1章 『千里』 ハジマリ2
「行こうよ千里ちゃん」
ぐいぐいと千里の手を引っ張る茉莉。体格のわりには相当強い力の茉莉に違和感を感じた千里は足の力が抜けてへたりと座り込んでしまった。
まるで極寒に耐える遭難者のように体は震え、茉莉と接触している部分は氷水に浸しているような冷たさだった。
「はな…せよ…」
「あ…千里ちゃ…ごめんなさい」
茉莉は千里の目線に合わせるように座り心配そうに千里の頭をさすった。
「ごめんなさい千里ちゃ…」
「そこで何をしてるの?」
茉莉はビクッと体を跳ねさせ千里の手を握る。
――院長…
現われたのは狐高教の教祖兼孤児院院長の上山裕子だった。まだ年若く、千里ぐらいの年齢の子供の母親ぐらいだろうか。
「茉莉ちゃんは熱があるんだから部屋にいなきゃだめでしょ?」
「…」
黙ってしまった茉莉。
その表情は険しく、誰かを憎んでいるようだった。
「千里はまだ先生達を困らせてるの?もうすぐ16歳なんだからしっかりしなくちゃ」
「うるせぇよ」
「今日は狐様の神社にお参りしなきゃいけない日よ。狐様に怒られちゃうわ。狐様に歯向かったり裏切ったりしたら熱い熱い業火で骨も残さず焼き尽くされちゃうの。嫌でしょ?」
クツクツと笑みを浮かべ千里を立たせる。
その冷たい笑みにビクッと体が反応する。
仮にも孤児院の院長が、火で焼かれるなどと言って子供を恐がらせていいのだろうか。
茉莉は相変わらず俯いている。千里の裾をぎゅっと掴み震えているようだった。
「何が狐様だよ。くっだらない。あんたもあんたでどうかしてる!!!」
「千里ちゃん!!」
院長は千里の肩に手を置き、諭すような口調で話し始めた。
「狐様はちゃんといらっしゃるわ。それはそれは絶大な力を持っているの。ここの孤児院はね、狐様の庇護の元でやっていってるのよ。1人でも狐様を否定すれば罰を受けることになるの。苦しくて死にたくなるような罰よ。だから千里ちゃんもお参り行ってきなさいな。」
なだめるように頭を撫で、茉莉を部屋に連れていこうとする院長。先程から黙りこくっていた茉莉は歯ぎしりをして院長を睨み付けた。
「狐様は罰を与えたりしないわ。」
物静かな言い方だが腹の中は相当怒りくるってる様子がうかがえる。茉莉は感情を押し込めるようにぐっと拳を握り、また俯いてしまった。
「院長は狐様の血を引いてなんかいないわ!」
少し力を込めて言い放つ。
院長は一瞬顔を歪めたが、すぐに元に戻った。うそ臭い笑顔を振りまき、静かに囁いた。
「ダメよ。茉莉ちゃん。今の発言は狐様に対する反逆の印。私の御先祖様は本当に狐様だったの。私は狐様の意思を継いで宗教団体を創りあげてみんなを護っているんだから。」
何を言ってるんだ?と千里は思った。いい大人が狐だの神様だのと夢物語のような発言をしている。茉莉の発言もいまいち理解できないが、なんだか馬鹿馬鹿しいので部屋に戻る事にした。
パシッと後方で音がする。茉莉が院長の手を払いのけて、千里の元へ走ってきたのだ。
「なんで来るんだよ」
「千里ちゃんが誤解しちゃいそうなんだもん…。狐様は人を怖がらせたり火で焼いたりなんかしないのよ」
いい加減うざったい。院長もそうだが茉莉もどうかしている。
「私は狐様の存在自体信じてないから」
「千里ちゃん…」
茉莉は涙目になっている。狐高教の信者共はここまで異常なのか。
「千里ちゃん、神社へ行こう?狐様にお参りに行こう」
茉莉があまりにもしつこいので、わかったよと承諾してしまった。茉莉は大層喜び小さく跳ねた。