貴方の気持ちを教えてください。
わたくしには婚約者がいます。
同い年で、同じ侯爵家のロバート様です。
親同士仲が良く、いずれお互いの子供同士が結婚できたらいいねという安易な口約束をしていたことで、わたくしとロバート様は引きあわされ、相性もよさそうだということで婚約が成立しました。
八歳の時でした。
こう言ってはなんですが、わたくしの初恋はロバート様でした。
わたくしの父と母は平凡な容姿の夫婦です。親戚も平凡な容姿の方ばかり。その平平凡凡の二人から生まれたわたくしも、当然平凡な容姿です。
ですが、ロバート様は違いました。
ロバート様もお父様もお母様も、その御親戚たちも、その美しさで社交界を賑わす方たちです。当然、ロバート様も幼少のころよりその天使とみまごう美しさで人々を魅了してきました。
わたくしも、その美しさに魅了され、虜になった一人です。
親によってもたらされたとはいえ、ロバート様と婚約出来たことはわたくしにとって僥倖でした。
それから十年の間、わたくしたちはそれなりにお付き合いを重ね、わたくしの一途過ぎる初恋も落ち着き、愛ではなくともお互いを思いやれるような関係を築いていました。
ですが、そう思っていたのはわたくしだけだったようなのです。
学園に入って三年目、後一年で卒業し、結婚するという今になってロバート様の浮気が発覚しました。
お相手は、今年度の初め転入してきた男爵令嬢です。
よくあるお話、そう思った方は多いと思います。
わたくしもそう思いました。
男爵令嬢の行動はまさに小説のようでした。
男爵令嬢の噂は、最初は彼女と同じ男爵令嬢たちの間で、
二ヶ月後には子爵令嬢たちの間で、
四か月後には伯爵令嬢たちの間で、
そして半年たった今、わたくしを含む侯爵令嬢の間に広がっています。
その内容は、すべて同じ。
婚約者が男爵令嬢と浮気をし、婚約解消を求めてきた、と言うものです。
初めてその話を聞いた時から、予兆はありました。
きっとわたくしの婚約者もその一人に名を連ねるに違いない、と。
何故なら男爵令嬢のお相手たちは、ロバート様の容姿と良く似ているのです。
男爵令嬢が虜にしてきた男性は、社交界でも見目麗しいと名が上がる方たちでした。
性格は分かりませんが、わたくしも一度は鑑賞するべき、とお名前を聞いたことがある方ばかり。
残念なのか、喜ばしいことなのか、ロバート様はその方たちと同じように容姿端麗な方です。幼いころの美しさそのままに、均整のとれた肉体を手に入れたロバート様は、社交界を賑わす一人となっています。
―――毎回違う女性をエスコートしているという噂と共に。
ですので、男爵令嬢が狙い定め、落としていく男たちの階級が上がるたび、次はロバート様かもしれないという不安は、至極まっとうな感情だったと思います。
そして数日前、とうとうロバート様がその手に落ちたと聞きました。
わたくしはいてもたってもいられず、ロバート様のもとへ走りました。
学園の中庭、少しだけ人目が避けられる木の下のベンチに、ロバート様はいました。
その傍らには件の男爵令嬢がいます。
男爵令嬢は噂にたがわぬかわいらしさでした。
ふんわりした長く明るい金色の髪は良く手入れされていて、白く柔らかな頬で繊細に揺れています。
瞳は大きく宝石のような緑色で、ふっくらとした唇はつややかなピンク色。
少し太めに見えるつくりの制服なのに、体は細くしなやかに、大きな胸は肉欲的に人目を誘い、ロバート様にしなだれかかりうろたえる様は庇護欲を誘う、と言う言葉が良く似合っていました。
「ロバート様。こちらにいらしたのですね? あら、そちらの方は?」
わたくしはさも今気がついたと言うように、男爵令嬢を見ました。
ロバート様が慌てて男爵令嬢と距離をとり、よくある言い訳とともにお互いを紹介しました。
男爵令嬢の瞳は優越感に満ち、わたくしを蔑んでいます。
「お話し中でしたのに、申し訳ありませんでした。わたくしは出直しますわ。ロバート様、明日にでもわたくしとの時間を作ってくださいませ」
早くいなくなれと言う男爵令嬢とロバート様の圧力に負けて、わたくしはそそくさとその場を後にしました。
流石に浮気現場を直接見られたからか、ロバート様は翌日朝早くに先触れをよこし、お昼にはわたくしの邸に現れました。
「昨日はすまなかった、何か用があったのだろうか」
「急ぐことはありませんが、そろそろ卒業パーティーと結婚式について進めるようおじ様からお話がございました。最近ロバート様がご自宅に帰られていないということで、わたくしのところに連絡がございましたの」
「そうか……もうそんな時期なのか」
「はい、そのようですわ」
わたくしの言葉に、何かを考えるように空を見上げたロバート様は、厳しい顔でおっしゃいました。
「少し、気持ちを整理する時間がほしい」
「それは、どう言う意味でしょう?」
「私は貴女との結婚に迷いを持っている。このままの気持ちで貴女と結婚することはできない」
「それは……どなたか好きな方が出来た、ということですか?」
「……」
「もしかして、この間一緒にいらっしゃった方でしょうか?」
「……」
「そうですか」
ロバート様は俯いたまま何もおっしゃいませんが、沈黙が答えなのでしょう。
分かっていましたが、事実を突き付けられると、辛いものです。
「ロバート様、あの方はどんな方ですか?」
「……側にいると、安心する」
―――安心……。
「彼女の言葉は、自信をくれる」
―――自信……。
「そして、この不自由な生活の中に、自由を感じるんだ」
―――自由……。
