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特になき

 

 あなたは魔法使いを殺すことができる。

 あなたは魔法使いを殺すことができる。

 あなたは魔法使いを殺すことができる。

 


「はあっ……はあっ、ぁ……ぅ、は、ぁ……!」

 魔王になった誰かがいた。

夜の町。星の瞬きが街の電灯に音も無く塗り潰される。

  魔王はシズクと言う名前の、魔法使いの幼女に馬乗りになりながら喘いでいる。

  ふたつの影、大人と幼い子供の影、男と女の影が妖しく揺らめいている。

 男の魔物と女の魔物の影がそこに存在している。

 語るべき前提、彼らは人間では無い。

 この世界に「人間」と呼ぶべき生命体は一人も生き残っていない。

 彼らは戦争で全滅した。戦争によって産み出された爆弾によって死に絶えた。


 戦後に辛うじて魔物が生き残り、人間が残した社会を消化試合のように継続させている。

 魔物たちにとって、自分達が生き残るための数少ない手段だった。


 二人もまた、戦争のあとの世界に生きているだけの存在でしかない。



 人に翼が生えていないのと同等の意味合いにて、どうしようもなく、彼らは「人間」ではないし「人間」に成り得ない。

 

 魔王は少女の魔物と殺しあいをしていた。

 そして今まさに、少女を喰い殺そうとしている。

 

 少女が呻く。

「ふ……っ、んぅ……ん、……ぅ……ぁう」

 喉元をすでに魔王の歯によって喰いちぎられている。治癒能力も追い付かず、引きちぎられた首の皮膚の下側の真っ赤な肉や気道の表面が雨粒を帯びてヌラヌラと艶めいている。


「ああぁ、うーぅぁあ、あうぁぁ」


 呻き続ける。

 その少女の姿はヒトと黒猫の合の子のようだった。

 年格好は十二歳より下側ほど。あまり発育がよくないのだろう、手も足も肉が病的に少ない。

 

 ただ、貧相な肉体において髪の毛だけは異様に豊かで艶やかで、いっそ妖艶ともとれる程であった。

 夜のように暗い黒色。空から降る雨に染められ街頭のほの暗さに照らされている。その色彩はどこか虚構のようで、プラネタリウムの星空のように限定された完全なる暗黒を描き出していた。

 

 黒く長い髪の毛に包まれた小さな頭。

 頭頂部から少しはぐれた左右に、黒猫のような耳が生えている。呼吸に合わせて震える、とくんとくん、と血液が柔らかく流れている。

 とても可愛らしい黒い耳。

 間違いなく彼女自身のもの、そしてどうしようもなく生き物で、なにより人間以外の生命体の耳だった。


 一方男にも同じ黒髪が生えていた。

 色も質感も、生き写しのように似ている。


  彼らは魔物、人でなしで。

 人でなし、そしてついでに人殺しである。


  二匹の魔物は傷まみれに、血に塗れて死にかけていた。

  魔王とシズクは互いに色彩こそ異なれど、同様の苦しみを肉体に課している。

  朦朧とする意識。


  魔王は組み敷いているメスの魔物、シズクについて考えている。

 どうしてこんなにも胸が痛むのか。彼は分からなかった。

 しかし彼は既に理由を知りつつある。

 魔王にとってシズクは他でもない、世界で一番大切な女だ。

 生まれて初めて、柔らかな黒髪に生える小さな、小さな猫の耳をみたとき。あの時、ビリリと電流が走った。

  愛だ。

 どうしようもないほどに大切な愛だった。

  どんなに苦しくても、死にたくても、自分を殺したくても、どうせ、否応なしに素敵なことは起きてしまうと、そう期待せずにはいられない。確信を抱いてしまった、忌々しいまでに嬉しい。

  そんな愛だった。



 雨のなか、古ぼけたネオンの明かりだけ、人間のいない風俗街。びちょびちょに濡れそぼつアスファルトの上、愛はシズクを殺そうとしている。


 何故か? なぜ彼は彼女を殺そうとしているのか?

 理不尽な暴力に屈するしかなかった魂を救ってくれた。涙を流しても良いと笑ってくれたから。

 絵をほめてくれた、絵を気に入って貰えた。

 すごいと、素敵な才能だと称えてくれた。

 嬉しかった。生きる決意が湧いた。

  喜びを与えてくれた。

  そんな彼女を殺そうとしている。


 許せないのかもしれない。

  この殺意はガキ臭いワガママと八つ当たり。

  地獄のようなクソッタレの人間の世界に、乳臭い希望なんてものを持たせた彼女が許せなかった。


  彼は彼女に愛している。

 

 腹、内臓、そこから生まれた。

 


  今でも思い出せる、魔王の耳の中にシズクの産声が聞こえてくる。

 産まれてすぐに世界中のフィクションが知りたいと飢えるようだった。

 彼女の目を見て歓喜に震えた。

 

 呪いのようだった。

 一瞬にして彼は彼女に心を囚われた。


 ああ、あれこそまさに愛だった。

  愛情であった。雷を落とされたとはこの事か!

