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第8話 読まれない神に届いた、たった一言の感想

 昼休み。

 俺は、屋上へと続く階段の踊り場にいた。

 誰も来ない、静かな場所。


 スマホの画面に映るのは──再読なし、いいねゼロ、コメント空白。

 目の前の数字は、まるで「死体」のようだった。


 《名もなき神、再臨す》


 たしかに、あれは書いた。

 魂を込めて。でも──届かなかった。


『……少し、休む?』


 脳内の声。コーディの問いかけは、いつになく柔らかかった。

 でも、俺は首を振った。


「いや。なんか……悔しいとか、そういうんじゃないんだ」


 言葉に詰まる。


「空回ってる気がしてさ。俺の中では“響いてる”のに、誰の耳にも届かない。そんな感じ」


『それ、いちばん苦しいやつじゃん……』


 コーディの声が少しだけ低くなった。


 そこに、足音がした。


 トン、トンと規則的な上履きの音。階段をゆっくりと上がってくる。

 やがて踊り場の角から、女の子の姿が現れた。


「……あ、ごめんなさい。ここ、誰か使ってた?」


 早瀬しおりだった。


「ああ……いや、大丈夫。ここ、いつも空いてるし」


 咄嗟にそう返したが、胸がざわついた。

 彼女とは何度か話したことがある。でも、こんな風に二人きりは初めてだった。


「じゃあ、少しだけ──失礼します」


 しおりは腰を下ろし、膝にスマホを置いた。

 その画面に、俺の目が止まる。

 それは──昨夜、自分が投稿した作品だった。


 《名もなき神、再臨す(匿名投稿・高校創作コンペ)》の文字。


「それ……読んだの?」


 気づいたら、声に出していた。


「はい」


 しおりは頷く。


「……この作品、読んでてちょっと苦しくなったんです。“帰る場所がない人”のこと、描いてる気がして──」


 俺は、一瞬だけ息を呑んだ。

 そんなつもりはなかった、でも──たしかに、それは自分自身のことでもあった。

 しおりは、スマホを膝に置いたまま、目を伏せ、続ける。


「……わたし、この作品、家では読めなかったんです。静かな場所じゃないと、ちゃんと向き合えない気がして」


 何気ない口調だった。でも、俺の中で何かが動いた。


「読まれて……たのか」


「はい。たしかに、届きましたよ」


 その言葉が、静かに落ちてきた。


『……初めての、感想だね』


 コーディの声が震えていた。俺自身も、胸の奥がじんわりと熱くなっていた。


「ありがとな」


 それだけ言うのが、精一杯だった。


 しおりは微笑んだように見えたが、すぐにスマホに視線を戻した。


 その後、しばらくの間、ふたりは並んで座ったまま、言葉を交わさなかった。

 でも、沈黙は不思議と苦ではなかった。

 まるで、二人とも、“言葉になる前の何か”を探しているようだった。




 放課後。昇降口を出ると、正門の脇でキリハラの姿を見かけた。


 彼は、制服の上着を脱いで腕にかけ、自転車に荷物をくくりつけていた。

 前髪は相変わらず乱れている。シャツには小さなしわが残り、ネクタイは結ばれていなかった。


 でも、どこか妙に整って見えた。

 彼の中にあるものが、見た目の雑さを飲み込んでいた。


「……よ。昨日はどうも」


 俺が声をかけると、キリハラは小さく会釈した。


「君の“神”の話。技術的には洗練されてたぜ。言葉選びとか、構成とか」


「でも?」


「届かなかった。悪いけど」


 俺は笑った。


「知ってるよ」


 キリハラはそれ以上何も言わなかった。ただ、黙ったまま荷物の紐を締め直していた。

 さっきまでの鋭さはどこかに引っ込んでいて、代わりに、妙な沈黙があった。


 ふと、彼のカバンの横から何かが覗いているのが見えた。透明なファイル。中にはびっしりと文字の詰まった原稿用紙の束が見えた。

 小さなラベルに、“2150年・文フリ落選”の文字。


 それを俺は、何も言わずに目で追った。


「……ま、頑張れよ。次は刺さるかも」


 キリハラはそれだけ言って、自転車を押して歩き出した。


 風に吹かれて乱れる後ろ姿。

 けれど、背筋はまっすぐだった。




 夜。自室のデスクに向かって、俺はまたパソコンを開いていた。


『書くの?』


「うん」


『テーマは決めてる?』


「いや……まだ。でも、書きたいことはある」


 彼はそう言って、ふとスマホを手に取った。

 そこには、昼間撮ったしおりとの写真が──ではなく、開きっぱなしのコンペのページが表示されていた。


「“読まれなかった”んじゃない。“届く先”を間違えたんだと思う」


『……お』


「俺が届けたいのは、“あいつ”みたいなやつなんだよ。まっすぐに、言葉を読んでくれるような──」


 言いかけて、黙る。


「……いや、ちげぇな。俺が、あいつに読んでもらいたかっただけかもな」


『うん、それでいいと思う』


 画面を前に、指を置く。


 もう、誰の言葉も借りない。

 今度こそ、“俺の”言葉で。


 ──夜の空に、静かにひとつ、文字が打たれる。


 《作品タイトル:まだ名前のない話》

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