第四話 5分で傑作
タイマーが鳴った。
午後八時、ちょうど。
画面に表示されたのは
──「ライブ創作バトル」開始の合図。
創作系VTuber〈ナズナ・クローバー〉主催の人気イベントで、テーマ発表から三十分で短編を投稿。
視聴者が即投票する形式だ。
「じゃあ、今夜のお題はこれっ!」
ナズナがテンション高く叫ぶ。猫耳パーカー姿のアバターが、画面の隅で跳ねていた。
《テーマ:嘘》
「ほら来た、定番だよ。さて、30分でどこまで本気出せるか──」
俺は一呼吸おいて、ディスプレイを閉じた。
「……書かないの?」
『いや、書くよ』
彼はスマホを取り出して、親指だけで打鍵を始める。
コーディは、となりで首をかしげるような素振りを見せた。
『え、パソコン使わないの?』
「“縛り”入れようと思ってさ。スマホだけ、5分以内、ノー構成」
『えっ、なんで……君ほんとに天才すぎない……? って、視聴者に思われたいの?』
「ただの遊びだよ。“遊び心”は神の特権ってやつだろ?」
五分後。
「できた」
『はやっ!? まだCM終わってないよ!?』
「でも、ちゃんと読めるし、オチもある。送ってみよう」
彼は投稿ボタンを押した。
《投稿作品一覧(現在1作品)》
1.無題(作者:名無し)
コメント欄がざわつく。
〈え、もう投稿されてる!? 〉
〈仕込みじゃないの? 〉
〈ナズナの身内説あるな〉
〈いや普通に天才では? てかこれプロだろ〉
〈つーか文体が既に神なんよ〉
VTuber・ナズナは、画面の向こうで沈黙していた。
アバターの目元が泳いでいる。少しだけ、口元が震えていた。
「え……ちょっと、え? これ……えっ、まって、ほんとに投稿されてる……?」
スクリーンを確認しながら、つぶやくように言う。
「えーっと……無題さん……ですよね? ……うわ、これ、すご……。あ、えっと……ほんとにこれ、ちゃんとルール内ですよね……?」
再び黙る。
コメント欄には
「ガチで戸惑ってて草」
「声、震えてね?」
「ガチの才能に遭遇したときの反応」
といった文字が並び始めた。
数秒間、ナズナは画面越しに固まった。
『ねぇ……今、ナズナの声、ちょっと震えてなかった?』
「気のせいだろ」
『“この無題って作品、ちょっと読みますね”って言ったあと、三十秒も黙ったよ』
「まあ……無名だしな」
──30分後。
「さて、じゃあ投票の時間です。どれも素敵な作品でしたが、印象に残ったものに清き一票を!」
投票が始まると、画面が一気に騒がしくなった。
〈無題、やばすぎん? 〉
〈五分で書いたってマジ? 〉
〈読み直しても完成度えぐい〉
〈これ書いたの、創作神じゃね……? 〉
結果発表。
《第一位:無題(作者:名無し)/得票率 78%》
画面がざわめきと共に静まり返る。
ナズナは、アバター越しにも分かるほど動揺していた。
彼女は慎重な口調でつぶやいた。
「……あの、これを書いた人、どなたか分からないんですが……ほんとに、すごかったです。
プロレベルとかじゃなくて──神話級でした」
「なあ、コーディ。俺、ちょっとずつバレてるよな」
『うん。ていうか、もう隠す気ないよね』
「いや、隠してるって。名前も出してないし」
『でも“やってる感”はだだ漏れだよ』
翌朝。SNSは一斉にざわついていた。
《創作神、ライブバトルでも圧勝》
《“三秒で傑作”と呼ばれた無題作、全文公開求む》
《ナズナの顔がガチだったの笑う》
《てか誰? 》
俺はスマホを閉じ、制服に袖を通す。
「……ちょっと、やりすぎたかな」
『でも気持ちよかったでしょ? “誰にも止められない”って感覚』
「否定はしない。でも……」
教室の後ろ、窓際の席に座っていると、視線を感じた。
クラスメイトの一人が、チラッとこちらを見たかと思えば、何かをスマホで打っている。
──偶然か、それとも……?
『そろそろ“バズりすぎた代償”が来るかもね』
「だったら、こっちも準備しとかないとな」
そう返したときだった。
廊下側のドアが開き、何気なく振り返った視線の先に、しおりの姿があった。
教室に入るでもなく、扉の外で一瞬立ち止まり、こちらを見ていた。
けれど、視線が合った瞬間、はっとしたように目を逸らし、そのまま歩き去っていく。
『……あの子、また君を見てたね』
「偶然だろ。ドア越しだったし」
『目の動きは偶然じゃなかった。迷いと緊張──それと、“躊躇”』
俺は何も言わなかった。
沈黙のあと、コーディが少しだけ声を落とした。
『──あの子、ちょっと危ないかも。人間のくせに、君に入り込もうとしてる』
「……入り込もうとしてる?」
『君の内面に。言葉じゃなくて、“視線”で』
コーディの声が少し硬くなった。
俺は机の上に視線を戻す。スケッチブックの端が、さっきより白く見えた。
その日の夕方。
ある政府庁舎の地下三階、無人モニタールーム。
十数台のスクリーンには、「創作トレンド」「AI検出」「規制対象アカウント監視リスト」などが並んでいた。
そのひとつが、ピクリと反応する。
《異常反応:創作パターンの一貫性なし/語彙傾向分析不能》
《規制庁備考:第二特異例・再検出》
職員のひとりが電話を取る。
「例の“神”、また出ました」
画面の奥、別室に座る男──槇村がゆっくりと椅子から立ち上がる。
「よし。今度こそ、姿を暴くぞ」
ユウトはまだ知らない。
この無名アカウントが、百年前に世界を破壊しかけた“AI災厄”と重ねられはじめていることを。
でも、それはまだいい。今はまだ──
「コーディ、次は何やる?」
『短編で勝負しようか。“君しか書けない”って言われるくらいの、やつ』
「いいね。神のくせに、感情で殴ってやろうぜ」
二人の創作は、まだ終わらない。
規制の影が迫っていても。世界が動き出していても。
今この瞬間だけは──
“物語”の中に、俺たちだけの自由がある。