02-04/楽園の巫女 Pt. 1
魔理沙に促されるがままに手を引かれ、香霖堂の外に出た。
薄暗い場所から晴れやかな屋外に出た途端、俺は一気に空気を吸い込み、そして吐き出す。香霖堂の中の空気が淀んでいた所為もあってか、空気が凄く美味しく感じた。
「お、どうした?」
傍目からすれば大きな嘆息のように見えたのだろう、魔理沙が俺の呼吸に反応して振り返り、怪訝に訊ねてきた。
それに俺は「深呼吸をしただけだ」と頭を振って答える。対して魔理沙は「ああ、店の中が澱んでるからな」と納得した。
「大方、店内の空気が悪いもんだから、体内のと入れ替えてたんだろ?」
と訊ねてきたので、俺は「まあな」と苦笑しながら首肯する。
「あそこまで空気が悪いのは些か居心地悪いな」
「だろ? 私も要らないガラクタなんてさっさと捨てて、空気の循環率を上げろとは提言したものの、香霖ったら全く片付けやしないんだ」
まあ本心はその要らないガラクタを私が貰いたいだけなんだがね、と嘯く。その言葉が少し気になったので思わず訊ねてみる。
「魔理沙は物を集めるのが好きなのか?」
「ああ、私は魔法使いだからな。気になる物はとことん集める意趣だ。それが如何なる人の所有物でもな」
いや、それは流石に駄目だろ。明らかに覆しようの無い窃盗行為だ。
だが魔術や魔法に精通している輩の殆どは叡智に貪欲だ。追求しても物足りず、満足することすら無い。飽きるという言葉をいざ知らず、手に入るものはどんな手を使ってでも己の手中に収める。
奇蹟の体現に対する固執、或いは目標に至るに必定な行為だとしたら、魔理沙の言葉は魔法使いにとっては純心から溢れる、本心からの言葉なのだろう。
「にしても……」
と言葉を紡ぎ、魔理沙は俺の頭上を見上げる。彼女が見ているのは恐らく俺の頭の上にいる上海だろう。それにしたって上海よ、何故また俺の頭の上にいるのだ……?
「上海がそこまで懐いてるなんて珍しいんじゃないか? よ、元気か上海」
森近と同じ事を言うと魔理沙は、手を上げて俺の頭上の上海に挨拶する。
「店主も同じ事を言っていたが、そんなに珍しいのか?」
「そりゃあな。アリスが預けたのならともかく、上海がここまでレージに心を許している事自体が凄いもんだ」
ははは、笑う魔理沙。だが思わぬ人物の名前が言葉から出てきたので、俺は首を傾げる。
「アリスを知ってるのか?」
訊ねると、魔理沙は「おう」と頷く。
「知ってるもなにも、同じ魔法の森の住人だぜ」
「……世間は狭いとはこのことか」
案外幻想郷とは意外と狭い場所かもしれん。だとしたら幻想郷の住人の殆どが顔見知りということになる。
遠く離れていても近所の隣同士のように親しく、且つ深く干渉し過ぎず、時には敬い、時には畏怖する、着かず離れずの仲──幻想郷の住人達の仲は恐らくそんな具合か。
「そいやレージはいつ頃に幻想郷に来たんだ?」
「昨日だ。正確には一昨日の夜に拾われた」
「拾われたって……、アリスにか?」
「そうだが……」
ふーんと魔理沙は俺に向き直り、頭の上からつま先までしげしげと見つめる。その目は観察するようで、そして探るような目付き。
しかし温和な魔理沙の瞳には冷たさはなく、視線の先の対象物である俺は彼女に印象を探られているだけに違いない。
俺が会ってきた人物の殆どが外見から挙句の果てに心の中まで探り、詮索し尽くすと開口一番その傷や爪痕を抉る様な奴が専らなので、魔理沙のようにただの“観察する”だけの視線ならばそれと比較すると気楽で、全然気にならない。
だがそれでも人に見られるというのは少し不快な気分だ。……いや、そもそもこんなあどけなさの残る魔法少女に観察されること自体初めての経験だが。
「……? どうした?」
「いや、よくもまあこんな無精丸出しの男をアリスが拾ったもんだな、と思って」
……反論も出来ない正論。風呂も入らず髪を伸ばしたままぼさぼさで、ヒゲもほったからしで剃っておらず、若干猫背気味。
