1章 『千里』 桜吹雪1
私は両親を恨んでいた。
顔も知らない両親のことなど半ばどうでもよかったが、6歳のときに『恨み』という感情が芽生えた。
授業参観では私だけ両親が来なかった。来ないもなにも『いない』のだから仕方がないのだけれど。
周りの子供達は親が見えると大喜びではしゃいでいた。
私が、私だけが惨めな思いをした。
親がいない、それだけで陰湿ないじめにあったりもした。殴られ、蹴られ、髪の毛を切り刻まれ…
抵抗するなら『女の子』を捨てるしかなかった。成長と共に差が着く男女の腕力。私は残酷ないじめに打ち勝つ為にたとえ力では叶わわずとも容姿だけはどうにでもなる。
私は髪を切り、スカートなんてものははかず、言葉使いも男の子のように変えた。
いじめが延々と続いていたので学校での居場所は無かった。孤児院に帰ってきても嘘臭い職員の笑顔にうんざりで、どこにも心を休ませる場所なんて無かった。
私が中学生になった時、院長に一枚の紙を渡された。
高級な桜が散りばめられた和紙が一枚、薄ピンク色の封筒に小さく折り畳んで入っていた。
「なんだよこれ…」
「あなたがここに入所したときにあなたが持っていた手紙よ。」
「私が…持っていた…?」
「まだあなたは赤ちゃんだったけどね。」
「……私は生まれてすぐここに入れられたのか?」
「……ええ」
私はショックを受けた。生まれてからすぐにここに入所させられたのだ。愛されなかった。いらない子だったのだ。
「この手紙、誰から?」
「あなたの母親からよ」
「お母…さん…!?」
私は少し乱暴に和紙を開いた。私はそこに書かれた文字を突き刺すように見た。手の震えが止まらない。
そこには
『千里をよろしくお願いします』
と、一言だけ。
「お母さん…」
母親が唯一残していったものだった。私は何度も考えた。
どんな顔をしているのだろう?
どんな声をしているのだろう?
手紙に書かれているその筆跡は拙く、文字を覚えたばかりな者が書いたような字だった。
院長は優しく私を抱き締めた。いつもなら鬱陶しいと思うところだが、今はそんな気持ちになれない。
「もし母親が本当にあなたのことを愛していないなら、こんな手紙を残していかないわ」
院長が言った言葉は私を元気づけるためで真実味がないが、それでも私は心が満たされていった。
「お母さん…会いたいよ…お母さん!!!!」
枯渇したと思っていた目から涙がこぼれた。
手紙を握り締めて院長にすがりついてわんわん泣いた。
泣いても泣いても止まらないしょっぱい涙。
その日の夜、私は手紙を書いた。もちろん母親宛てに。
『お母さんへ
千里です。13歳になりました。
お母さん、今どこにいるの?
私を置いていかないで
いじめになんて負けないから
いっぱい待つから
置いていかないで
ここには私の居場所は無い
助けて 助けてよお母さん
お父さんにだって会いたい
私をここから出して
出して出して出して!!!』
そこまで書いたら
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
手紙なんて書いたって
届きやしないのに。
私が生きているか死んでいるかすらわからない母親と幸せに暮らす妄想をし始めたのはこの頃だった。
朝起きれば笑顔で迎えてくれる優しいお母さん。少し遅れてかっこいいお父さんも起きてきて私の頭を撫でてくれる。
学校に行けばいじめなんてない平和な日常。
私はいつも笑っている。
しかし何かの拍子で急に現実に帰ってきてしまう。
そこは静まり返った寂しい孤児院の個室だった。
母は自分を捨てたのだ。
腹を痛めて産んだ娘に残していったのは手紙一枚というなんとも思い入れがないものだった。
自分を捨て、逃げた母を恨む裏にはどこか甘えたいという気持ちもあった気がする。
私が中学3年生になった頃には、両親と幸せに暮らすという妄想はしなくなった。
私が母親宛てに書いた手紙は未だに引き出しの中だ。
母親なんていない。
そう思ったのに…
目の前にいる妖怪達から母親のことについて知らされた。
私は妖怪と人間の子供という数奇で奇跡な存在なのだという事も。
「千里様、もう一度お母さんに会いにいきましょう。俺達僕が全力であなたをお守りします。」
烏丸の手が千里の頬に触れた。
乃亞や茉莉も千里の傍に寄り、跪いた。
「お母さんに会いたい!!!私はこれからお母さんと一緒にいられるの!?」
「●●様と千里様を引き裂こうとしている地獄黒蝶さえ消えればその願いはきっと叶います。今●●様が地獄黒蝶と決着をつけてらっしゃるはずです。それまでここに待機です。」
「…わかった。」
私は捨てられてなんかいなかった。ちょっと不思議な現象ばかり起きているけれど、あの妄想の世界が現実になるかもしれない。
「ま…待ちなさい!!」
急に背後から声がした。
上山裕子が目を覚まし、野亞の足を掴んでいたのだ。
まだ微妙に意識が朦朧としている。
「だめよ…!!!私は狐様から…あの子から千里ちゃんを任されているの!!!」
息切れをしながら必死にこちらに訴えかけた。
「院長…!!!!目が覚めたのか!!!」
「預かっているか…●●様は上山裕子との関係を一切話してくれなかった。お前は●●様と何の関係がある?千里様を預かっているとはどういう事だ?話せ」
烏丸が凄むと裕子は少し萎縮した。
「私は狐様にこう言われたの…『千里を人間らしく生きさせてあげて下さい。』と。」
「●●様が千里様を孤児院に預けた事は知っている。でもまさか直接人間の女と接触しているなんて知らなかったぜ…」
千里は不安げに烏丸を見上げた。
千里は思った。自分のことなのに何もわからない。
でも自分を取り巻く人物は千里自信をよく知っている。
―――人間らしくって何?
―――狐様は何を考えているの?
この時、空き家の周りを黒い蝶が取り囲んでいるのに誰も気づいていなかった。