10話
校舎の廊下に響いた悲鳴は、昼休みのざわめきを一瞬で凍らせた。男子生徒が背後から突き飛ばされ、額から血を流して倒れていた。周囲には誰もいない。ただ床に一枚の紙片が落ちていた――「次はもっと深く」。
教師たちは慌てて駆け寄り、救急処置を施した。生徒は意識を取り戻したが、恐怖に震えながら「誰かが押した」と繰り返すばかりだった。
翌日には女子生徒の机に脅迫文が置かれていた。
――「お前の番だ」
文字は乱れていたが、確かに意志を持った筆跡だった。女子生徒は泣き崩れ、授業は中断された。教室の空気は張り詰め、教師たちはただ「落ち着いて」と繰り返すしかなかった。
さらに週末、帰宅途中の生徒が公園で何者かに腕を掴まれ、擦り傷を負った。彼のスクールバッグの中には、いつの間にか紙片が差し込まれていた。そこには「逃げても無駄」と書かれていた。
こうした被害が立て続けに起こり、学校は完全に泥沼に足を取られた。保護者は激しく抗議し、教師たちは怯え、警察は批判対応に追われて捜査の手が鈍っていた。
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社会の眼はさらに厳しくなっていた。テレビのニュース番組では、キャスターが声を荒げた。
「生徒が次々に被害を受けています。警察は何をしているのでしょうか」
評論家はさらに追い打ちをかけた。
「警察は氷川校長に頼り過ぎた。過去の経験を持ち出し、彼女を追い込み過ぎた結果、辞任に追い込んだ。責任は警察にある」
PTAも声明を発表した。
「警察は事件を軽視している。生徒の安全を守るために、徹底的な捜査を求める」
新聞の見出しは「泥沼化する学校事件」「警察への批判高まる」と踊り、社会全体が警察を責め立てていた。捜査本部は批判対応に消耗し、進展を示せないまま時間だけが過ぎていった。
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その頃、沙織は自宅に閉じこもっていた。校長を辞任し、誰とも会わず、窓のカーテンを閉ざして外の世界を遮断していた。机の上には、校長室から持ち帰った紙片が並んでいる。理科室、体育館、図書室、職員室、校庭。だが、彼女はそれに触れようとはしなかった。
「私は校長じゃない。もう関わらない」
そう繰り返しながらも、報道で流れる生徒の泣き顔や保護者の怒声が耳に残った。
外の世界は騒がしく、新聞やテレビは連日「学校を舞台にした連続事件」を報じていた。だが、沙織の部屋には静寂だけが広がっていた。彼女は椅子に座り、窓の外を見つめた。街灯の光がぼんやりと差し込み、夜の静けさが部屋を満たしていた。
「……私はもう関わらない」
そう呟き、目を閉じた。だが、心の奥では知っていた。事件は続いている。校長を辞めても、逃れられない。




