1章 『千里』 蝶3
宗雅は黒アゲハが心臓を貫く前に一気に引き抜いた。胸からの出血が激しく、目が霞んで思うように動けなかった。
「む…宗雅…」
マントを脱ぎ捨てて宗雅に駆け寄るが、宗雅に制止された。その手は震えていて血でドロドロしていた。
「マントを…脱いではいけません…」
「ご…ごめ…ん」
急いでマントを着直すが黒アゲハは容赦なく降ってくる。
「み…南より来たりし…朱雀の神火よ…彼少女ぐあああっげほっげほっ」
今度は背中に突き刺さった。宗雅は吐血し、床に這う体勢になっていた。
本棚は倒れ、ベッドは崩壊している。殺人現場のように血に塗れた部屋と化した。
「いったあ…」
結界の火の鳥は殆ど消えていた。無数の黒アゲハが結界を突き抜けて千里の肌をかすっていた。
「千里さん!!!!そこのドアから逃げて下さい!!」
「やだよ!!宗雅が死んじまう!!!」
「いいから逃げろ!!!」
宗雅は千里に手をかざし、青白い光り輝いた。
「!?」
千里の腹に気泡が放たれた。千里は思いっきりドアの向こうに吹っ飛ばされた。ガタガタッと音を立ててドアを突き抜けて隣の部屋まで飛ばされた千里はその光景に目を丸くした。
隣の部屋の子供3人の首がなかったのだ。
「ちょ……嘘だろ…」
3人の首無し遺体の周りにはあの黒アゲハが舞っていた。しばらく踊るように浮遊していたが、しばらくしたら力尽き遺体と共に横たわった。
「まさか…」
千里は部屋から出て廊下を見渡した。アートのように規則的に飛び散る血。この孤児院にいる子供達の殆どが殺されたのだろう。
千里は院長達がいた食堂に向かって走った。無我夢中で走っていたが、あることに気が付いた。
「茉莉は…?」
千里は恐らく茉莉も殺されているだろうと推測したが、一応生死を確認したいと思っていた。
食堂に向かう途中、茉莉の姿を探すが、いる気配は無い。
「どこだよ…!!茉莉…」
食堂に辿り着くまでの部屋はあと一つしかない。ダメ元でドアを開けた。
「え…」
その部屋には数人の大人の死体があった。孤児院の職員だ。そしてその中央には返り血をびっしりと浴びた少女が立っていた。こちらに背中を向けていたが、すぐに誰かわかった。
「茉莉…」
名を呼ばれると、ゆっくりと少女は振り向いた。目が猫目になっており、年相応の無邪気な表情は一切なかった。
「茉莉…なにしてんだよ…」
「……」
「お前がみんなを殺したのか?」
「さあ?どうだか」
やけに低く大人びた声だった。茉莉は笑みを浮かべると、光となって姿を消した。
「茉莉…まさか…お前が…」
狐様。
なんと酷い…
なんと無慈悲な…
千里は動かない職員の死体に近づき涙を流した。
「ここの奴は狐様を信じてきたんじゃねーのかよ…私は信じちゃいなかったけど…こいつらはお前を崇め、心の拠り所としてお前を頼ってきたんだ…なのにこの有様はなんだ!?答えろよ!!!茉莉!!!!九尾!!!!」
「動くな」
「!?」
千里の後ろに誰かが立っていた。
千里はゆっくりと振り向くと少年が立っていた。
「僕は乃亞。」
乃亞と名乗る少年は、
千里に近づいてきた。千里は思わず後退りした。
「く…くんな!!!」
後ろは壁、前には乃亞。逃げ場が無かった。
乃亞と名乗る少年は、とても綺麗な顔立ちをしていた。年齢は18前後だろうか。
「お前っ…人間じゃないだろ…!!!!!」
「………はい。」
やっぱり!!!と言おうとしたらいきなり千里の腕を掴んで手を取り、跪いた。
