【第2話】営業とは戦争である
「……夢じゃないよな」
自分の部屋。
夜。
柚留はベッドの上で頭を抱えていた。
祖父の家から持って帰ってきた金色のボタンが机の上にある。
あれから数時間。
頭の中に、まだ声がいる。
『静かだな』
柚留はびくっとした。
「うわっ!」
『騒ぐな』
『余は逃げん』
低く威厳のある声。
フランス皇帝。
ナポレオン・ボナパルト。
柚留は深くため息をついた。
「……本当にナポレオンなんですか?」
『そうだ』
「なんで俺なんですか」
少し沈黙してから、ナポレオンが言った。
『お前の血だ』
「血?」
『余の血が流れている』
柚留は固まった。
「は?」
『お前の祖父の家系』
『余の子孫だ』
「いやいやいや」
「そんなわけ……」
ナポレオンは笑った。
『だから余は目覚めた』
『凡人に憑依するほど余は暇ではない』
柚留は頭を抱えた。
「いや、俺凡人なんですけど……」
するとナポレオンが言った。
『記憶を見た』
『営業成績最下位』
『上司に怯える』
『情けない』
「ぐっ……」
図星だった。
ナポレオンは続ける。
『だが』
『戦争は嫌いではないようだな』
柚留は眉をひそめた。
「戦争?」
『営業だ』
『営業とは戦争である』
柚留は苦笑した。
「いや、化粧品売るだけですよ」
『愚かだな』
ナポレオンの声が低くなる。
『売るとは何だ』
柚留は黙った。
『市場を奪うことだ』
『敵から顧客を奪う』
『領土を広げる』
『それは戦争だ』
柚留は思わず言った。
「でもうちの会社、小さいんですよ」
「大手には勝てません」
ナポレオンは一瞬黙った。
そして言った。
『余が誰だと思っている』
柚留は答える。
「……ナポレオン」
『そうだ』
『ヨーロッパを制した男だ』
柚留の胸が少しだけ高鳴った。
ナポレオンは続ける。
『弱い軍で勝つ方法を』
『余は知っている』
柚留はゆっくり聞いた。
「どうやって?」
ナポレオンは言った。
静かに。
だが、確信を持って。
『戦略だ』
翌朝。
営業部。
柚留は自分のデスクに座っていた。
今日の訪問先は三件。
どれも小さなドラッグストアだ。
正直、期待はしていない。
そのとき
ナポレオンが言った。
『資料を見せろ』
「え?」
『売れない商品の資料だ』
柚留はカバンから商品カタログを出した。
花咲化粧品の主力商品。
だが…
全く売れていない。
ナポレオンが言う。
『これは売れん』
柚留は肩を落とす。
「ですよね……」
『理由は三つある』
柚留は顔を上げた。
「三つ?」
『第一』
『誰のための商品か分からん』
『第二』
『他社との違いがない』
『第三』
『売り方が愚かだ』
柚留は驚いた。
全部、社内でも言われていることだった。
「じゃあ……どうすれば」
ナポレオンは即答した。
『戦場を変えろ』
「戦場?」
『ドラッグストアは戦場ではない』
柚留は首を傾げた。
「え?」
ナポレオンが言う。
『敵の強い場所で戦うな』
『弱い場所を突け』
柚留は考えた。
弱い場所。
弱い場所……
そして―
思い出した。
一軒の店。
小さな個人店。
化粧品専門店。
大手はほとんど相手にしていない。
柚留は立ち上がった。
「……そこだ」
ナポレオンが笑った。
『そうだ』
『最初の戦場だ』
柚留はカバンを掴んだ。
心臓が少し速くなる。
ナポレオンが言う。
『行くぞ』
『戦争だ』
この日―
鈴木柚留は、人生で初めて営業にワクワクしていた。
そして、まだ誰も知らない。
この小さな営業が―
やがて―
化粧品業界の戦争の始まりになることを。