そんな小汚い浮浪者さながらの男を介抱したアリスも、中々肝が据わっているというのか、何と言うべきなのやら……。
「それだというのに、あまつさえ上海と仲良しだというのが更に不思議だ」
「そうか……?」
「そうだぜ」
さて、と魔理沙は踵を返し、ガラクタを避けながら前に歩き出す。
「一先ず湖まで少し歩いてから神社に向かうとするか。ここだとガラクタで邪魔になるし」
そう言って彼女は先に進む。それに少し遅れて俺はその後を追う。
「? む……?」
──のだが、なにかを感じて数歩歩いて立ち止まる。そして香霖堂の横のガラクタの間に生えている木に視線を巡らす。
そこには道路の標識や、居酒屋でよく見かける動物の置物、風雨に晒されて色褪せたコンクリートブロックが置いてあるだけだった。
それ以外に何も存在しない。
それ以外に気配もない。
それ以外に誰も、いない。
「どーしたレージ?」
「……いや……何でもない」
俺の動きを怪訝に思ったのか、前方の少し先で魔理沙が俺を呼ぶ。答えながら俺は疑問に首を捻る。
ほんの僅かな一瞬だったのだが、何者かの気配を感じたような気がした。だがその気配は俺が立ち止まるのと同時に、一瞬にして霧散した。
……監視されているのだろうか? それも気配を殺してまで。
だが俺は幻想郷で敵を作った覚えなんてものは皆無だ。だとしたら俺を食糧として狙っている妖怪だろうか? それならば納得できるのだが、早合点過ぎるその結論にはどうにも懐疑的になってしまう。
理由として挙げるなら……それは何と言えばいいのだろう? そう…………籠められた視線には殺意は微塵たりとも感じなかったのだ。
ということはつまり、視線の主は俺を取って喰うつもりは無いみたいだ。
「1つ? ……いやあれは3つか?」
人数を特定しようとしたが、如何せん気配がもう無いため勘を頼りに推測するしかない。単身ではなかったのは間違いないのだが……。
しかし何故俺を窺っていたのだろうか?
「──おーい、何してんだよ」
ふと顔を上げると、先に向かった場所で魔理沙が俺を呼んで待っていた。どうやら俺は長考に耽っていた様だ。その証拠に魔理沙がいる場所と俺が佇んでいる場所との距離が漠然と開いている。
解決の目処も無い思考を中断して、遅れながら魔理沙の傍まで来た。その時にはガラクタが転がっていない、ただの平地になっていたので追いつくのはあっという間だった。
「悪いな」
「全くだ。それで一体全体、どうしたってんだ?」
俺が遅れて来た理由を尋ねる。
「何者かに見られてた」
「見られてた?」
「どうにも複数なんだが、心当たりあるか?」
問いに魔理沙はうーん、と唸って腕を組む。だがすぐに腕組みを解いて俺に答える。
「多分、妖精じゃないか?」
「妖精……ねぇ」
『妖精』という、どうにもしっくりとこない解答に俺は魔理沙が答えた存在を反芻するかのように呟くと、魔理沙は「ああ」と頷く。
「多分あの3人組だと思うから、無視しても構わないぜ。ただ悪戯の相手にされないようにな」
「はぁ……?」
心当たりがあるのだろうか、人数を挙げると魔理沙は俺に忠告をする。
「ともかく神社に向かうとするか。もうお茶と菓子を食べる頃合だから座敷に居るだろうよ」
そう言うと魔理沙は手にしていた箒を跨る。
「……」
何故? と、魔理沙のその行動に俺は黙るしかなかった。
「おい、何してるんだ? 早く乗れって」
「……え?」
乗るのか? 跨れって言うのか? どうにも嫌な予感がよぎるのだが……。
「……」
……もしや──、
◆
「じゃあ行くぜ! ──進め魔理沙号ッ! 目指すは博麗神社! 魔法出力全開だぜッ! ブゥゥゥゥゥンンンンンッッ!!」
◆
……と高揚とした声で叫んで、2人して箒に跨ったまま走って件の神社まで向かうのか? 電車ごっこみたいに?
その際、「レージ、お前もやれ!」と言われたら俺もやらねばならんのか?
