11話
雨上がりの夜、沙織の部屋は静まり返っていた。閉ざされたカーテンの隙間から街灯の光が差し込み、机の上に並べられた紙片を淡く照らしている。理科室、体育館、図書室、職員室、校庭――事件の痕跡を示すそれらは、まるで彼女を挑発するかのように並んでいた。
「私は校長じゃない。もう関わらない」
そう繰り返してきた。だが、心の奥では知っていた。事件は続いている。生徒が突き飛ばされ、脅迫文が置かれ、帰宅途中に傷を負った。学校は泥沼に沈み、警察は批判に消耗していた。
沙織は紙片を一枚ずつ手に取り、光に透かして見た。インクの滲み方、紙の質、記号の形。どれも同じ手によるものだ。偶然ではない。
「……これは、順序を示している」
理科室から体育館へ、図書室から職員室へ、そして校庭へ。犯人は学校の内部を巡り、痕跡を残していた。だが、その流れの中で一つだけ不自然な点があった。
最初に予告されたのは「ある教師」だった。職員室の机に置かれた紙片には、その教師の名前が記されていた。だが、その後の事件では彼自身は一切被害を受けていない。むしろ、彼が「最初の標的」とされたことで、学校全体が混乱し、警察も彼を守るために動いた。
「……不自然だわ」
沙織は思い返した。彼は生徒からしばしば笑われ、からかわれていた。授業中に声を真似され、黒板に落書きをされ、陰であだ名をつけられていた。教師としての威厳を失い、孤立していた。
「もし彼が、自分を標的に見せかけることで、事件を演出したのだとしたら……」
その仮説は、すべての矛盾を説明できた。最初の予告は自作自演。彼は生徒からの侮辱に耐えかね、復讐を模索していた。だが、沙織が赴任してきたことで、事件を「物語」として仕立てる好機を得た。校長が過去に事件に関わった人物であることを利用し、彼女を巻き込みながら復讐を実行したのだ。
---
沙織は机に向かい、紙片を一枚ずつ重ねた。
「これは、彼の復讐の軌跡……」
彼女は深く息を吐いた。警察に伝えることもできた。だが、社会は警察を批判し、捜査は停滞している。今、彼女が動かなければ、事件はさらに続くだろう。
「……私が確かめる。誰にも知られずに」
沙織は決意した。校長ではない。社会から批判され、孤立した存在。だからこそ、余計な巻き込みを避けるために、彼女は単独で動くことを選んだ。
夜、街灯の光が河川敷を照らしていた。沙織はコートを羽織り、静かに家を出た。机の上の紙片は、彼女の背中を押すように並んでいた。
「……事件は、私が終わらせる」
彼女の単独捜査が始まった。




