昔の幼馴染と三角関係!?シェアルームでの物語
俺の名前は佐藤悠斗、三十歳。地方の小さな町で生まれ育ち、地元の高校を卒業してからも、ずっと同じ街で働いてきた。
けれど、なんとなく感じていた違和感――「このままじゃ何も変わらない」と思う気持ちは日増しに強くなっていった。そんなとき、元職場の先輩がこう言ってくれたのだ。
「挑戦したいなら、いっそ環境を変えるべきだよ」
その言葉に背中を押されるように、俺は思い切って東京へ出てくることを決意した。
転職先はベンチャー企業の広報。都会の生活には慣れていないけれど、新しい環境で自分を試したいという思いのほうが強い。
「はぁ……ようやく引っ越し完了か……」
狭いが新しい部屋に荷物を運び終え、一息つく。ここは都内のシェアハウスで、全部で六人が暮らせる小さな家だ。リビングやキッチンなどの共有スペースがある代わりに家賃は安く、都会で暮らすには十分な環境だった。
「おっ、新しい住人さん? よろしくな!」
リビングで最初に声をかけてきたのは、軽いノリの男性――翔太というらしい。
「よろしくお願いします。佐藤悠斗です」
俺が名乗ると、彼はにこやかに笑って言った。
「俺は翔太。わからないことがあれば何でも聞いてくれよ。あとで他の住人たちも紹介するわ」
部屋に戻って荷解きをしていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。続いて、軽やかな声がリビングを満たす。
「ただいま~」
その声を聞いた瞬間、俺は手を止める。……間違いない。この声には聞き覚えがある。
翔太がリビングから大きな声で呼びかけてきた。
「おーい、佐藤! 帰ってきたの、もしかしてお前の知り合いかもな」
リビングに顔を出すと、そこには驚いた表情の千夏が立っていた。俺の地元の幼馴染で、中学を卒業して以来、会っていなかった相手だ。
「……えっ、悠斗?」
「千夏……? マジでお前かよ」
「え、なんでここにいるの!? っていうか、どうして東京に?」
俺も驚きつつ答える。
「俺のほうが聞きたいよ。最近転職して上京したばかりなんだ」
「私はフリーでイラストの仕事してて、このシェアハウスが便利だから住んでるの。……でも、本当にびっくりだよ!」
まさかこんな形で再会するなんて……。千夏は軽く笑ったが、その笑顔にどこか違和感があった。昔と同じように無邪気に見えるのに、微妙な冷たさが混ざっているように感じたのは気のせいだろうか。
「まあまあ、いいじゃん。これも運命ってやつだろ?」
翔太が茶化すように笑うと、千夏も表情を緩める。けれど、何故だか心に引っかかるものがあった。
その夜、共有スペースのキッチンで千夏と二人きりになる機会があった。彼女はテーブルでコーヒーを飲みながら、静かにこちらを見ている。
俺は向かいに腰を下ろし、再会の不思議を噛みしめるように口を開いた。
「本当に偶然だよな。東京でお前と再会するなんてさ」
「うん……偶然ってすごいよね。なんか、不思議な感じ」
千夏は微笑むが、その表情にはどこか遠慮がある。
「俺たち、あの頃のまま変わってないのかな」
「どうだろうね。でも、悠斗は変わったと思うよ。東京で働いて、シェアハウスに入ってさ」
「お前だってすごいじゃん。イラストで食ってるなんて、地元じゃ考えられないだろ」
「そうだね。……まあ、変わるしかなかったんだよ」
その言葉は強がりのようにも聞こえる。俺が次の言葉を探していると、千夏がふいに視線を落として小さく呟いた。
「……でも、悠斗。あの時、なんで突然私と距離を置いたの?」
思わぬ言葉に、俺は言葉に詰まる。千夏は少し困ったように笑って、「いや、なんでもないよ。昔の話だし」とすぐに話を打ち切ってしまった。
翌朝、キッチンで朝食を用意していたのも千夏だった。焼いたトーストを俺のほうに差し出しながら、あくびまじりに言う。
「はい、これ。あんたの分」
「お前、朝から元気だな。俺が起きる前から準備してたのか?」
「このシェアハウス、早起きした人がキッチンを使うルールなの。私はいつも早いからさ」
「そっか……ありがとな。助かるよ」
そこに翔太が顔を出し、ニヤニヤしながら声をかけてくる。
「お、佐藤、ちゃんと朝食もらってんじゃん!」
「違うから! 余っただけ!」