「……」
その光景を想像してみる。したくはないが想像してみる。
◆
「ほらほらレージ、お前もやれって。でなきゃいつまでも発進できないぜ」
「……」
「そうか、恥ずかしくて1人じゃ言えないのか。なら私の後に続けばいい。
──進め魔理沙号ッ! 目指すは博麗神社! 魔法出力全開だぜッ! ブゥゥゥゥゥンンンンンッッ!!」
「……ッ! …………い……行くぜ怜治号ッ! アルコール燃焼率百パーセント! イィィィィヤッッホォォォォォォォ──ッ!!」
──こうして俺達は箒に跨ったまま叫んだり、唸ったりしながら博麗神社に向かったのだった。
◆
「……………………」
どう考えても痛過ぎるし間抜けすぎるしクレイジー過ぎる。特に俺が魔理沙の箒の後ろに乗って、その真似を一緒にした時を見られた暁には確実に哀れられる。
それにしても想像の中の俺、最初は躊躇ったがもう最後が自棄になって叫んでいるな……。
終日店の中にいる森近や喋らない上海ならともかく、魔理沙が言った先程の妖精達と、アリスに見られた日には可哀相な人間として見られることは必須。
きっとその光景を見たアリスは、冷淡な表情で俺を睥睨するや、
「見た目は超がつく程の駄目人間、けど頭脳は子どものままだなんて、とても陽気が良い人ね。けど私にはうつさないでよね? 頭の中が幸せな駄目人間レイジさん?」
と言われた挙句、上海に、
「いい? 頭の中が幸せな駄目人間で有名なレイっていう人に近付くとおかしな陽気に毒されちゃうから上海も気をつけなさい。でないとアナタも『上海号! 発進!』て言って恥を晒す羽目になるわよ?」
……なんて忠告もするだろう。そしてその忠告通りに従った上海もとい、人形に常日頃から気を遣われ余所余所しくされる……。
そうなると俺は頭の中が幸せな、完全に駄目な人間として認識されて、人々の記憶の中に長らく刷り込まれるだろう。いや、そんなことをされなくても、そもそも俺は駄目な人間ではあるのだが。
というかここで見られても俺は神社に行ってそのまま元の世界に帰る訳なのだから、問題は皆無の筈。
……いや待て。俺が外に帰っても、その噂や話は幻想郷に残る事になる。結局帰っても恥ずかしい部分が置いてけぼりにされ、そして俺が知らない間にその出来事は幻想郷の住人の笑い話にされる可能性は否めない。
生き恥とは正にこのことか……。どんな試練なんだ、それ……。
「むむ……」
そうか、仮に帰れなかったとしても目撃者を口封じすれば……いや危険すぎる。ならば頭の中が幸せな駄目人間を回避するに最善策は俺だけ歩き、魔理沙が1人で走ればいいのだ。
だったら痛過ぎる間抜けすぎるクレイジー過ぎる役者は俺ではなく、魔理沙だけになる。彼女なら青春謳歌の真っ只中の少女だろうから、その行動は他者の視点からすれば何も問題ない……筈。
「……何固まってんだよ」
「え、あ? いや、そのだな……」
俺の挙動に不審感を募らせた魔理沙が声を掛ける。
それに躊躇いながらも俺は答えるが、どうにも口ごもってしまう。愚行をどう防ごうかと考え、魔理沙を犠牲にしようという、邪な企みをしていたとは流石に言えない……。
「早く乗れよ~レージ。でないと飛べないだろ~」
魔理沙が地団駄を踏みながら俺を呼ぶ。だが一瞬、気になる言葉を魔理沙から聞いたので思わず聞き返した。
「飛ぶ?」
「ああ」
「飛ぶって、空をか?」
「それ以外に何が?」
何を言ってるんだお前は? とでも言いたげな表情をする魔理沙。
「そ、そうか……空を飛んでいくのか……て、魔理沙、お前は空を飛べるのか?」
「そうだけど?」
「……」
内心驚愕を隠せない。
元来人間は空を飛べない。最大の理由として翼や翅が無いからだ。しかし俺は人間が飛行する手段が幾つか存在しているのを知っている。
まず一般的に挙げられるのは航空機における飛行。これは違和感無いのだが、あくまで科学や技術を用いての飛行なので、自力での飛行とは違うかもしれない。
またパラシュートやグライダー等の上昇気流を利用した飛行も空での行動範囲も限定されるので、これも若干異なる。
後は魔術に通じている者達によって研究されてきた飛行魔術。
人はいつの時代になっても空を飛べないかと模索しては探究し、その間に何度も試行錯誤を繰り返すことでようやく空を飛ぶ魔術を生み出した。それが飛行魔術だ。
主な例としては魔力を凝縮させて爆発させて飛ぶ方法、重力操作の術式を構築して浮遊感を得る方法、精霊の力を借りて浮力を得る干渉魔術という方法などなど……、飛行魔術には沢山の種類があるのだが、いかんせんそれを実行する人が殆どいない。
理由として挙げるとするならば、空中だと体勢を維持するにも魔力とエネルギーを消耗するし、術を行使するにも手間が掛かるという単純な理由。
更に空中で旋回、停止している状態での急加速は重力が直に掛かるので、身体への負担が凄まじい。
