1話 うっかり婚約者ができました。
この世界の終わりがくるのなら、真っ白であって欲しい。
こんなに真っ黒な世界なら、せめて。
終わりくらいは真っ白で
+ + + +
季節は春、桜の花びらが舞い、人々が少し浮かれている季節。
「…どうしよ…」
それなのに、暗い顔で1人ポツンと呟くJK。
…財布落とした…
しかも全財産の入った財布を。
今日移動した道を何度も往復したが見つからず、警察にも行った。
でも届いてなくて、どうしようもなく街を歩いていたのだ。
今日中に家賃払わないと家を追い出される事になっている。
「…どうしよ…」
何度も同じ言葉を繰り返し、諦めきれずにフラフラと歩いていた、その時
「え…」
…ねこ…?
白い何かが目の前を横切り、そのまま車道へと飛び出していった。
それから、まるで時間がコマ送りになったように感じたのだ。
急に飛び出した白いねこ
それをよけるようにハンドルを切り歩道に突っ込んできた車
周りから聴こえてくる叫び声
飛び散る赤いなにか
『おい女子高生がひかれたぞ!!』
人混みのざわめきと救急車の音が遠くに聞こえる、それがどんどん遠ざかっていく…
やがて、視界は真っ暗になった。
+ + + +
「ーーー」
「ーーー」
「ーーー」
人の、声?
女の人達の声が遠くで聞こえる、暗かったはずの視界はいつのまにか真っ白だった。
…もしかしてここは…天国…?
…そしたらお母さんが迎えに来てくれたのかな…
「おかあ…さん…」
少し引きつる指を少しだけ伸ばした、そこにお母さんがいるような気がして、そして何かを掴んだ。
「…?」
ふと香った匂い、梅のような花の匂い…?
違う、お母さんじゃ、ない
そしてゆっくりと目を開いた、そこには
「…」
綺麗なお人形さんのような人が、心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「目を覚まされましたか?お身体の具合はどうですか?」
真っ黒な髪に真っ黒な瞳、化粧っけのない顔だが、少し赤い紅を引いただけの口でゆっくり語りかける。
「お話はできますか?もう二月は寝ていらっしゃったから」
ゆっくりと説明をしてくれるした声に返事をしようとするのだが、声が喉に張り付いて出てこない。
「…っ」
身体を起こそうとするが背中が痛い、あの交通事故のせいだろうか。
2ヶ月も寝ていたなんて。
自分の部屋はどうなっただろうか、部屋の物は捨てられてしまっただろうか、せめて事故にあった事だけでも誰かが伝えてくれていたら…
「無理をなさらないで、お名前は言えますか?」
鈴が鳴るような声に頷こうとして、ふと、違和感を感じた。
ここは、どこだ…?
病院…?
いや、病院のような嫌な匂いは、ない。
天井は木造建築のような…
あれ…この人…なんで着物なんか着てるの…?
たまに見かける着物というよりも、国語の授業で見かけた十二単衣のような…
換気のためか少しだけ開かれた窓の外に舞うのは。
…ゆき…?さくらじゃなくて…?
振り絞って出た声は自分で驚くほどかすれて自分の耳にも届かなかった。
何か違和感を感じたのだろうか、お雛様のような彼女はパチンと手に持っていた扇を鳴らすと、いつの間にか現れた同じような格好の女性を振り返ってこう言った。
「お医者さまを呼んでちょうだい」
何故だか、嫌な予感がした、でも何度も目を瞑っては開いてはみたがやはりそこにあるのは雪だったのだ。
+ + + +
「脈など取りましたが、異常は特に無いようです。傷もだいぶ癒えております、もしかしたら…」
呼ばれた医者が少しだけ言い澱んで、それから言葉を繋げた。
「あれ程ひどい怪我だったのです、頭などを打ち付けて…記憶が曖昧になっているやも知れません。」
そっかぁ…記憶が曖昧になっているからみんな十二単衣なのか…
ってんなわけあるか!!!
心の中でセルフツッコミをしたところで、さっきから側についてくれている彼女が、大粒の涙をこぼしてしまった、痛みを堪えて彼女の手をとる。
こんなかわいい女の子を泣かせるわけにはいかない。
「…っ、紫さま…」
ゆかり…?
「わたくしの事もお忘れですか…?」
あれ?知り合いにこんな子いたっけ…?
「お医者さま、お薬などでは治らぬのですか…?」
手を握り返し、強い意志で望みを託そうとする、が、医者は首を振るだけだった。
「…何度かこのような患者を見た事があります、ある者はすぐに思い出し、ある者はそのまま…」
しんとした室内で、誰かの喉の奥のごくんという音までが聞こえた。
泣いている彼女の後ろに控えているお手伝いさんかも知れない。
「そのまま、己が何者であるかも忘れて一生を終えた者もおります。」
更にしんとなってから、なんだか嫌な予感がした。
これって…もしかして…記憶喪失だと思われてる…?
さめざめと泣く彼女は手を両手でそっと包んだ。
「紫さま、わたくし、諦めませんわ、きっと紫さまがわたくしの事を思い出してくれると信じてますわ」
涙を着物の袖で拭い、彼女は無理やり笑った。
「わたくしは紫さまの許嫁、藤子ですわ」
許嫁…婚約者…?…ん?
「…っ」
ちょっと待て!!!
私は女だ!!!
という叫びは声になる事もなく、ただの息は冬の風にさらわれてすぐに消えてしまった。