【第6話】小さなバズ
翌日。
朝九時。
営業部。
鈴木柚留は自分の席でコーヒーを飲んでいた。
いつもの朝。
いつもの空気。
誰も彼を見ない。
営業最下位。
窓際社員。
それが柚留の立ち位置だった。
だが今日は違った。
スマホが震える。
柚留は画面を見る。
LINE。
ビューティーさくら。
店主からのメッセージだった。
「鈴木さん、今日すごいことになってる」
柚留は返信した。
「どうしました?」
すぐに返事が来る。
「朝からお客さんが来てるの」
「あのクリーム」
柚留は思わず立ち上がった。
その瞬間。
ナポレオンの声が響く。
『落ち着け』
柚留は小声で言う。
「でも……」
ナポレオンは続けた。
『戦場では感情を捨てろ』
『状況を見ろ』
柚留はスマホを見つめた。
店主から写真が送られてきた。
商店街の小さな店。
ビューティーさくら。
その店の前に―
人が並んでいた。
三人。
いや
五人。
柚留は息を止めた。
「……え?」
ナポレオンが言う。
『ほう』
柚留は写真を拡大した。
店の窓。
そこに貼られている。
柚留が作った
手書きPOP。
「利益率が高いので
店主が売りたいクリーム」
柚留は呟いた。
「まさか……」
ナポレオンが言う。
『人は嘘を嫌う』
『だが』
『正直な嘘は好きだ』
柚留は聞き返す。
「正直な嘘?」
ナポレオンは笑った。
『店主は本当に売りたい』
『だから客は信じる』
そのとき。
営業部がざわついた。
誰かが言った。
「おい」
「これ見ろ」
柚留は顔を上げる。
営業の一人がスマホを見せていた。
「これSNSだ」
別の社員が言う。
「商店街の化粧品店で
正直すぎるPOPが話題らしい」
柚留の心臓が跳ねた。
画面を覗く。
そこには投稿があった。
「この店のPOP正直すぎて笑う」
写真。
そこに写っているのは。
柚留のPOP。
投稿にはコメントがついていた。
「正直で好き」
「逆に信用できる」
「こういう店いいな」
「このクリーム買ってみた」
いいねの数。
1,200
柚留は固まった。
「え……」
ナポレオンが静かに言う。
『噂は兵士だ』
柚留は聞く。
「兵士?」
『一人の兵士は弱い』
『だが』
『千人になれば軍隊になる』
柚留はスマホを見る。
いいねの数が増えている。
1,500
1,800
営業部の誰かが言った。
「これどこの店?」
「商店街らしい」
「クリーム売り切れだって」
柚留の手が震える。
ナポレオンが言う。
『鈴木柚留』
「はい」
『戦争が始まった』
柚留は息を吸った。
営業部のざわめき。
誰もまだ知らない。
このバズの
仕掛け人が―
柚留だということを。
ナポレオンが言った。
『覚えておけ』
柚留は聞く。
「何を?」
ナポレオンの声は低かった。
『戦争で最も強い武器は』
『大砲ではない』
『噂だ』
柚留はスマホを握りしめた。
SNSのいいねは―
3,000を超えていた。
そして。
そのとき。
営業部長の声が響いた。
「鈴木」
柚留は振り向く。
部長が立っていた。
険しい顔。
「ちょっと来い」
営業部が静まり返る。
柚留は立ち上がった。
ナポレオンが言う。
『面白くなってきた』
柚留は小さく笑った。
「ですね」
彼は歩き出した。
まだ誰も知らない。
この小さなバズが。
やがて―
業界を揺らす戦争の始まりになることを。




