【第4話】皇帝と黒い魔法の水
会社の休憩室。
昼休み。
柚留は紙コップを持って立っていた。
目の前には会社のコーヒーマシン。
ボタンを押す。
ゴゴゴゴ……
黒い液体がカップに落ちていく。
その瞬間―
頭の中で声が響いた。
『なんだそれは』
柚留は小声で答える。
「コーヒーです」
『コーヒー?』
ナポレオンの声が少し興味深そうになる。
『それは酒か?』
「違います」
「眠気覚ましです」
ナポレオンは少し沈黙した。
そして言う。
『余も飲む』
柚留は困った。
「いや……体は俺なんで」
『構わん』
『味を感じるのは同じだ』
柚留はコップを口に運ぶ。
一口。
苦い。
すると
ナポレオンが言った。
少し感動したように。
『これは……』
『うまい』
柚留は思わず笑った。
「皇帝が会社のコーヒーに感動してる」
ナポレオンは気にせず言う。
『この黒い水』
『兵士に配れば戦闘力が上がる』
「会社で言うと?」
『営業力が上がる』
柚留は小さく笑った。
すると―
ナポレオンが突然言った。
『鈴木柚留』
「はい?」
『昨日の戦い』
『良かった』
柚留は少し驚いた。
ナポレオンが人を褒めるとは思わなかった。
『敵の話を聞いた』
『それは正しい』
柚留はコーヒーを飲みながら言う。
「営業って結局」
「話聞く仕事なんですよ」
ナポレオンは即答する。
『違う』
柚留は眉をひそめた。
「違う?」
ナポレオンは言う。
『営業とは』
『戦場を作る仕事だ』
柚留は黙った。
ナポレオンは続ける。
『お前は昨日』
『新しい戦場を作った』
柚留の胸が少し熱くなる。
そのとき―
営業部長の田所が休憩室に入ってきた。
柚留を見る。
鼻で笑った。
「鈴木」
「営業行ってるのか?」
柚留は答える。
「はい」
田所は肩をすくめた。
「どうせ売れないだろ」
柚留は何も言わない。
だが―
頭の中で、ナポレオンが言う。
『覚えておけ』
『戦争で一番愚かな男は』
『敵を見下す男だ』
柚留は静かにコーヒーを飲んだ。
田所は言う。
「うちの商品なんて」
「誰も買わないよ」
そのとき―
柚留のスマホが震えた。
画面を見る。
昨日の店。
ビューティーさくら
柚留の心臓が跳ねる。
電話に出る。
「はい、鈴木です」
店主の声。
少し慌てている。
「鈴木さん!」
「大変よ!」
柚留の心臓が止まりそうになる。
「な、何か問題ですか?」
すると店主は言った。
「昨日置いたクリーム」
柚留は固まる。
店主が続けた。
「もう半分売れたわ」
柚留の手が震えた。
「……え?」
休憩室の時計が静かに動いている。
田所はまだそこにいる。
柚留はゆっくり答えた。
「本当ですか?」
店主は言う。
「今日中に追加お願いできる?」
電話が切れる。
柚留はしばらく動けなかった。
ナポレオンが静かに言う。
『言っただろう』
柚留は小さく笑った。
「はい」
ナポレオンは言う。
『戦争は』
『始まったばかりだ』
柚留は立ち上がった。
田所が言う。
「どうした?」
柚留は答える。
「営業です」
そして―
カバンを掴んだ。
ナポレオンが言う。
『急げ』
『電撃戦だ』
柚留は走り出した。
会社の廊下を。
心臓が鳴っている。
頭の中で―
ナポレオンが静かに言った。
『歴史は』
『最初の勝利から始まる』
その日―
花咲化粧品の売れないクリームは、
小さな店で静かに売れ始めていた。
まだ誰も知らない。
それが―
やがて―
化粧品業界を揺るがす戦争の火種になることを。




