9話
十一月の終わり、氷川沙織は校長を辞任した。辞表を提出した翌日から、彼女は自宅に閉じこもり、誰とも会わなくなった。窓のカーテンは閉ざされ、電話の着信音も切られていた。外の世界は騒がしく、新聞やテレビは連日「学校を舞台にした連続紙片事件」を報じていたが、沙織の部屋には静寂だけが広がっていた。
机の上には、かつて校長室に並べていた紙片が置かれている。理科室、体育館、図書室、職員室、校庭。すべての紙片が「学校を舞台にした犯人の意志」を示していた。だが、沙織はもうそれに触れようとはしなかった。彼女は校長ではなく、ただの一人の人間になったのだ。
---
学校には新しい校長が着任した。だが、事件は止まらなかった。新校長の下でも、紙片は再び見つかった。今度は音楽室のピアノの上に置かれていた。そこには「次は音楽」と記されていた。
生徒たちは怯え、教師たちは混乱した。保護者からの電話は鳴り止まず、地域の掲示板には「新校長でも事件は続いている」という書き込みが並んだ。学校は泥沼に足を取られ、抜け出せなくなっていた。
新校長は必死に対応したが、保護者説明会では突き上げを受けた。
「校長が変わっても事件は続いている!」
「警察は何をしているんだ!」
壇上に立つ新校長の声は震えていた。だが、保護者たちの怒りは収まらなかった。
---
一方、沙織は自宅に閉じこもり、誰とも会わなかった。電話もメールも無視し、外出もしない。近所の人々は「元校長は姿を見せない」と噂した。だが、沙織は窓のカーテンを閉ざし、外の世界を遮断していた。
「私は校長じゃない。もう関わらない」
そう繰り返しながらも、机の上の紙片が視界に入るたびに、胸の奥で何かが疼いた。
---
社会の眼はさらに厳しくなっていた。テレビのニュース番組では、キャスターが声を荒げた。
「新校長の下でも事件は続いています。警察は何をしているのでしょうか」
評論家はさらに追い打ちをかけた。
「警察は学校に任せすぎた。校長が変わっても事件が止まらないのは、捜査が不十分だからだ」
「地域の安全を守る責任を果たしていない」
PTAも声明を発表した。
「警察は事件を軽視している。生徒の安全を守るために、徹底的な捜査を求める」
新聞の見出しは「泥沼化する学校事件」「警察への批判高まる」と踊った。社会全体が警察を責め立て、学校は混乱の渦に巻き込まれていた。
---
沙織はその報道をテレビで見ていた。だが、音量は絞られ、画面はぼんやりとした光の塊にしか見えなかった。彼女は椅子に座り、窓の外を見つめた。街灯の光がぼんやりと差し込み、夜の静けさが部屋を満たしていた。
「……私はもう関わらない」
そう呟き、目を閉じた。だが、心の奥では知っていた。事件は続いている。校長を辞めても、逃れられない。