「お誕生日おめでとうございます。千里様」
「へ…?」
なぜ人間ではな無い奴に誕生日を祝われなければならないのか。そういえば今日は自分の16歳の誕生日だった。この騒ぎですっかり忘れていたが、こんな血みどろで最悪な誕生日は今までなかった。
「な…なんで…誕生日なんか知ってるんだよ…」
千里が恐怖で震えているとわかると、触れていた手を離した。相変わらず跪いている。
「教えて頂いたのです。」
「だ…誰に?」
「あなたの……いえ、なんでもありません」
千里は訳がわからなかった。この少年は何もしてこない。それどころか自分に跪き、誕生日を祝ってきたのだ。乃亞は奥行きのあるブルーの瞳で見つめてくる。千里はおもわず視線をそらした。
「え…と、乃亞くん?君は妖怪なんだろ?私を殺さないのかよ?」
恐る恐る聞くと、乃亞は少し笑った。
「殺しません。貴女をお守りします。」
「へ…?」
乃亞は千里の手を引き、部屋を出た。
途中、黒アゲハの大群が押し寄せてきたが一瞬で全てをねじ伏せた。
「千里様、僕から離れないで下さい。」
乃亞がどこに向かっているのかがわからなかったが、とりあえず今はついていくしかなかった。
乃亞は攻撃の際、獣のように爪が伸びて切り裂く。黒アゲハはひとたまりもなかった。
「そうだ!!乃亞くん!!あっちの部屋に宗雅という男がいるんだ!!!助けてやってよ!!!」
「仰せのままに」
乃亞はギュンっと方向転換し、ジェット機と思わせる早さで廊下を駆け抜けた。
最初に黒アゲハと遭遇した千里の部屋に辿り着くと部屋は先程よりも酷い状態になっていた。黒アゲハの死体が散乱していて、血の強烈な臭いが充満していた。攻撃は止んでいるようだ。
「宗雅!!!」
宗雅は壊れた本棚に寄りかかるように倒れていた。千里はすぐに宗雅に駆け寄った。
「千里さん、無事でしたか…」
「お前…怪我が…」
宗雅の怪我はほぼ完治していた。傷口は閉じている。
「これくらいの怪我は痛くも痒くもないですよ。」
ほらほら!!と体を見せてくる。とりあえずは大丈夫なようだ。
宗雅は近くに控えていた乃亞に気が付いた。
「!!!!お前…!!!」
宗雅は乃亞に刀を向けた。
「違うぜ宗雅!!!こいつは乃亞と言って…えっと…」
「鬼です。」
挟むように乃亞が話す。乃亞は慌てる様子もなく壁に寄りかかり、腕を組んでいた。
「鬼がどうしてここにいる」
刀を握り直す。
「お前は…陰陽師の類か。黒アゲハは奴の僕にすぎない。そんなものにも太刀打ちできないのなら千里様を護ることなど到底できない。大人しく帰れ。」
「なんだとっ!?」
宗雅は怒っているようだった。
「鬼…!!!この黒アゲハは九尾ノ神の僕と言ったな…」
乃亞はため息をついた。その態度が宗雅の逆鱗に触れてしまった。
「この鬼餓鬼が!!!!なんとしてでも九尾について吐いてもらうぞ!!!!」
「宗雅!!!」
千里の制止も聞かず、乃亞に飛び掛かっていった。
刀を勢いよく振りかざすが、片手で止められてしまった。
「お前は陰陽師としても不十分なようだ。この黒アゲハは九尾のものではないのに。」
「なっ…」
宗雅は刀を落とし、地面に墜落した。
乃亞は宗雅を見下し、冷たく言い放った。
「無力な人間は消えろ。命までは取りはしない。何を九尾に執着するのかは知らないが、あの人はお前ごときを相手にしない。早くそこの窓からいなくなれ。」
千里は呆然としていた。
なにがなんだかさっぱりわからなかった。