15話
土手の斜面に押し倒された男は、必死に抵抗していた。警察官たちが数人がかりで腕を押さえ、手錠をかける。川面に響く水音と、男の荒い息遣いが交錯した。
「離せ! 私は悪くない! 笑ったのはあいつらだ!」
男は叫び続けた。だが、その声は風にかき消され、誰の心にも届かなかった。
沙織は数歩離れた場所で立ち尽くしていた。携帯を握りしめた手は震えていた。彼女の目には、男の姿が「教育者としての最後の影」として映っていた。
刑事が振り返り、沙織に声をかけた。
「先生、もう大丈夫です。彼は逮捕しました」
沙織は深く息を吐いた。
「……終わったのですね」
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警察車両に押し込まれる男の姿を見ながら、沙織は心の奥で複雑な感情を抱いていた。彼は確かに罪を犯した。生徒を傷つけ、恐怖を広げた。だが、その根底には「孤独」と「侮辱」があった。教育者としての存在を否定され続けた末の破滅だった。
「彼もまた、教育の犠牲者だったのかもしれない……」
沙織はそう呟いた。だが、答えは出なかった。
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翌日、事件は大きく報じられた。新聞の見出しは「教師による自作自演事件」「復讐心が生んだ泥沼」と踊った。テレビでは評論家が声を荒げた。
「警察は氷川校長に頼り過ぎた。だが、最終的に彼女が真相を突き止めた。皮肉なことに、彼女こそが最後の鍵だった」
保護者たちは安堵と怒りを交錯させていた。
「生徒が傷ついたことは許せない。だが、事件が終わったことには感謝する」
学校は混乱の収束を迎えた。だが、その代償は大きかった。生徒たちの心には恐怖が残り、教師たちの信頼は揺らいでいた。
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沙織は自宅に戻り、机の上の紙片を見つめた。理科室、体育館、図書室、職員室、校庭――そして生徒たち。すべては一人の男の復讐の軌跡だった。
「結局、私はまた作品の中にいた」
彼女は自虐的に微笑んだ。校長を辞めても、事件から逃れようとしても、結局は「推理小説のパターン」に巻き込まれていた。
「作品からは逃げられない……」
その言葉は、彼女自身への皮肉だった。




