【第1話】窓際社員と皇帝の声
「鈴木、お前さ……まだ会社にいたんだな」
営業部の会議室で、乾いた笑いが起きた。
言ったのは営業部長の田所だった。
プロジェクターのスクリーンには営業成績ランキングが映し出されている。
一位 三浦
二位 斎藤
三位 吉岡
そして──
最下位
鈴木柚留
売上達成率
42%
会議室の空気が微妙に揺れる。
誰かが小さく笑った。
「化粧品営業で42%って逆に才能じゃね?」
「いや、ある意味レジェンドだろ」
柚留は視線を落とした。
この会社に入って十二年。
ヒット商品もない。
営業成績も悪い。
社内政治もできない。
気がつけば、窓際社員になっていた。
田所が腕を組む。
「鈴木」
「来月までに数字上げろ」
「無理なら……分かるよな?」
遠回しな言い方だった。
だが意味は明確だ。
辞めろ。
柚留は小さく頷いた。
「……はい」
会議が終わる。
同僚たちは楽しそうに昼飯の話をしている。
柚留は一人で会社を出た。
冬の風が冷たい。
スマホを見る。
営業先からの返信はない。
既読もつかない。
「……向いてないんだろうな」
思わず呟いた。
そのとき、母からメッセージが届いた。
「おじいちゃんの遺品整理、手伝って」
祖父が亡くなったのは三日前だった。
柚留は電車に乗った。
祖父の家は古い木造だった。
「柚留、来てくれたのね」
母が言う。
部屋には段ボールが山積みになっていた。
「古い物ばっかりでね」
柚留は黙々と整理を始めた。
古い本。
写真。
軍隊のような帽子。
祖父は歴史が好きだった。
引き出しの奥に、小さな箱があった。
革の箱だった。
「……なんだろう」
柚留は箱を開けた。
中に入っていたのは
金色のボタン
古い。
だが、不思議な重みがあった。
裏には刻印がある。
N
柚留が触れた瞬間だった。
ズキン
頭が割れるように痛んだ。
「っ……!」
視界が揺れる。
部屋が歪む。
そのとき…
声が聞こえた。
低い声。
威圧感のある声。
『ここはどこだ』
柚留は固まった。
「……え?」
声が、また聞こえる。
頭の中から。
確かに、頭の中から。
『余は……』
『ナポレオン・ボナパルト』
柚留の手からボタンが落ちた。
「は?」
沈黙。
数秒。
そして声が言った。
『お前が余を呼び覚ましたのか』
柚留は青ざめた。
「いやいやいや……」
「待ってください」
「ナポレオン?」
声が小さく笑った。
『そうだ』
『フランス皇帝、ナポレオンである』
柚留は頭を抱えた。
「俺、疲れてるのかな……」
「幻聴?」
すると声が言った。
『お前の記憶は見た』
『情けない人生だな』
柚留はムッとした。
「うるさい!」
「俺だって頑張ってる!」
沈黙。
そしてナポレオンは言った。
『営業とは戦争だ』
柚留は眉をひそめる。
「……は?」
『お前の会社』
『弱すぎる』
「そりゃ中小企業だし……」
「大手には勝てませんよ」
ナポレオンは静かに言った。
だが、その声には奇妙な説得力があった。
『戦争に強い弱いはない』
『あるのは戦略だけだ』
柚留は言葉を失った。
ナポレオンが続ける。
『お前の人生』
『余が使ってやる』
「え?」
『お前の会社』
『余が皇帝にしてやる』
柚留は乾いた笑いを漏らした。
「無理ですよ」
「俺、会社で最下位なんですよ」
するとナポレオンは言った。
『最下位?』
少し楽しそうに。
『ならば好都合だ』
「……どういう意味です?」
ナポレオンは答える。
静かに。
だが圧倒的な自信で。
『底からの方が』
『帝国は作りやすい』
風が窓を揺らした。
柚留はまだ知らない。
自分が―
化粧品業界を揺るがす男になることを。