 愛に溺れて、溺れ続けている!

 理由なんて分からない。分からないままでいい、ただ世界のことを少し好きになってしまった。事実はそれだけだった。


 夜空の暗黒の下。星も月もない、雨が降っていた。

 ざあざあ、ざあざあ。雨の雫のなかで、シズクがナイフを握りしめている。

 殺されそうになって、全身傷まみれで血の流れが真っ赤に止まらない。




 魔王は見とれていた。

 愛する彼女を殺そうとしているのは彼自身。



 彼女を殺したらどうしよう?

 それなら答えはもう決まっている。

自殺しよう!

 死ぬことに恐怖は無い、まったく。このまま生きて、生き続けて、生き恥をさらし続けることの方が、恐ろしくてたまらなかった。

 地獄は、戦争のある世界は、まさに苦痛そのものだった。

 毒を飲むよりも、下顎をハンマーで砕くよりも、目玉を指で抉るよりも、顔面の皮膚をハサミで剥がれるよりも。辛い。


「ぁ、う」


 シズクが何かを言おうとしたので、無駄に苦しまないよう、魔王はシズクの上に馬乗りにのしかかる。

 首を絞める。


 魔王の額から滴り落ちる雨の雫が、シズクの耳を濡らす。

 魔物(ゴブリン)としての、動物的特徴。

 人間というクソハゲ猿の頭部とは違う、とても可愛らしい猫のような耳が生えている。

 愛されている黒猫のようにしっとりモチモチとした毛並み。



 愛されている事実に耐えきれない。魔王は堪えきれないようにシズクの顔面を殴る。

 愛欲に似ている暴力。快楽もクソもない雑なセックスで女の膜が傷ついてしまう、不理解による愚かさ。女のヒィヒィとした怯え、無意味な出血。

 魔王はとっさにそう思う。侵入思考がナイフのように頭の奥、柔らかくて大切な部分をぐちゃぐちゃと掻き乱している。

 気持ちよすぎると、頭がそう考えてしまう。

 殴り殺すのもいいかもしれない、いずれ訪れてしまうであろう快楽を期待してしまっている。

 だから考えないように、なるべく違うことを考える。


 考える。

 想像する。



 自分が弱者として差別されること。

 社会において見下され、蔑まれ、軽んじられる存在であることが認められなかった。


 障害者だ、白痴だ、キチガイだと、顔も知らない他人に馬鹿にされ続ける。

 そしてそれらの言葉に怯え、びくびくと恐怖し続ける、人生に絶望をしていた。


 だから魔王はシズクに八つ当たりをしていた。

 何故、こんなもの、ただのわがまま、理不尽。



 これはただの想像なのだろうか?


 彼の歯はヴァージンを奪う男のそそり立った肉の棒が渇いた相手の渇いた穴に捻りこまれるように、少女の肉を破壊した。


 牙がシズクの腹に沈みこむ。

 気がつけば、魔王はシズクのことを食べようとしていた。

 食べたいと思う。

 桃の皮をむくように黒いワンピースを破いた、びりびり、びりびり。

 歯を突き立てる、がぶり。

 牙が腹の皮膚に沈む、ぶっすり。

 皮膚を裂いて、ぶちぶち。

 真皮のピンク色の奥、脂肪の黄色いつぶつぶのさらに奥、グチュグチュと血液と肉の音。

 食べる、もぐもぐ、もぐもぐ、咀嚼の音が口の中に反響する。

 食べ続ける、美味しいようだ、お腹も空いていたので夢中になっている。

 もしかすると、子宮の辺り、卵巣、水のように透明な小さな小さな卵をつぶしてしまったかもしれないと不安になる。


 ああ、あああ、嗚呼……でも止められない! 美味しい!