千夏は慌てて否定してリビングを出ていく。そんな彼女の背中を見送りながら、翔太が俺の肩を軽く叩いた。
「なあ、お前、あいつのことどう思ってんの?」
「どうって……別に、ただの幼馴染だよ」
「本当かぁ? どう見ても気がありそうだけどな」
翔太の茶化すような口調に、俺は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
その日の夜、シェアハウスの住人全員がリビングに集まって映画を観ることになった。翔太が選んだのはラブコメ映画。主人公とヒロインが急接近するシーンで、千夏が思わず吹き出した。
「なにそれ! こんなに簡単に恋に落ちるわけないじゃん!」
「え、意外とロマンチストだと思ってたけど、違うのか?」
俺が冗談めかして言うと、千夏は肩をすくめて大げさに否定する。
「恋愛は慎重に進めるものだよ。お互いをよく知らないとね」
彼女の言葉に、少し距離を感じた。いつからこんなに大人びた考え方をするようになったのだろう。
翌日、翔太が大胆に動き出した。
「千夏、週末どっか行こうぜ。前から美味しいカフェ見つけてさ」
「え、カフェ? うーん、まあいいけど」
千夏があっさりと誘いに乗る様子に、俺の胸はざわついた。
その夜、彼女と二人になったキッチンで、思わず聞いてしまう。
「お前、翔太と出かけるのか?」
「え? まあね。誘われたし」
「……なんか、あいつ調子良すぎないか?」
千夏は眉をひそめて俺を見た。
「悠斗には関係ないでしょ?」
そのまま彼女は去っていき、俺はリビングに一人取り残された。自分でも気にし過ぎだと思いながらも、どうにも割り切れない。
翌日、千夏が翔太とカフェに出かけたまま、なかなか帰ってこない。
時計の針が夜に近づいても、玄関のドアが開く気配はない。俺はソファに腰かけながらスマホをいじるふりをしつつ、何度も時間を確認してしまう。
「ただカフェに行くだけだって言ってたのに……」
自分には関係ないと頭では分かっているのに、どうしてこんなにも気になるのか。
そして、夜八時を回った頃、ようやく玄関の開く音がした。俺はリビングの入口へ急ぎ足で向かう。
「ただいま~」
少し疲れた様子の千夏が戻ってきた。思わず言葉が出る。
「遅かったな」
「そんなに遅くないでしょ。話してたら時間が経っちゃっただけ」
千夏がバッグを下ろして笑う。その笑顔に、胸がぎゅっとなる。
「カフェ、どうだった?」
「うん、楽しかったよ。翔太の話、面白いし」
「へぇ、そうか」
妙にそっけない返事になってしまい、千夏も不思議そうな表情を浮かべるが、すぐに視線をそらした。
「それより悠斗は? 今日は何してたの?」
「……特に何も。家でゆっくりしてただけ」
千夏はソファに腰をおろして髪をまとめ直す。俺も隣に座るが、どうにも落ち着かない。気がつけば口が勝手に動いていた。
「……翔太って、なんか調子良すぎないか?」
投げかけるように言った言葉に、自分でも驚く。すると千夏は肩をすくめて返す。
「気さくなだけだってば。そういうところがいいんじゃないの?」
「そうかもしれないけど……」と俺はそれ以上何も言えない。二人の間に微妙な空気が流れ、やがて千夏はリビングを出ていった。
取り残された俺は深いため息をつき、ソファにもたれる。
「なんでこんなに気にしてるんだ、俺……。ただの幼馴染なのに」
胸の中で渦巻く感情は、単なる嫉妬だけじゃない。ずっと避けてきた本当の気持ちに向き合うよう迫られている気がした。
翌日、シェアハウスのオーナーが俺に声をかけてきた。
「悠斗くん、最近千夏さんのこと気にしてるでしょ」
「そんなことないですよ。ただの幼馴染だし……」
「そうかしら。でも、私から見ると二人ともまだお互いに気持ちが残ってるように見えるわよ。悠斗くんはどうしたいの?」
答えに詰まる俺に、オーナーは穏やかな口調で続ける。
「悠斗くんが何もしないなら、千夏さんは翔太さんのほうへ流れていっちゃうかもしれない。それでいいの?」
その言葉に俺の胸が軋む。けれど、どう動けばいいのかも分からない。
その夜、キッチンで一人片付けをしていた千夏に、俺は思い切って声をかけた。
「千夏」
「何?」
「ずっと聞きたかったことがあるんだ。……中学の時、どうして俺に告白したんだ?」
彼女は一瞬目を丸くするものの、すぐに小さく笑う。
