【第14話】エース営業という壁
花咲化粧品 本社。
月曜日。
営業部の空気は、どこか落ち着かなかった。
社員たちがスマホを見ている。
「まだトレンド入ってるぞ」
「吉祥寺クリーム」
「投稿数二万超えてる」
「マジかよ」
一人が言った。
「これ、うちの商品だよな?」
別の社員が答える。
「そうだよ」
「しかも営業は――」
その瞬間。
営業部のドアが開いた。
フロアが一瞬静かになる。
入ってきた男は背が高かった。
スーツの着こなしも完璧。
落ち着いた歩き方。
社員の一人が小さくつぶやく。
「黒田さんだ…」
男の名前は
黒田 隼人。
花咲化粧品。
営業成績。
五年連続トップ。
大手チェーン担当。
社内でも別格の存在だった。
営業部長が声をかける。
「黒田」
黒田は軽く会釈する。
「おはようございます」
部長はスマホを差し出した。
「これを見ろ」
黒田は画面を見る。
SNS。
吉祥寺クリーム。
動画。
レビュー。
投稿数。
数秒。
黒田は小さく笑った。
「面白いですね」
部長が言う。
「鈴木の案件だ」
黒田の眉が少し動いた。
「鈴木?」
部長は頷く。
「窓際の営業だ」
黒田は少し考えた。
そして言った。
「なるほど」
そのとき。
営業部の奥から声がした。
「呼びました?」
柚留だった。
営業バッグを肩にかけている。
いつも通りの姿。
しかしフロアの空気は違った。
社員たちの視線が集まる。
黒田がゆっくり振り向く。
二人の目が合う。
黒田が言った。
「君が鈴木か」
柚留は答える。
「はい」
黒田は柚留を少し観察した。
そして言う。
「吉祥寺」
「君の戦略?」
柚留は頷いた。
「はい」
黒田は聞く。
「どうやった?」
柚留は少し考えた。
そして言った。
「一点突破です」
黒田の目が少し鋭くなる。
「一点突破?」
柚留はホワイトボードに書いた。
戦力集中
営業部の社員がざわつく。
黒田はその文字を見た。
そして小さく笑う。
「ナポレオンか」
柚留は少し驚いた。
黒田は言った。
「営業も戦争と同じ」
「弱い会社ほど戦力を分散する」
「強い会社は集中する」
柚留は思った。
(この人……)
ナポレオンが言う。
『分かっている』
黒田は続けた。
「悪くない戦術だ」
しかし。
次の言葉で空気が変わる。
「だが」
黒田は言った。
「それは小さな戦場の話だ」
営業部が静かになる。
黒田は続けた。
「吉祥寺は一つの街」
「東京には数百の店がある」
「全国には数万店ある」
黒田は柚留を見る。
「そこまで再現できるのか?」
柚留は静かに答えた。
「できます」
営業部がざわつく。
黒田は少し笑った。
「根拠は?」
柚留は言った。
「戦略だからです」
その瞬間。
ナポレオンが言った。
『いいぞ』
柚留は続けた。
「偶然ではありません」
「設計です」
黒田は少し黙った。
そして言った。
「いいね」
「じゃあ証明してみよう」
営業部がざわめく。
黒田は言った。
「来月」
「東京エリアの売上」
「勝負しないか」
部長が眉をひそめる。
「黒田」
しかし黒田は続けた。
「もし君が勝ったら」
「俺が君を部長に推薦する」
「東京プロジェクトにな」
営業部がどよめく。
花咲化粧品。
最大の案件。
東京プロジェクト。
柚留は聞いた。
「もし負けたら?」
黒田は笑った。
「元の席に戻るだけ」
沈黙。
ナポレオンが言う。
『受けろ』
柚留は答えた。
「分かりました」
営業部がざわつく。
黒田はうなずいた。
「決まりだ」
そのとき。
柚留のスマホが震えた。
メッセージ。
相沢店長だった。
「鈴木さん、大変です」
柚留は返信する。
「どうしました?」
すぐに返事が来た。
「他のドラッグストアが同じ商品を探してます」
柚留は少し笑った。
ナポレオンが言う。
『戦場は広がる』
黒田もスマホを見ていた。
SNSの投稿。
その中には。
ある名前が出ていた。
帝都ビューティー。
美容業界最大手。
年商。
3000億。
黒田は小さくつぶやいた。
「面白い」
柚留が聞く。
「何がですか?」
黒田は言った。
「この業界には」
「本当の怪物がいる」
柚留は聞いた。
「怪物?」
黒田は答えた。
「帝都ビューティー」
「そして」
黒田は続ける。
「神崎玲司」
柚留はまだ知らない。
その男が。
美容業界の市場を
何度も塗り替えてきた男だということを。
東京。
巨大市場。
そして。
本当の戦争。
それはまだ
始まってすらいなかった。




