1章 『千里』 ちる4
耳障りな甲高い声は境内をこだました。
気持ちが悪いくらいに群れた蝶はやがて人の形を成し、黒い闇を作った。
「気持ちの悪い蝶を使うのは相変わらずね。その蝶でどれだけの人間を殺したのかしら。藍花…」
狐妖怪の少女は眉を潜めた。空中にいた黒い蝶の塊は地に足をつき、ようやくその姿を現した。
「久しぶりね。●●。私の芸術作品はいかがだったかしら?」
蝶から姿を現したのは黒いフリルがあるドレスを着た少女だった。狐の少女より少し年上に見える。
「悪趣味よ。反吐がでるわ…」
「あったりまえじゃない。あなたが嫌がることをしたんだから。それにお姫様が『反吐』とか言っちゃだめよ。はしたないわ。」
挑発するような口調で少女に言う。藍花はクスリと笑うとまた宙に浮いた。
「『本当に殺したい子』は逃げちゃったみたいだけど。」
少女は目を見開き、一瞬歯ぎしりしたがすぐやめた。
「ねぇ、聞かせて?あなたは千年もどこに姿を隠していたの?」
「……」
「あらぁ?黙秘?貴女ほどの大妖怪が千年という永い間誰にも見つからない場所に隠れるなんて…理由があるのよねぇ?」
藍花は意味深な笑みを浮かべた。
藍花の周りには黄金に輝く黒アゲハが舞っている。
「ねえ。人間の何処がよかったわけ?」
「……っ!!!」
『人間』という単語が出てきたとたんに狐少女の表情が変わった。
真紅の瞳が少し揺れた。
「あんな下等生物、興味すら持てないわ。まあ惨殺するにはいい獲物だけど。」
「…黙りなさい。」
「生きている価値が何も無い!!!虫以下の存在!!!!」
「黙りなさい」
「何もできないのに無駄に頑張って失敗した上に無駄死に!!!!」
「黙りなさいと言っているでしょう!!!!!!!!!!!!!」
挑発的な藍花の言葉に我慢できず、声を張り上げた。それと同時に狐少女の周りから大量の炎が噴き出した。地獄の業火のように熱く、赤々と燃え盛っていた。天にまで届くようなその炎は激しい音をたてて渦巻いた。
「末期ねえ。まさかそこまで人間に心を奪われるなんて思わなかった。」
更に高い声をあげて笑った。空には大量の黒アゲハと、それを焼く業火で埋め尽くされていた。
「これ以上人間を侮辱するならば貴女を骨の髄まで焼き尽くします」
狐少女を取り巻く炎が青色に変わった。藍花の黒アゲハは跡形もなく焼き尽くされ、虚しく灰となって地に落ちた。
「できるかしらぁ?今の私は千年前の私とは段違いよ!!!!貴女のそよ風のような狐火なんて痛くも痒くもないってことを教えてあげるわ!!!!」
藍花の妖気が何十倍にも膨れ上がり神社の建物を崩壊させた。大きな音をたてて崩れていく様子はまるで震災でも起きたかのようだった。同時に狐少女の真紅の瞳が猫目のように鋭くなり炎が増大した。
「裁きを受けなさい!!!藍花!!!!」
「キャハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
2人は同時に地を蹴り凄まじいスピードで衝突した。その衝撃で大きな爆発が起き遠くまで爆音が鳴り響いた。
「…」
その頃兎叉に乗って空を移動していた千里達は山奥の空き小屋に辿り着いていた。
兎叉は通常の姿に戻っており、千里の肩に乗っていた。
乃亞は先に小屋に入って中の様子を確認をしに行ったようだ。
「この小屋なんだよ?」
「地獄黒蝶の勢力が行き届かない場所よ。」
気絶している裕子を担ぎながら茉莉は答えた。
こんな幼い身体のどこに大人の身体を担ぐ力があるのだろうか。
「院長…まだ目覚めねぇの?」
「全くダメね。そうそう、この女には色々聞きたい事があるから早く目覚めてもらわないとね」
「狐様との関わりですか?」
兎叉がぴょんぴょん跳ねながら質問した。
「そうよ。上山裕子と●●様が関わっている理由は知ってる。でもなんで人間の女なんかに…っ」
「え…?」
茉莉は顔を歪めた。裕子と狐様の関係を知っているようだったが、決して教えてくれなかった。
すると小屋の扉が開き、乃亞が中に入るように促した。千里達は言われた通りに中に入ると、強烈な薬の臭いがした。
「うっ……」
強い酸の臭いが鼻を刺激した。
部屋の奥を見てみると、血塗れで床に伏している男性がいた。
「む…宗雅!!!!」
その姿を確認すると、すぐ傍に駆け寄った。
地獄黒蝶に貫かれた身体はとても痛々しかった。
「宗雅っ!!!宗雅!!!」
千里は必死に宗雅に呼び掛ける。
宗雅は微動だにしなかった。
「おいっ!!返事をしろよ!!!宗雅!!!宗雅ぁ!!!」
揺するように宗雅の身体を動かす。
千里の目には涙が溜まっていた。
「目を開けろよぉ……」
ついに千里の目から水滴がこぼれ、数滴宗雅の手元に落ちた。
「今は治療中ですぜ。無理に動かさないで下さい。千里様」
「え?」
いつのまに現われたのか。突然千里の真横に長身の男がいた。男は千里の手を握り引き寄せた。
「ちょっ…///」
男は千里を胸元に引き寄せ抱き締めた。千里は驚いて引き離そうとしたが、強い力で抱き締められているのでびくともしなかった。
「そんなに警戒しなくていいですよ。俺は烏丸。烏天狗という妖怪です。我が主狐様の僕の一人です。」
「…しもべ?」
はい、と爽やかに答える青年の笑顔はなんだか軽そうな印象を受けた。
「狐様もこうやって抱き締めると真っ赤になって突き飛ばしてきましたよ。」
「烏丸!!!」
乃亞が烏丸の胸元を掴み床に投げ飛ばした。
「余計な事はしゃべるな」
乃亞が凄い形相で烏丸を睨んでいた。
「…ふぅ。狐様はですね、俺には振り向いてくれなかったんですよ。俺は●●様の生まれた頃から一緒だったんですけどね…●●様はたった1人の『人間』しか見てなかった…」
「烏丸!!!」
烏丸は何故狐様の事をそんなに話でくるのだろうか。乃亞はそれを必死に止めているかのような行動をしていた。