「今さらそんなこと聞くの?」
「知りたいんだ。あの時の俺、なんでちゃんと答えられなかったのか分からなくて……後悔してるからさ」
千夏は小さくため息をついてから答えた。
「それは……悠斗が私にとって特別だったから。でも、当時の私は、自分でもどう特別なのかは分からなかったんだよ」
そのあと、翔太が唐突に千夏を映画へ誘う声がリビングから聞こえてくる。俺はまた何も言えず、もどかしさだけが募った。
翌朝、リビングへ行くと、玄関近くに段ボール箱が並べられている。カートンテープを貼る音がシェアハウスの静けさに妙に響いていた。
キッチンを覗くと、千夏が段ボールにラベルを貼っている。思わず声をかける。
「……何してんだ?」
「あ、悠斗。ちょっと荷物まとめてるの。……実は、引っ越すの」
千夏は努めて明るい口調で笑う。けれど、その笑顔はどこか寂しそうに見えた。
「引っ越す? ここ出ていくのか?」
「うん。ちょっと新しい環境が欲しくてね」
俺は納得できなかった。焦りとも動揺ともつかない感情が込み上げ、思わず声が強くなる。
「……本気なのか? ここを出るなんて」
「どういう意味?」
彼女は少し怒ったように目を見開く。
「ここを出る理由なんて、私が決めることでしょ?」
その声は震えているようにも聞こえたが、そこで引き下がるわけにはいかなかった。
「千夏、お前、何か隠してるだろ。無理して笑ってるのが見え見えだ」
ビクリと体をこわばらせた千夏は、ラベルシールを手から取り落とす。潤んだ瞳が俺を真正面から捉えた。
「悠斗には関係ない、って思ってた。……でも、本当はここを出たほうが楽になれるんじゃないかって、そう思っただけ」
「楽になる? それが本当にお前の望みなのか?」
気づけば声が大きくなっていた。千夏は驚いたように顔を上げ、その目に涙を浮かべる。
「どうしてそんなこと言うの……?」
彼女の涙を見て、俺の心も軋む。けれど、ここで引いたらまた同じ後悔を繰り返すだけだ。
「俺にとって、お前はただの幼馴染なんかじゃないからだ」
千夏は俺の言葉に目を見張る。けれどもう止まらない。
「ずっと言えなかったけど、俺はお前が好きだ。中学の時からずっと。本当は、あの頃だって何て返事をすればいいか分からなくて……逃げたんだ」
静かなリビングに、俺の声だけが響く。千夏は動けないまま、じっと俺を見つめている。やがて、その瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……そんなの、卑怯じゃん」
彼女は泣き笑いのような表情を浮かべる。俺は必死に続ける。
「そうだよ、卑怯だ。でも、今は本気で言ってる。お前がいなくなるなんて考えられないんだ」
千夏は沈黙したまま俺を見つめ、次第に泣きながら微笑むように表情をほころばせた。
「悠斗って、昔から変わらないね。こういう大事な時、ほんと不器用なんだから」
手の甲で涙を拭い、千夏は決意のこもった目で俺を見つめ返す。
「でもね、そんな悠斗だから……もう一度信じてみてもいいかなって思う」
結局、千夏は引っ越しをやめることにした。リビングで段ボールを片付けながら、小さく笑う。
「もうちょっと、このシェアハウスにいてもいいかなって」
「本当か? よかった!」
心の底から安堵がこみ上げる。彼女も柔らかな表情を浮かべて頷き、俺の気持ちに応えるようにそっと笑ってくれた。
エピローグ
それから数週間後。シェアハウスのリビングでは、住人たちが集まってわいわいと盛り上がっていた。
「おい、佐藤! 最近千夏と一緒にいる時間長すぎじゃないか?」
翔太がニヤニヤしながら茶化してくる。俺は「気のせいだろ」と肩をすくめてやりすごす。
「はいはい、仲良くやってよ。こっちは応援してるから」
オーナーまでもがからかうように笑っている。その横で千夏は「もうやめてよ」と言いながらも、どこか嬉しそうに微笑んでいた。以前よりもずっと穏やかで、優しい笑顔だ。
「これからもよろしくね、悠斗」
「おう、任せとけ」
お互い、まだ知らない部分もあるし、分かり合えないことだってあるかもしれない。だけど、少しずつ歩み寄って、これからの未来を一緒に作りたい――そう思える。
千夏が隣にいてくれるというだけで、今まで灰色に見えていた人生が少しだけ明るく思えたのだった。