1章 『千里』 蝶1
何も変化が無い毎日。
両親に愛されるわけでもなく。
孤児院の職員達の安っぽい愛情。
何もかもが退屈でつまらなかった。
グレてグレてグレまくってやった。
私はどれだけ邪魔な存在だっただろう。
孤児院の義務ってだけで縛り付けられるのはこりごりだった。
そして突如現れたこの男、屋敷川宗雅はこんなつまらない毎日を打ち破る救世主かもしれない。
「いいよ。連れてってやるよ。神社。」
「ありがとうございます。」
宗雅は千里の手をとると
一気に抱え上げて窓の縁に乗った。
「ちょ、待てって!!ちゃんと梯子があるからそこから降りようって!!」
「えぇ〜っ、めんどくさいから跳んじゃうよぅ」
「は?ぎ、ぎゃああああああ!!!!」
ピョンっという効果音が鳴るのに相応しい飛び降り方をした。ズドーンっと着地し、芝生が舞い上がった。
「うわおっ!?」
着地したとたん宗雅の膝がカクンと曲がり、見事尻餅をついてしまった。
「ぐえっ」
千里は頭から地面に転落し、しばらく起き上がれなかった。
「お前なんで着地もまともにできないんだよ!!あの階から飛び降りるんだから着地には自信があるはずだよなあ!!!」
「無かったです。」
「はあ!?殺す気か!?」
ギャーギャー騒ぐ千里の口を手で塞ぐ。
「静かに。施設の職員に無断外出がばれちゃいますよ。」
「あ…ごめん。」
千里を立たせ、背中に付いた草を払うと、宗雅は千里の手を取って案内を促した。
「神社はどちらです?」
「ついてこいよ。」
2人は小さな森の方へゆっくりと歩いていった。
先日、茉莉と歩いた小道。二回目となると小川も林も普通の光景に思えた。
「狐は人の心を巧みに操り取り入って呪殺してしまうそうです。」
「へぇ…」
「あなたが感じた幽霊はその類かもしれませんね。若しくは…九尾ノ神本体という可能性も。」
「……着いたぜ。」
宗雅のどうでもいい話を聞き流していたら、いつの間にか神社に着いていた。相変わらず雰囲気を醸し出しており、中央のお堂は凛としていた。
「お堂の中、入っちゃいましょうか」
「あの中には変な銅像があるだけだよ。」
「ほう…」
以前見た黒くて大きな銅像。相変わらずその存在感は想像を絶するものだった。宗雅はゆっくりと銅像に触れた。
「美しい九本の尾だ。1000年前に人々が崇めた九尾ノ神は確かにここにいた。」
「お前も狐様の信者なのかよ。」
「信者といえば信者です。」
「意味わかんね…」
千里も銅像に手を触れた。1000年前に存在したと言われる狐様は何を思って神として君臨していたのだろう。
「1000年前のこの地はとてものどかで平和な村だったそうです。九尾ノ神の庇護のもとで飢餓や戦も無く、人々は幸せに暮らしていた。」
淡々と話をし始める宗雅に静かに耳を傾ける。
「しかし幸せはそう長くは続かなかった。」
「……?」
ギリっと歯軋りした音が聞こえた。宗雅の表情を見ると、怒っているようだった。
「村人全員が惨殺されたそうです。地は割れ、木々の破片が村人の身体に突き刺さり、村全体が火に飲み込まれた。」
「惨殺?災害だろそれ」
「いえ、『惨殺』です。」
「え…」
「九尾ノ神が殺したんです!!!何が神だ!!このっ」
宗雅は急に癇癪をおこし銅像を殴りはじめた。にぶい金属音が建物内に響いた。
「お、落ち着けって!!」
宗雅の腕を掴み、制止させた。宗雅はまだ息切れをしているようだった。
「すみません…」
「その……狐様が村を滅ぼしたから…そんなに怒ってるのかよ」
「はい。俺は理由などありませんが村を滅ぼした凶悪な妖怪が現在に至るまで神として存在しているのが許せないんです。狐高教の存在も忌々しいです。」
「………。狐高教をどうする気だよ?」
「潰してみせます。それと、あなたのいる孤児院は狐高教経営ですからね。そこはなんとかしなければなりませんね。」
銅像の目が日光で光った気がした。
外ではせわしなく鳴くアブラゼミ。いつもと何も変わらない風景。1000年前にあったとされる村もこんな感じだったのだろうか。
しかしおかしな話だ。
狐様が村人を全員惨殺したのならその後の狐様の信仰は誰が語り継いでいったのだろう?村の外の部外者か?いや、村の外の部外者なら村人惨殺事件をただの災害と思うだろう。それとも村人の中に生き残りがいたのかもしれない。
「もういいだろ?早く帰らなきゃ無断外出ばれちまう。」
「そうですね。お付き合いありがとうございます。」
2人はお堂を出てもと来た道を歩いていった。
ゆっくり帰ってきたせいで孤児院の門前に着いたのは昼近くになっていた。
宗雅は千里を孤児院まで送り届けてくれたようだった。
「それじゃ、また会いましょう。」
にひひと笑みを浮かべて手をヒラヒラと振った。
「もう会いたくねーよ」
「ひどっ」
さっさと別れを済ませて孤児院の門を開けた。
「……?」
いつも園庭で遊んでるはずの子供達の姿が無い。
遊具がキーキー風に揺れて物寂しい感じがした。
千里は正面玄関から中に入り食堂に向かった。院長や職員や数人の子供の姿が見えた。
院長の裕子が千里に気がつき、慌てた様子で、乱暴に肩を掴んだ。
「千里ちゃん!!今までどこにいたの!?今はここにいてはだめよ!!!部屋に戻ってなさい!!」
「は!?何を隠してるんだよ!!!」
千里は裕子の手を払いのけ、職員が囲むある物体を見た。
「うっ…あ…」
……そこにあったのは血塗れの子供の死体だった。首が無く、腕も足も変な方向へ曲がっていてとても見られるものではなかった。
「んだよ…コレ…」
千里はショックで腰を抜かし座り込んでしまった。
血が虚しく滴っていた。