「……そうですか」
わたくしは、そう言うしかありませんでした。
わたくしは、ロバート様がおっしゃられた『安心・自信・自由』の意味を確かめるべく、行動を開始しました。
三ヶ月。
卒業パーティーと結婚式の準備の事を考えると、それが限界です。
わたくしは恥を忍んで、件の男爵令嬢を訪ね、彼女の技術を教わりました。
男爵令嬢はわたくしの言葉に、驚きはしたものの嬉しそうにすべてを教えてくれました。
そして言ったのです。
「ロバートは、本当は貴女のことが好きなのよ。馬鹿だからそれに気が付かないの」
男爵令嬢の幼さを残すかわいらしい顔に、妖艶な表情が浮かび上がっています。
女のわたくしでさえ目を奪われずにいられない……そんなほほ笑みでした。
わたくしは、男爵令嬢の言葉をかみしめ、考えました。
学園に入る年と同時に、殆どの学生はデビュタントを迎えます。
学園は社交の場でもあるため、夜会や公の茶会に参加するために必要だからです。
わたくしはまだデビュタントをしていません。ロバート様がエスコートを渋ったためです。
ご自分は入学と同時に、従妹と一緒にデビュタントを終え、今では毎夜のように夜会へと参加されているというのに、わたくしには卒業まで待つよう言ったのです。
両親を始めとする大人たちは、ロバート様がわたくしを大切にしているからだ、と言いました。
ですが、ロバート様は毎回違う女性をエスコートし、今では男爵令嬢を好きだと言う。
どんなに考えても、わたくしには、ロバート様の気持ちが分かりませんでした。
考え過ぎて、一ヶ月が過ぎていました。
考えていても何も変わりません。
わたくしは父に頼みデビュタントを済ませ、お茶会、夜会、狩りなど、社交界へと足を踏み入れました。
学園は小さな社交界と言われていますが、本当の社交界とはやはり違いました。
強い規則に縛られた学園とは違い、規則さえも人によって解釈が変わる社交界は自由で楽しく、そして厳しいものでした。
わたくしは今までとは違う世界に、すぐに夢中になりました。
その間、ロバート様から連絡はありませんでした。
「君は、何をしているんだ?」
そろそろ二ヶ月になる頃です。
ある夜会で、ロバート様は男爵令嬢と共に、わたくしの前に現れました。
お二人の後ろには、噂で男爵令嬢が落としたと言われている見目麗しい方が並んでいます。少し離れた場所では、公爵家の方がそわそわとしていらっしゃるのが見えました。
ロバート様が虜にされて二ヶ月、そろそろ公爵家の方の隣にいてもおかしくない時期です。今もロバート様の隣にいるのは、上手くいっていないせいなのかもしれません。
「ごきげんよう、ロバート様」
わたくしは、パートナーの手を離れ、そう頭を下げました。
わたくしの後ろにも、わたくしが選んだ男たちが並んでいます。
「君は、私の婚約者だろう、何故……」
戸惑ったように、ロバート様が言いました。
「ここでお話しするようなことではありませんわ。明日にでもわたくしとの時間を作ってくださいませ」
いつかのように、わたくしはほほ笑みました。
ロバート様は翌日朝早くに先触れをよこし、お昼にはわたくしの邸に現れました。
前回とは違い、怒っているようです。
「君はまだ私の婚約者だろう! 昨日のアレはなんだ!」
わたくしの顔を見るなり、ロバート様が叫びました。
わたくしはかわいらしく小首を傾げ、ロバート様を見上げます。
「わたくし、ロバート様がおっしゃった、『安心・自信・自由』の意味を知りたいと思いましたの」
「な、何を言っている?」
「あら、お忘れになりました? この間おっしゃったじゃありませんか。あの方はどんな方かと伺った時……」
「あれは……彼女だからいいのであって……」
「それは、やはりあの方の方が良い、ということですか?」
「いや、それは、私は……とにかく、君はまだ私の婚約者だ。あんなことはもうやめて欲しい」
「あんなこと、と言いますと?」
「私以外のエスコートで夜会へ参加しない、あんな肌の見えるドレスはもってのほかだ。変な噂のある茶会へも行くな!」
「あら、どうしてですの?」
「どうしてもだ!」
ロバート様はそう叫んで、お帰りになりました。
わたくしはロバート様が好きだという、男爵令嬢の教えの通りしているだけです。
男爵令嬢と同じく、
自身の魅力を引き出すブレスレット、
好みの男をその気にさせる香水、
田舎っぽさと清楚さを同時に醸し出すドレスを身につけ、
話し方も、身のこなしも、視線の動きさえも教え通りにしているだけなのに、
あの方は良くて、わたくしが駄目と言うのは、一体どういうことなのでしょう?
どんなに考えても、わたくしにはロバート様のお考えが分かりません。
わたくしが社交界に出て分かったことは、
社交界にはロバート様よりもっと美しい方がいらっしゃること。
婚約者のいる方は、婚約者と夜会に出ること。
わたくしのような平凡な女でも、美しい、好きだと言ってくださる方がいること、
そして、私の好みはどうやらロバート様のような美しい顔を持つ男性ではなく、美しく逞しい筋肉を持つ男性だったこと、でした。
きっと近いうち、わたくしとロバート様の婚約は解消されるでしょう。
わたくしは、ロバート様に『安心・自信・自由』というものは差し上げることはできないのですから。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
またよろしくお願いします。
ブクマ、評価、ありがとうございます。
誤字報告、適用させていただきました。(20/9/17)