【第13話】社内がざわつく日
月曜日。
午前九時。
花咲化粧品 本社。
営業部のフロアはいつも通りだった。
キーボードの音。
電話の声。
コーヒーの匂い。
だが。
一人の営業が突然言った。
「おい」
隣の社員が顔を上げる。
「どうした?」
営業はスマホを見せた。
「これ」
画面にはSNS。
トレンドワード。
吉祥寺クリーム
「なんだこれ」
「知らないの?」
「昨日めちゃくちゃ話題になってる」
別の社員もスマホを見る。
投稿。
動画。
レビュー。
「これやばい」
「めっちゃ売れてる」
「どこの会社?」
その瞬間。
一人が言った。
「花咲化粧品」
空気が少し止まった。
「え?」
「うち?」
「マジで?」
営業部がざわつく。
そのとき。
部長席のドアが開いた。
営業部長だった。
五十代。
厳しい顔。
「うるさいぞ」
フロアが静かになる。
部長は言う。
「何の騒ぎだ」
一人の社員が言った。
「部長」
「これ見てください」
スマホを差し出す。
部長は画面を見る。
数秒。
眉が動いた。
「……なんだこれは」
SNSの投稿。
吉祥寺のドラッグストアで爆売れ
花咲クリーム完売
行列できてる
部長は低い声で言った。
「誰の案件だ」
社員たちは顔を見合わせる。
誰も答えない。
そのとき。
一人の若手が言った。
「これ」
「多分」
部長が聞く。
「誰だ」
若手は言った。
「鈴木です」
営業部が静まり返る。
「……は?」
部長が聞き返す。
「鈴木?」
「窓際の?」
若手はうなずく。
「はい」
部長は言った。
「ありえない」
別の社員も言う。
「でも」
「POPのやつも鈴木でしたよね」
部長の顔が険しくなる。
そのとき。
営業部のドアが開いた。
柚留だった。
営業バッグを持っている。
いつもの窓際社員。
だが。
空気が違った。
社員たちの視線が集まる。
柚留は少し驚いた。
「……どうしました?」
誰も答えない。
営業部長がゆっくり立ち上がった。
「鈴木」
柚留は言った。
「はい」
部長は聞いた。
「吉祥寺」
「お前か?」
柚留は答える。
「はい」
営業部がざわめく。
「マジか」
「すげえ」
「どうやったんだ」
部長は黙って柚留を見ていた。
そして言った。
「会議室に来い」
柚留は頷いた。
「分かりました」
会議室。
ドアが閉まる。
部長は椅子に座った。
腕を組む。
「説明しろ」
柚留は言った。
「戦略です」
部長は眉をひそめる。
「戦略?」
柚留はホワイトボードに書いた。
戦力集中
部長は聞く。
「何だそれは」
柚留は言う。
「ナポレオンの戦術です」
部長は呆れた顔をした。
「ナポレオン?」
柚留は静かに言った。
「広く戦うと負けます」
「だから一点突破しました」
部長は黙る。
柚留は続けた。
「吉祥寺」
「一店舗」
「一商品」
「一週間」
部長は少し前に身を乗り出した。
「それで」
「100個売ったのか」
柚留は答えた。
「はい」
部長は数秒黙った。
そして言った。
「……面白い」
柚留は驚いた。
部長は続ける。
「だが」
「一つだけ聞く」
柚留は言う。
「はい」
部長は言った。
「次はどうする」
柚留は少し笑った。
ナポレオンが言った。
『言え』
柚留は答えた。
「東京です」
部長の眉が動く。
「東京?」
柚留は言った。
「吉祥寺は都市です」
「都市を落とすと」
「次は地域です」
ナポレオンが言う。
『いいぞ』
柚留は続けた。
「ナポレオンは言いました」
そして静かに言った。
「最大の危険は、勝利の瞬間に訪れる」
部長は聞く。
「どういう意味だ」
柚留は答えた。
「ここで止まると」
「ただの偶然になります」
「だから」
柚留はまっすぐ部長を見た。
「次の戦争を始めます」
会議室が静かになる。
部長はゆっくり笑った。
「鈴木」
柚留は答える。
「はい」
部長は言った。
「お前」
「本当に鈴木か?」
柚留は少し笑った。
心の中で。
ナポレオンが言う。
『いい質問だ』
そして。
小さく呟いた。
「さあ」
「どうでしょう」
東京。
巨大市場。
その戦争―
今、始まろうとしていた。




