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制服の無い母校のおもいで

私の母校には制服が無かった。

かつては有ったらしい。

昭和の時代に、学生運動とか学園闘争とか呼ばれる流れがあって、当時の生徒会が廃止を決めてしまったとかいう話だ。

その当時はまだ男子校だったはずなので、そもそも女子の制服は母校の歴史に存在しないものだった。


制服が無かったので、皆ばらばらな服を着ていた。

生徒手帳には、『高校生らしい服装を身に付けること』と書かれてあったが、高校生らしい服装とは何ぞやという概念が、個人個人で違うのだから、致し方ないのであった。

しかし、他校の制服のようなブレザーやセーラー服を真似て着てくるような子はいなかった。

せっかく制服が無い高校に進学したのだから、という意識も多少は、はたらいていたのだろう。

そんなわけで、ばらばらではあったが、シンプルなブラウスないし綿シャツにジーンズ、あるいはTシャツに膝丈よりやや短めのスカートといった組み合わせが多かったように記憶している。

男子の方も、Tシャツとジーンズが多かった。

一応、入学式や卒業式といった式典の日にはそれなりに気を遣った服装をしてきていたが、それ以外の日は、既に放課後のような服装で、皆、登校してきていた。


最近では、むしろ、制服に似せたような服を敢えて着るというのが流行りなのだそうだが、当時は、そんな風潮は無かった。

制服が無いことで、毎日、着ていく服を選ぶのが面倒という点はあったものの、すぐに洗濯へ回せるという利点はあったし(ただし洗濯を自分でしていたという者は男女ともに、ほぼゼロだと思われる)、天候の変化に対応するのが簡単という点において、特に夏と冬の時期はありがたかった。

他校の生徒が雪の吹きすさぶ中、既定の丈の靴下以外は生足のスカート姿で登校するのを横目に、堂々と防寒ばっちりの服装で登校し、教室でストーブを囲いながら、「制服無くて良かったね。」などと会話するのは冬の日常だった。

酷い話である。

女子は体を冷やしてはいけない、などということは、小学5年生頃から、皆、ことあるごとに周りから言われていた。にもかかわらず、それが制服によって妨害されているという矛盾。しかし、当事者でない者が、その事に気が付いていても、それ以上には発展しないのだった。所詮は他人事なのだ。


一方で、制服が無いことで、なんとはなしに締まらない状況になることもあるにはあった。

記念撮影である。

入学式、卒業式、そして、とくに校外へ出ての行事の際、記念撮影という名の集合写真をクラスごとに撮影するというのは、普通に行われていた。

皆ばらばらな服装であるが故に、統一感というか一体感の無い写真になり、まだ在校中であるのに、同窓会で撮影されたような写真となってしまうのだった。


修学旅行でも、他校の制服集団とは異なり、見た目は、平日に学校をさぼって遊び歩いているグループのような感じになった。

横浜と鎌倉の3泊4日。

3~4人で1つのグループとなり、グループごとに行動、移動。

教師と生徒が学年全体で集合するのは初日と最終日の現地入り・帰郷を除けば、宿泊先でだけ、というスタイルだったこともあって、行く先々で、修学旅行生と見てもらえない場面もあったのだ。

実際に、警察官から声をかけられたグループもあった。

生徒手帳を見せたところ、神奈川県外の、しかもかなり距離の離れた県の高校生ということで、一応納得してくれたようだったが、明らかに疑いの目で見られていたと、不運にも被害にあった子らが話し、それに関しては、夕食時に、担任から注意喚起があったりした。

だいたい、担任も含めて教師たちは3年に1回くらい同じ街に来ており、新鮮味も薄れてしまっていたのか、個人的な買い物に行ったり、現地のパチンコ屋に籠っていたりしたのだから質が悪い。さらに、真面目に修学する気もない生徒も当然の如くいて、そのパチンコ屋に入店してしまい、既に台の前に座っていた教師と鉢合わせするという、今だったら炎上騒ぎになりかねない事態も起こっていた。

そして、それらの話は、その日のうちに尾ひれを付けた形で学年中に広まっていたのだった。


田舎の高校生たちは、他県の高校生たちと事を構える度胸も無かったので、間抜けな逸話だけが積み重なるのだったが、制服が無いということで、緊張感のないだらんとした感じが溢れ出ていたのは間違いないだろう。

鎌倉は、なかなか興味深い土地ではあるのだが、高校生くらいの年代ではその良さが理解できにくかったりする。歴史的な名所とされる場所も鶴岡八幡宮と鎌倉大仏以外は、こじんまりとしていたり、派手な表示もなかったりする。さらに、基本的に狭い場所が多く、集団でわいわい、がやがやとするには不向きなのだ。そして、だからこそのグループ行動ではあった。

今では修学旅行の行先や日程も変わってしまっているかもしれないが、母校の生徒が旅行先で事件に巻き込まれたというニュースは、いまだに聞いたことがないので、まぁ、それなりにうまくやっているのだと思っている。


母校が制服を採用するという話は、今のところ出ていない。

黒森 冬炎 様

企画に参加させていただき、ありがとうございます。

お誕生日おめでとうございます。

いつも、楽しい、素敵な作品を読ませていただき、さらにヘンテコ仲間としてもお付き合いくださり、猫は常々感謝しております。

これからも、どうか、よろしくお願いします。

猫らてみるく 拝

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― 新着の感想 ―
[良い点] アルなところ、リアリティがあるところ。 制服がなくなった経緯、職質された際の学生と警察のやりとり、寒い日の何気ない「制服なくて良かったね」というコメント、記念撮影の締まらない感じ。 どれも…
[良い点] 私は中高共にブレザーの学校だったので、私服通学の学校のメリットとデメリットが実に興味深かったです。 季節や天候の変化に対応しやすい反面、修学旅行や卒業式といった学校行事では統一感を欠いた印…
[良い点] 無い「制服」 [気になる点] フィクションと書いてありましてよっ!みなさま。 [一言] 鎌倉私服ワイワイは、小中通して何度か学校行事でありました。 地元民や観光客大人に、励まされたり注意さ…
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