ん……」
箒の柄から右手をそっと離し、ぎこちない動きで上海の頭まで手を運ぶと、そのまま頭を撫でてやる。さらさらとした金紗の髪が手の平の中で綺麗に滑る。
「~♪」
その撫で方が気持ちよかったのか、上海は嬉しそうに身体をよじらせ更にシャツに強くしがみついてきた。
そんな上海の慰めと頭を撫でたことで効果があったのか、俺の意識は徐々に平静そのものを再び保てるようになってきた。
呼吸も規則正しく、心拍数も平穏時そのものの早さ。視界も明瞭としており、麻痺を感じた握力の感覚も戻ってきた。頭の中のさっきまでの不安も完全に小康している。完全に回復した。
後は遠くの景色でも見続けて、下を見なければ最早問題無い。
「ありがとうな、上海」
頭から手をどけ、小さく感謝の言葉を呟くと、上海は「構わない」と言った具合に静かに首を振る。そんな姿に俺は苦笑しながらも、礼を籠めてまた頭を撫でてやると、上海はくすぐったそうに身をよじる。
「見えてきたぜ」
そんな時、今まで沈黙していた魔理沙がおもむろに呟いたその言葉を聞いた俺は、頭を上げて前方を見渡す。すると遠くに小さな建物が見えた。
まだおぼろげにしか見えないが、朱色の鳥居らしき物体とそれに関連するような、和式の建物らしき建築物が小さな山の上の頂に佇んでいた。
「あれがそうなのか?」
「そう、博麗神社。万年参拝客が丸っきり来ず、面倒臭がり屋の巫女がいることで有名な神社だ」
神社なのに誰も来ないって……。それに面倒臭がり屋の巫女って……。
「境内に降りるぞ」
「ああ」
魔理沙の検討に肯定すると、そのまま俺達を乗せた箒は前進し、境内に進入すると建物の上空を超えて、石畳の上へゆっくり下降していく。
そして足が着く高さまで下がると、
「到着、っと」
魔理沙は纏っていた魔力を霧散させ、そのまま彼女と一緒に足並み揃えて石畳の上に足を着ける。
無事に目的地に到着したので内心安堵と、強張った身体を弛緩させて気が抜けたので疲労感が大きい。少し横になって休みたい。
「ほいほい、さっさと降りた」
「ああ」
言われるがまま箒から降りる。
「……と……と……?」
……のだが、あやうく転びそうになった。が、すんでの所で踏ん張ったので間抜けな姿での転倒は未然に防げた。
「どうした?」
「いや、ちょっと足元が……」
何事も無く目的地に到着出来たので本来なら歓喜したいところのだが、平衡感覚が短時間とはいえ、やはりというかどうも狂ってしまっている。ちゃんと立ててはいるのだが、どうも足元が覚束ず、視線が定まらない。
「なに、私も最初は戸惑ったが慣れれば平気になったぜ」
それは長年飛んでれば培うだろう。しかしこちとら生まれて初めて生身で飛んだのだからふらつくのは至極当然。こうやって改めて反芻してみると、本当に空を飛んでたんだなと実感させられる。
嗚呼……、地に足が着くというのはなんて素晴らしいのだろう。
そうして感覚が戻るまでずっと佇んでいると、次第に感覚が回復して支障をきたさない程度には回復したので、ようやく博麗神社に意識を傾けた。
「ここが博麗神社か……」
辺りを見回してみると、神社だというのに俺と魔理沙と上海以外に参拝客はおらずがらんとしており、冷たい風が寂しく吹いている。本当にここに人がすんでいるのかと疑ってしまう。
第一印象としては、閑古鳥が絶賛鳴いてるような場所。理由を述べるなら、誰もいないのがそれを証明しているからだ。
「…………神社だよ……な?」
頭を下げ、到着してもなお胸元にくっ付いている上海に同意を求めると、上海は小さく首肯。魔理沙が言ってた事は冗談ではなかったのか。
「多分母屋か縁側にいるだろうから、探してくる」
と、魔理沙が「レージはここにいてくれ」と言い置くと、そのまま神社社殿に向かって歩き出した。
一瞬追うべきかと躊躇ったが、魔理沙に待て、と言われたのでこのまま境内に残っているのが無難なんだろう。
そして社殿の横に回り込むとそのまま姿を消した。
残されたのは俺と、上海と、冷たい風。
「……どうする?」
俺の胸元から離れ、横に浮かぶ上海に問う。魔理沙が戻ってくるまでの間が退屈極まりない。何せ俺と上海しかいないのだから尚更だろう。
「……!」
すると上海が神社に向かってふよふよと飛んでいく。てっきり魔理沙の後でも追うのだろうかと思ったのだが、どうやら違うらしく、神社の石畳の先の正面に据えられた長方形の箱の前で止まった。
「……何だ?」
石畳に沿って上海の後を追うと、神社の正面に据え置かれたそれはちょうど腰ぐらいの高さの木材で加工された箱。
箱の正面には『奉納』という文字がくっきりと書かれている。
……賽銭箱?
