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「うう……苦しい……」
さて、私は今何をしているかと言うと、「ほ、本当に良いのですか……?」と期待と不安を膨らまし、希望と動揺を不思議と言う感情を全部詰め込んだ表情のまま、それでも言われた通りにフィリアが綺麗にしてくれたドレッサーの前に座っている……わけではなく、再びベッドに逆戻りしていた。
「お、お嬢様、大丈夫ですか……?」
「大丈夫よ、だってこれは……自分の胃袋への戒めだもの……」
自分への胃袋への戒め。それすなわち、ただの食べ過ぎだ。
いや、決して食べ過ぎてはいない。ただ、17年間で培ってきた貧弱で気弱な胃袋の容量を「ちょっと」超えてしまっただけの話だ。
そう、本当に「ちょっと」だけ。ただ、晩御飯を「完食」しただけの話。
それなのにこの有様である。胃袋が驚いているって騒ぎじゃない。天地がひっくり返ってしまって、この世の終わりが来た時の人間くらい騒いでいる。
「すぐに胃薬を持ってまいります!」
フィリアが慌てた様子で部屋から出て行こうとするのを、私は慌てて呼び止める。あ、ちょっと泣きそうになっている、可愛いなんて思っている場合ではない。
私は脂汗を流しながらも、にっこり笑って見せる。あれ、ちょっと引いてない?
「本当に大丈夫。それよりも、明日も朝から同じ量を頂くわ」
「え、ええ!? ですがそれは……」
「大丈夫。きっとすぐに慣れるはずよ。安心して」
そう言って更に笑顔を見せると、フィリアは何だか怯えたように見えた。きっと気のせいね。
後に「あの日のお嬢様は、鬼気迫っており、まるで東洋のおとぎ話に出て来る鬼……いえ、なんでもありません!」と言われる事になるなんて、この時の私は知らず、ただただ笑顔を貼りつけ、汗を流し続けていた。
「大丈夫よ。無理はしないから。今日はちょっと張り切っちゃっただけ、明日からはゆっくり頂くから」
「……そこまでおしゃるなら……。でも!本当に無理はなさらないでくださいね!」
(私の般若面に)怯え半分、不満半分でフィリアは答えてくれる。使用人がフィリアしかいない今、料理を作っているのも彼女だ。私は彼女の為にも、残さず食べようと心に誓った。
――――――――――――――
「さて、と」
2時間ほどベッドで大人しくして元気を取り戻した私は、ようやくドレッサーの前に腰掛けていた。
「まずはこの見てくれを何とかしないとね」
そう言って、再び鏡を覗き込む。あまりの粗末さに、危うくめまいを起こしそうになり、机に手をつく。
「お嬢様……」
気づかわし気なフィリアの声が聞こえて来る。そりゃあそうかもしれない。私――レイが鏡の前にいるなんて何年振りなのだろうか。
きっと10年は立つだろう。
今までの私は曇った鏡に自分が写った瞬間、特殊な瞳の色と髪の毛の色を見た瞬間、布団に逃げ出し、鏡を一層恐れた。
そんな私が、今、鏡の前にいる。
そして、分厚い瓶底メガネに手をかける。
「お嬢様!?」
フィリアの叫びに近い声に、一瞬手が止まる。自分でも気づいていなかったが、手が震えていた。
「大丈夫よ」
フィリアと、自分自身。レイに声をかける。
大丈夫。それに、レイもいつかはこうしたかったんでしょ?
減っていく家具の中、一番最初に処分しても良かったのに。
自分の部屋から下げさせても良かったのに。
ずっと部屋において、保管して。
いつかは、向かい合いたかったんでしょ?
「それが、今日なだけよ」
ゆっくりと、メガネを外す。度は入っていないメガネだったから、自分の顔は良く見える。
目の前には、紫の眼を光らせて、不敵に笑う自分の姿があった。
「あら、案外悪くないんじゃない?」