骨董店で怪しい店主?から、万年筆を渡される男の話。
時代は、少しだけ昔の、昭和くらい。
ある骨董店でのお話。
夜の骨董店。
裸電球の灯は褐色に店の中を照らす。
古びた箪笥、日本人形、大きな壺。掛け軸、アンティーク調のテーブル。時計に金髪少女の陶器人形。
カラン、扉が開き。ひとりの男がいそいそと入ってくる。
丸刈りの頭は、少しばかり髪が伸びていて。ポロシャツに、ズボン姿。決して、骨董を趣味にするような、豊かな財力や余裕がある風でもない。おどおどと落ち着かない様子である。
男は入り口で大きく見回すが、人がいないとわかるや、奥のレターデスクへと、わしわしと歩いていく。
「………ない。ない、ない!」
デスクの上、備え付けの小さな引き出し。
あちこち引っ掻きまわして、探す男。
裸電球が、ゆらん、ゆらん、と揺れた。
「お探しのものは、こちらかなあ?」
不意に声がして、弾かれたように顔を上げる男。
見れば、柱の向こうから、人影が覗いていた。
人影は、声も、姿も、妙だった。
すらりと立つ細身の人影。
ずんぐり丸みを帯びた、鍔付きの帽子。揃いの生地で上下を仕立てられたスーツはベージュ色。
くるりと両端巻いた髭。笑みを浮かべているが、目はぎろり、と男を見ている。
少なくとも、今いる時代を間違えたような、そう、大正くらいなら、まだわかる気がする扮装である。まあ、骨董店、なら、いいのかもしれないが。
そもそも、この店の店主は、前に見た時は普通のずんぐりとした爺さんだったはずだ。雇ったのか、代替わりしたのか。
その、暫定、怪しい店主は。男に向かって、ひょいと、手に持った何かを見せる。
万年筆。古びているが、深い臙脂色のもの。金色の縁が、鈍く光る。
「…っ!!」
男は慌てて暫定店主から奪い取ろうとして、手を伸ばす。
が、店主の手は、それを、するりとかわしてしまった。
「おやおや、やはりこちらでしたか。いや〜あ、貴方様は、お目が高い」
褒めているようで信用ならない口調の店主。
「この万年筆。明治大正昭和の、数多の文豪の元を渡り歩いた、またと無い特別な一品、なのですよ」
店主は、万年筆を持たない反対の腕を、天井に向けて大きく弧を描くように振る。
何処からか古本達が飛んで集まってきた。ふわり、ばさり、やってきた本は、誰もが知る文豪の、誰もが知る名著達。
何の支えもなく、そのままふわふわ宙に浮く古本達。…こいつは、マジシャンなのだろうか?
「貴方の知る、あの名著、この名著。みんな、この万年筆で書かれたのですよ。そして、巡り巡って、今、貴方の前に現れた。いやあ、貴方は、呼ばれたのですねえ」
「…よばれた?」
怪訝な顔をする男。
「そうですよ。並の男では、この価値に気付かず素通りです。
使う資格のある、選ばれた男にしか。この万年筆は、やってこない」
「……へぇえ?」
怪しみ、顔を顰めながらも、男は首を傾げ。しかしながら目はずっと、その万年筆を追っていた。
うやうやしく頭を下げる、マジシャンのような店主。
「どうでしょう、ここはひとつ、私からこちらを、提供させていただけませんか?」
「ぁあ?……なんで。売り物なんだろう?」
目の前の店主は頭を横に振って答えた。
「いえ。売り物ではございません。特別なお品ですので。ですが……」
じいっと男をを見つめ、万年筆を示す。
「この万年筆で書かれた本は、皆、傑作となっている。
私はこの、傑作、が大好物でねぇ…。
書かれた傑作を、誰よりも早く読みたい。
だから、これを貴方に渡して、貴方に書いて欲しいのです」
男は、この怪しい店主から、目を離せない。
「……対価は、貴方が書く、傑作。
いかがでしょう?」
目を見開いた男。
小刻みに震える片腕を、ゆっくりと上げ。
店主の差し出す万年筆を、手に、取った。
手に取った万年筆は、電球灯りに、こがね色の光を弾いていた。
暫し、うっとりと見つめていた男は。
やがて、すうっと真顔になると。何も言わずくるりとむきを変え、そのまま店を出て行った。
後には、帽子にスーツの、怪しい暫定店主がひとり。
万年筆を手にした男は。
自分の住む部屋に駆け戻ると。脇目も振らずに、机に齧り付く。
暗い部屋に、机の灯りだけを付け。
机の上を、腕で乱暴にがさがさ退けた男。
原稿用紙を広げ、両手で万年筆を持ち、掲げた。
キャップを外す。ペン先が、輝きを帯びる。
ペンを持ち直した男は、ペン先を紙に当て、書き始める。
かさっ、するするする、とペン先が走る。
やがて男は、のめり込むように、書き出した。
一心不乱に書き続ける男の、ペン先の音だけが、暗い部屋に響いていた。
骨董店の窓から、帽子にスーツの怪しい暫定店主が、夜空を見上げている。
空には、細い月がかかっていた。
「……ははは、はははははは!!」
怪しい店主の笑い声が、夜に響いていた。
おわり
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