「……」
上海が俺を見上げると、手を振って、何かを投げる動作を見せる。まるでその賽銭箱にお金を入れるような仕草を。察するに、奉納してやれ、と言いたいのだろう。
「賽銭を投げるのは構わないのだが……」
あげたとしても本当にご利益があるのか? と疑問が浮かぶのだが、無論、俺達以外無人の神社にはそれを答えてくれる……俺の疑問に答えてくれる人はいない。
カバンを開けて金が入った袋を取り出すわけだが、幾らにするべきだろうか? 俺としては10銭銀貨でも構わないだろうと考える。
……いや、ここはいっそ縁起担ぎに金貨でも投げ入れてやろうかとも一瞬思ったが、何のご利益があるのかがわからず、そもそも何の神を信仰しているのかわからないので、そこまでの高い硬貨を賽銭箱に奉納していいものやらと躊躇う。
それに碌でもない神を祀っているとしたら、賽銭はしない方がいいかもしれんし……。
「神様……ねぇ」
咄嗟に俺が脳裏に思い描いたのは真っ黒な格好をし、サングラスを掛けた怪しすぎるったらありゃしない露天商人の姿。
ラップを聴いては歌い、ぶらりとクラブに行ってはDJとして飛び入り参加しているとか。それとラップバトルに参加しては優勝をかっさらい、挙句の果てには常に優勝してしまうので運営側からは迷惑がられている事もあり、度々出入り禁止を言い渡されているそうな。
故にその人は出入り禁止を言い渡されていないクラブや地方各地を放浪してはそこでまたしても伝説を残し、その格好から「ラップの黒神」と呼ばれているとか……。
「……神様がラップアーティストって」
酔狂にも程がありすぎる。
だが姿や行動はなんであれ、実際は追われてる立場らしいのだが自覚があるのやらそうでないのやら……。しかしとある人物の師匠と呼べる立場の存在なので、その筋の界隈の人間にはかなり有名な人物には違いない。寧ろ、彼の存在を知らないという人がいないのがおかしい。
何故なら彼は始原の────
「……1円銀貨でいいか」
埋没していた思考を中断し、カバンの中から適当に袋を掴んで中を確認しては、1円銀貨が入った袋を探し出す。
袋を2つ開けたところでようやく目当ての袋を見つけ、その中から銀色の『一圓』と彫られた硬貨を1枚だけ取り出してカバンの中に袋を戻し、そのまま手にした銀貨を賽銭箱の中に投げ入れる。
因みに1円銀貨を選んだ理由は値と単価の円を言い換えると「1つの縁」と語呂が出来、縁起担ぎを籠めてなのだが、それで願い事が叶うのかどうかはわからない。ただ言葉の響きが良いし、俺の願いはこれ1枚分で充分かもしれない。
投げた後、参拝の作法通り則り2回お辞儀して、2回拍手。それらが済むと合わせた手をそのままにして離さず、神殿に願い事を心の中で唱えるわけなのだが何を言えばいいのだろうか? ……と思ったが、無難に「早く元の世界に帰れますように」と祈っておくことにした。
そして合わせた手を離して直立し、
「お願いします」
深くお辞儀。すると、
「お賽銭してくれたの? ならばアナタはとても良い人ね」
なんかお言葉を授かりました。
「うん?」
一瞬天の言葉でも聞いたのかと疑問に首を傾げたのだが、やけに生々しい女性の声だったので気になって頭を上げて視線を巡らせると、1人の少女がこちらに向かって歩いてきた。
先程の言葉は恐らく彼女が掛けたのだろう。
さて格好からすれば恐らくこの神社の関係者の……巫女? 巫女か、あれ? 巫女、なんだよ、なぁ……?