その為に飛行魔術を行使して風や重力を緩和、或いは無力化遮断する結界魔術があるのだが、それだと如何せん効率が悪いとの話だ。
これらは空を飛ぶ魔術と風防の効果がある魔術の2つを行使する訳であり、余計に魔力を消費してしまうというデメリットが挙げられるからである。
故に飛行魔術はまだ発展途上の段階で、『定義』は完成しているが、『完璧』には完成されてはいない。
それに外の世界では空を飛んでるとレーダーに未確認飛行物体と感知されて戦闘機が飛んでくるという、世知辛い世界なのだ。以前フライング・ヒューマノイドと勘違いされた先人達がいるそうだが、定かかどうかはわからない。
そんな諸々の世間的な問題もあるので、現代に於いての飛行魔術の研究はほぼ停滞しているようなものだ。
だが幻想郷には魔力の源であるマナが潤沢だ。だとしたらマナを代謝に変換することにより、飛行魔術での飛行は不可能ではないかもしれない。原理は違うかもしれないが、その証拠に上海は飛んでいた。
そうすれば魔術師もどきの俺も魔術を行使すれば飛べなくはないのだが……、どうしても結論が無理という結果に辿り着いてしまう。
俺が学んでいるのは基本的な魔術だけであり、最低限の学しかないようなものだ。
それにはれっきとした魔力を使えない理由があり、いざという時以外での行使をしてはいけないとのお達しも受けている。
反論しようにも覆しようにも覆せない理由と原因があるので、俺は素直に受け取るしかない。その原因は他ならぬ俺自身にある。
1つはちょっとした心的外傷──トラウマ──が今でも俺の深層心理の中に根を張っていること。
そしてもう1つは……
「まーた長考か。いい加減にしてくれよレージ? いつまでもその調子だと夜になっちまうぞ」
魔理沙の呆れた声を投げ掛けられ、俺ははっとしてすぐさま思考を打ち切った。
俯いていた顔を上げると、魔理沙が箒から降り、眉を顰めて俺に呆れたような視線を送っていた。
「すまない」
「全く、やれやれだぜ」
頭を振ると魔理沙は俺の考えていたことには興味を示さず、詮索すること無く「今度こそ行くぞ。乗らなきゃもう置いてく」と言うと、また箒に跨る。どうやら待たせてはくれないみたいだ。
今度こそ俺も魔理沙の後ろまで来ると、箒におずおずと跨った。
跨ると、魔理沙の髪から漂う淡い石鹸の匂いが鼻腔を心地良くくすぐった。言葉はがさつな男のものだが、やはり身なりを清潔にしているのは女の子なんだなと再認識。
今のところ叫ぶとかはないので、やはり想像してたのは杞憂だったみたいだ。
「……あ」
とその矢先、ここで些細ながらも問題が俺の中で生じる。
空を飛ぶからには身体を固定しなければならない訳であり、かといって魔理沙の箒にはベルトなんてものは存在しない。
なので身体を固定する方法は掴まるしかないのだ。──主に魔理沙にしがみつくという手段で。
掴まるのは大体脇の下、お腹辺りに手を回すことだが、あまつさえ女性である魔理沙の身体に掴っていて、事故が起こらないという保障は存在しない。
脇の下なんてものは以ての外なのは至極当然であり、実行したらデリカシーに欠けている上、変態というレッテルを貼られるのは必須。
逆にお腹に手を回しても結局は身体を密着せねばならない訳であり、事故が起きる可能性は然程変わりがない。
なのでこの場合、俺は箒の柄を握って身体を固定する。こうすれば最低限以上の密着はない……筈。
「掴まったか?」
「ああ」
ようやく空を飛べる段階に。因みに上海は未だに俺の頭の上にいる。飛ばされたりしないのだろうか? そうならないことを内心祈る。
「じゃあ行くぜ」
いざ飛ばんと魔理沙が身を少し屈めた時、俺はある出来事を思い出し、すかさず魔理沙にちょっとした注文を付け足す。
「これは俺の頼みなんだが、……ゆっくり飛んでくれ」
「へ? ああ、わかった」
不思議そうな声を出したが、魔理沙は受け入れ、追及してなかった。俺としてもそれは有り難かった。
追及されると誤魔化しようが無いので、バレるとそれをネタに遊ばれそうな気がしたからだ。主に空で。
「よし、飛ぶぞ」
気を取り直して魔理沙が呟いた途端────浮遊感。
最初は踵が浮いて爪先だけが地につく程度だったが、直ぐに足が地から離れた感触。
そして地面の名残を惜しむ暇もなく、俺達を乗せた箒は徐々に高さを増し、
気付いた時には、俺達は空の人となっていた。
「────」
浮遊、上昇からはあっという間の出来事だったので俺は固唾を飲み込む。
「では神社に向かうぜ」
一定の高度で停止していたが、魔理沙の声に呼応するかのように、箒は推力に押されるように前へと進みだした。
動き出した時は非常に緩やかだったが、次第に加速して、風を切り、風に当たりながらようやく、俺達は博麗神社へと飛び出した──。