 牙はシズクのお腹を食い破って、骨を粉々に噛み砕いていた。

 バリボリ、バリボリ。

 少し湿気ったスナック菓子を食べ始める子供のように、彼の頭のなかに単純な味覚のよろこびが駆け巡る。


 シズクがナイフを握りしめ、反抗しようとしたが、無駄だった。


 雷のような速度。 

 しびれが、雨の湿度を通じて彼の脳にも伝達される。

 共有する。少女の肉はとても不思議な味だった。

 えげつないほどのエグ味、血液は血液の味のまま、魔の本能としての味覚が拒絶を起こす。

 どう肯定的にとらえたとしても、美味とは表現できそうにない。


 吐き気を覚える。

 だけど食べることをやめられなかった。

 久しぶりの愛情の味だった、栄養の気配だった。


 記憶が混濁する。

 視点の混乱。

 幻覚をみる。

 戦争で言われるがままに殺した大勢の顔が、全てをそれぞれに鮮明に頭の中で再生される。

 あるいは幼く無力だった彼を陵辱した陰茎、陰嚢から絞り出される体液。

 もしくは誰も助けようとしてくれなかった、無関心の目玉たち。


 たくさんいる、「普通の人間」が自分のことを蔑む言葉が怖くて、毎日泣いていた。

 レイプに魂を殺される、同時に無関心に心を殺される。


 赤が美しかった。

 血液の赤。生きている、生々しいまでに鮮烈な赤。

 彼女だけの色。


 視点が過去を忘れる。

 だが赤色は消えなかった。


 赤色がポタポタと雨のように雫を垂れていた。

 それはめくれ上がったシズクの爪だった。

 彼の歯を外そうとして、爪がエナメル質の硬さに負けてめくれ上がっている。

 爪の内側から血が溢れる、赤色がとても美しい。


「あ」



 血液は止まらない、魔王はシズクを食べ続ける。

 真っ赤な血が流れて流れて、少女は死へと向かう。


 彼女が死んでしまう。

 しかし喜びの質量が悲しみや後悔をアリのように押し潰す。

 彼はシズクの肉を悦ぶ。 

 彼女の真っ赤な血液を味わいながら、彼は空腹を満たす幸せに満たされていた。


 こうすれば本当に愛せる。


 肉を咀嚼して飲み込む。

 喉の乾きが鉄錆の味に潤う。

 少し元気が出たので、魔王は活力と殺意のままにシズクの首を絞める。


 指が皮膚に食い込む。

 苦しそうな呼吸。


「あ……ぅ」


 喘ぎ声。

 彼は彼女の声を聞き逃さない。

 耳を澄ます。

 最後まで聴いていたい。

 愛する女の全てが知りたい。


 命の全てが自分の手の中のある。

 そう思っていた。


 ……だが。


「い……や」


 シズクは怒っていた。


「いや」


 魔王を拒絶していた。


「ウーウー、ウーウー

 あ


 う、う、あぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 悲鳴をあげる、血の泡を吐く。

 怒る、願う。


「やだ!」


 彼女の願い、欲望。邪魔は許さない。

「やだ、やだやだやだっ!」

 彼が死を望むように、彼女は生きることを望んでいた。


 わたしはまだ死にたくない。だって、あなたたちの言葉の続きを知りたい。

 実際に言ったかどうかは分からない、しかし言葉は、理由は既に彼女の現実に届いて、見つかっていた。

 彼女は魔法を愛している。

 見ることを望む。

 だから相手の言葉を求める。

 彼らが作る魔法を見たい。

 魔法を見たい、ついには見るだけでは満足出来なくて自分の手を使ってまで魔法を求めて作る。

 見続ける、作り続ける、魔法を書き続ける。

 世界で生き延びるための方法、シズクの生存戦略。生き延びるための試み。

 彼女は魔法使い。

 死ぬ気は無い。殺されるなんてまっぴら。

 だから、シズクは魔王の手を握りしめる。

 骨を砕くように、強く握りしめる。

 彼の皮膚が敗れて、血がシズクの小さく柔らかい爪を濡らした。


「死にたくない」

  皮膚が敗れ真皮のピンク色が真っ赤に染る。毛細血管をズタズタにする、皮下脂肪の黄色いつぶつぶが丸見えになる。新鮮なウニのようにつややかだ。脂肪の粒をかき分け、引きちぎって雑に筋肉を露わにする。赤色の筋肉がビクッビクッと痙攣している。

  筋肉は固くて引き剥がすのに少し苦労する。少しだけ、興奮しきったシズクには動作もないこと。

  骨は真珠のように白かった。

  血がドバドバと、心臓の鼓動に合わせて溢れ続けていた。鉄臭い、生臭い。

  腐敗のスピードが早いのだろうか。敏感になりすぎた五感が未来予知のような速度を持つ。

  腐って酸っぱくなった、ぶよぶよの肉の塊を想像する。

  後に残るのは骨で、それもいつか溶けて土になる。

 

  透明になる。

  でも、その前に。

「生きていたい。だって足りない、もっと、言葉を、物語を知りたい!」

 与えられるために求める。

 シズクは、自分を殺そうとする魔王の肉を食いちぎった。

 ぶちんと皮膚がちぎれて、肉が破れる、脂肪はプチプチとしていて、血液はリンゴのように酸っぱい。 

 ……そうに違いない。まるで血を分けた分身のように、魔王は彼女のことを全て理解しているつもりだった。


 あるいはケーキより甘い。

 シズクは夢中になっている。

 魔王があまりにも美味しくて、全部食べたくて、夢中になっている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] グロテスクな表現が斬新でした。 [気になる点] 視点があちらこちらにいって分かりずらかったです。
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