格好が「私、巫女なんです」と言われても真実かなのかどうかにわかに信じ難い。
上着は紅を基調とし、セーラーに付いているような白い襟には映えた黄色いリボン、スカートにも見えるし緋色の袴にも見えるが袖には白いフリルがついているのでスカートに分類され、足は草履かと思いきやこれもまた紅か緋色のローファ。
若干違和感があれど、俺の目の前まで来た少女は間違いなくこの寂れた神社の巫女だろう。
なのに、だ。肩と脇が露出しているのは何故……?
その上腕部の袖が無いが、二の腕には白い袖が別途括りつけている。正直あってもなくてもいいようなものだが、これが眼前の少女のセンスだとしたら指摘せずに何も言わぬが仏だろう。
「……」
なんだ、この中途半端な巫女のような、巫女じゃないような娘は……? ツッコみたいんだが、敢えてしたくないような……。
だが深山の流水の如く流れるような漆黒の髪の後ろを大きな紅いリボンでポニーテールのように結い、その顔のサイドに垂れている髪も後頭部の髪を結んでいるのと同じリボン……かどうかはわからんが……で纏め、すらりとした顔立ちと白磁のようなきめ細やかな白い肌。
そして日本人特有の黒とも茶ともつかない瞳の色とこれらを併せて見ると、まるで絵に描いたような大和撫子そのものの体現。
これほどまでに紅と白のバランスが整えられて、外の世界でもこうも可憐な容姿の少女がいただろうか? ──否、目の前の少女の容姿とその風貌が巫女という神職に就いて殊更際立たせているとするのなら、至極納得出来る。
……上腕部の袖があればだが。
「霊夢、ソイツがさっき話した例の男だぜ」
と、目の前の少女の後ろからゆっくりと魔理沙が歩いてきた。先程の魔理沙の行動はどうやら俺の目の前の少女を呼びに行ったみたいだ。
「みたいね。しかし随分と風変わりな外来人だこと」
「外来人?」
はて、初めて聞く言葉だな? アリスや森近、魔理沙は何も言わなかったが。
「ん? ああ、外来人てのはアナタのように外から幻想郷に迷い込んできた人の呼称よ」
「はぁ……」
てっきり大昔の日本に渡ってきた、中国大陸や朝鮮半島の人かと思った。
「……」
それは渡来人だろうが俺。
「魔理沙からはまだ紹介されてはいないだろうかな名乗っておくわ。私は霊夢、博麗霊夢よ」
「荻成怜治だ」
目の前の少女──博麗霊夢──が唐突に名乗ってきたので俺も反射的に名乗ると、博麗は「ふーん」と呟く。
「まあこれも何かの縁だから仲良くしたいところだけど、どうやら訳があるそうね?」
「ちょっとな」
俺の言葉にふむ、と博麗は腕を組むと俺を見上げる。どうやら俺が如何なる存在かを確認し、観察をしているのだろう。
「ふむふむ……成る程…………」
それも束の間、ある程度俺という人物像を掴めたのか、博麗は腕を解くと踵を返して歩き出す。
その行動に俺は多少訝しんだが、
「何はともあれ、詳しい話は座敷に上がってからにしましょ。丁度良い頃合に茶を淹れてたから続きはそこで」
と言って再び前へと歩き出す。
一方、そんな風に博麗に茶を促されたので、
「……どうする?」
「レージも茶飲みたいだろ? なら行くしかないんじゃないか?」
「…………だな」
と俺は魔理沙に相談して頷くと、博麗に追随してお茶をご馳走させて貰うことにした。