8話
十一月半ば、校舎の空気はさらに重くなっていた。女子生徒が負傷した事件は地域社会を揺るがし、テレビや新聞は連日「学校を舞台にした連続紙片事件」として報じていた。警察の捜査は進展を見せず、犯人は未だ捕まっていない。
ニュース番組ではキャスターが声を荒げた。
「生徒が負傷し、脅迫文まで届いているのに、警察は犯人を特定できていません。責任はどこにあるのでしょうか」
評論家はさらに追い打ちをかける。
「警察は学校に任せすぎた。校長に頼るのではなく、徹底的に捜査すべきだった」
「地域の安全を守る責任を果たしていない」
画面には校庭での騒ぎ、救急車の映像、保護者説明会の様子が繰り返し映し出される。社会の眼は警察に厳しく向けられていた。
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だが、矛先は警察だけではなかった。保護者たちの間では「氷川校長だから事件が起こる」という噂が広がっていた。過去に幾度も事件に関わった経歴が、逆に「不吉な存在」として語られ始めたのだ。
ある保護者は電話で怒鳴った。
「校長がいるから子どもが巻き込まれるんだ!」
「事件を呼び寄せているのは校長自身だ!」
説明会の場でも、突き上げは激しかった。
「もう辞めてください。子どもたちを守るために」
「校長がいる限り、学校は安全にならない」
沙織は壇上に立ち、保護者たちの視線を受け止めた。胸の奥で何かが崩れていくのを感じた。教育者として生徒を守りたい。だが、社会はそれを許さない。
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その夜、校長室に一人残った沙織は机の上の紙片を見つめた。理科室、体育館、図書室、職員室、そして校庭。すべての紙片が「学校を舞台にした犯人の意志」を示していた。
「私は校長。教育者。もうヒロインじゃない」
そう繰り返してきた。だが、現実は彼女を追い詰めていた。
窓の外には街灯の光がぼんやりと差し込み、校庭は静まり返っていた。子どもたちの笑い声は消え、沈黙だけが広がっていた。
沙織は深く息を吐き、決意を固めた。
「……辞めよう。私がいる限り、学校は事件に巻き込まれる」
その言葉は、呪いを断ち切るように重かった。
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翌朝、職員室で沙織は教師たちに告げた。
「私は校長を辞任します。生徒を守るために、これ以上は続けられません」
教師たちは驚き、沈黙した。だが、誰も反論はしなかった。恐怖と不安が、すでに学校全体を覆っていたからだ。
刑事が校長室に現れた。
「先生、本当に辞めるのですか」
「はい。私がいる限り、事件は続くと保護者は信じています。生徒を守るためには、それしかありません」
刑事は目を細め、数秒沈黙した。
「……わかりました。ですが、犯人は必ず次の標的を狙います。先生が辞めても、事件は終わらないかもしれません」
沙織は静かに頷いた。
「それでも、私がいなくなることで、子どもたちが少しでも安心できるなら」




