2 不審な男
八月の夜。台風が過ぎ去って、何日か経つ。王女シェリーは久しぶりに海の散歩へと出かけた。付人にバレないよう束の間の時間ギリギリを過ごし、戻ろうとしたところだった。
「こんばんは。いつもここで何をされているのですか。」
と、大声で話しかけられたのだ。慌てて振り返ると、同年代の男が、遠くから近づいて来ていた。怖くなって逃げようとしたが、遅かった。
「待って。君を襲ったり、誰かに告げ口したりはしない。」
間近で聞こえてきたことに驚いている隙をとらえて、男は腕を掴んでいた。諦めてそちらを向くと、遠くからでもわかった、細身ながら幅のある肩やがっしりとした腕が見えた。王女とバレている以上、相手の出方を待つしかない。そう思いシェリーは黙っていた。
しばらくしても静かなため、恐る恐る顔を上げると、月光に照らされた美しい目と目が合った。逃げようとしたため、ばつが悪くあまり顔を見られたくなかったのだが、シェリーは目が離せなくなっていた。それほど、おそろしく整った顔の男だった。
「…質問に答えてくれるまで離さない。」
なおも真っすぐ見つめたまま、男は口を開いた。
同時に、男が来たときの問いを思い出して、シェリーはゆっくり話した。
「本能的に、海辺が好きでいつも海と夜空の月を見に来ています。特に理由はないですし、特に何かをしているわけでもありません。」
「…そうか。」
しかしまだ手が離れないので、もう一押し、と付け加える。
「空想をしていただけですよ。」
「空想?」
「もしかしたら私は人魚かもしれない、とか、人魚だったらどうしていただろう、とか…」
「それは、なぜ、そんなことを考えるんだ?」
男の美しい目は何故か揺れているように見えた。
「しいて言うなら、言い伝えで人魚の血が混じっていると言われているので、海を見るとそう考えてしまうのだろうかと…。」
「本当に、それだけ?」
「?はい。」
「…そうか。」
そもそも空想は勝手に膨らむものであって、それは人魚の意識が根本的にあるかどうかなんて理由はないのでは?とシェリーは思っていた。
変なことを聞かれ、怖くなったので、勇気を振り絞る。
「もう手を放してもらえませんか?」
「ああ、すまない。」
すぐ放してくれたものの、男の顔はいくらか陰っていた。まるで、何かに落ち込んでいるようだった。