【第25話】売り場は戦場だ
夕方。
柚留は車を走らせていた。
助手席には段ボール。
花咲化粧品のロゴが入った箱が、いくつも積まれている。
(本当にやるのか、俺)
バックミラーに映る自分の顔は、少し引きつっていた。
ナポレオンが言う。
『遅い』
柚留は思わず言い返す。
(いや安全運転です)
『戦場で最も価値があるのは何だ』
柚留は答える。
「……スピード」
『違う』
ナポレオンは言う。
『決断だ』
柚留は苦笑した。
(またそれか)
だが——
アクセルを少し踏み込む。
目的地は一つ。
コスメプラザ吉祥寺店。
店の前には、人だかりができていた。
「まだ入らないの?」
「SNSで見たんだけど」
「売り切れって本当?」
ざわめき。
熱気。
柚留は息をのむ。
(これ……全部、うちの商品目当て?)
そのとき。
店の奥から一人の女性が出てきた。
店長の相沢葵。
「鈴木さん!」
駆け寄ってくる。
「本当に持ってきたんですね!」
柚留は笑った。
「約束しましたから」
段ボールを持ち上げる。
重い。
だが——
不思議と足は軽い。
ナポレオンが言う。
『いい光景だ』
『需要が見える』
柚留は店内に入った。
視線が一斉に集まる。
(やばい……)
(めちゃくちゃ見られてる)
葵が言う。
「すぐ売り場作ります!」
「手伝ってください!」
柚留はうなずく。
「はい!」
段ボールを開ける。
商品を並べる。
ポップはない。
演出もない。
だが——
葵が声を張った。
「入荷しました!」
その瞬間。
空気が変わった。
「え!?今!?」
「買えるの!?」
「それそれ!」
人が動く。
一気に。
手が伸びる。
商品が消える。
一つ。
また一つ。
さらに——
「これSNSで見たやつだ!」
「やっと買えた!」
「友達の分も!」
柚留は立ち尽くした。
(……早い)
(早すぎる)
ナポレオンが低く笑う。
『これが戦場だ』
柚留の喉が鳴る。
商品が減っていく。
棚が、目の前で軽くなっていく。
葵が振り返る。
「鈴木さん!」
目が輝いていた。
「売れてます!」
柚留は答える。
「……はい」
だが——
それだけじゃない。
これは売れている、じゃない。
奪い合いだ。
ナポレオンが言う。
『いいか』
『戦争とは』
『需要の奪い合いだ』
柚留は息を吐く。
(これが……)
(俺の戦場か)
そのとき。
一人の客が言った。
「これ、また入りますよね?」
柚留は一瞬迷う。
だが——
答えた。
「入れます」
ナポレオンが笑う。
『いい』
『約束は戦略になる』
葵が小さく笑った。
「約束、守ってくださいね」
柚留はうなずく。
「はい」
そのときだった。
店員が叫ぶ。
「在庫、残りわずかです!」
柚留は棚を見る。
もう——
ほとんどない。
数分前まで山のようにあった商品が
消えていた。
ナポレオンが静かに言う。
『覚えておけ』
『戦場で勝つとは』
『この瞬間を作ることだ』
柚留はその光景を焼き付けた。
客の熱。
売り場の熱。
そして——
“売れる瞬間”。
葵が言う。
「鈴木さん」
柚留は振り向く。
「これ、始まりですね」
柚留は答えた。
「はい」
ナポレオンが言う。
『当然だ』
柚留は心の中でつぶやいた。
(ここからだ)
店の外は、まだざわついている。
そして——
帝国はまだ動いている。




