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「嘘でしょ……いや、嘘ではないのよね。でも、ええ……?」
今、まさに今、手入れの行き届いていない鏡の前で、私は絶望している。
震える手で鏡越しに写る自分の肌に触れれば、指にほんのり埃が付く。
一応言っておくが、この埃をかぶった鏡を見て絶望しているわけではない。傍から見れば、侯爵家と言う国の中でも上の方に入る身分の者が住む家の手入れが行き届いていないとは、監督不行き届きだ、主の高が知れると批判するところであるが、そんな事は他家から言われずとも分かっている。
家の資産がほぼ底をつき、使用人などを雇っている場合ではなくなった我が家の現状なら、お父様がやらかす前からなんとなく分かっていた。そもそも昔からあの人のしでかすことで、この家が良くなったためしがない。
それでも我が家、ソルシェール家がなんとかやってこれたのは、この家に生まれてきた女性のみがもつ強い魔力の需要と、素晴らしい叔父の密やかなる尻拭いのおかげなのだ。当の本人は知らないで、毎回「女神様が憐れんでくださった」などと言っていたが。
そして、見かねた叔父が尻拭いもやめてしまった事で、あっと言う間に没落貴族となり、残っているのは強い魔力と、それによって王家から頂いている「侯爵」と言う身分と、まだ何とか売らずにすんでいる家と家具だけになってしまった現在も、この家の主は「きっと女神さまがまた憐れんでくださる」と、のんきなものである。きっと残っている家具も、この家も、そのうちなくなるだろう。この前、叔父に謝られた。が、叔父は全く悪くない。
全く、あの人には絶望を通り越して呆れてしまう。だから、この家の現状に絶望しているわけでもない。
「お嬢様、大丈夫でしょうか」
薄給でも構わない、むしろ給料などいらない、と豪語してここに残った唯一の侍女、フィリアのためらいがちな声と、感情を表した様な、控えめなノックの音が自室の外から聞こえる。彼女と散歩している途中で、私が急にここまで走って来たので、心配してくれているのだろう。いや、まったくもってその通りである。申し訳ない。
と頭では分かっているのだが、私は筋肉の動きを制限されているかのように、鏡の前から動くことはできない。鏡に触れ、呆然と立ち尽くしたまま。
鈍い輝きを保つ金細工があしらわれた全身鏡は、埃を被っていて私の姿をはっきりと映してはくれないが、それでも、自分の今の姿を見るには十分だった。鏡の前には、絶望しているような、呆けているような、なんとも言えない顔の自分が写っている。
「お嬢様……?中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
いけない、フィリアに返事をするのを忘れていた。目線を逸らすことは出来そうにないが、口は動きそうだ。何度か口をパクパクと動かしてから、何とか声を発する。
「ええ」
あれだけ準備体操をして、発した言葉が二文字とはなんとも情けないが、許してほしい。キィ、と音がして、フィリアの静かな足音と気配が近づいてくる。が、明かりもついていない部屋の鏡の前で呆然と立ち尽くす私を見て驚いたのか、すぐに止まった。鏡越しにフィリアの姿が見える。驚いているというより、困惑している様だった。そりゃあそうだろう。本当に申し訳ない。ごめん。
でも、許してほしい。なにせ、私もひどく混乱していた。そしてその上で、絶望していた。
「お嬢様……?」
フィリアが愛らしい、真ん丸な茶色い瞳に戸惑いの色をのせて、恐る恐る訪ねて来る。いつもならどんな時でも、その愛らしい姿を見ると「なんでもないのよ」と言えるが、今日ばかりはそうはいかなかった。
「ねえ、フィリア……」
鏡から目線を逸らさずに聞く私に、フィリアは小さく肩を揺らす。ああ、そうよね、怖いよね。ごめん。頭の中の冷静な自分がそういうけれど、冷静な自分は、今は大混乱の自分に消されかけていた。
「な、なんでしょうか」
分かっている。分かっているのだ。御年17歳、つまり、この体で生きて17年。17年と言う長い時間をこの肉体と過ごしてきたのだ。自分の事は、もはや誰よりもよく分かっていた。
だけども、今日、ついさっき現れたもう一人の自分が、この自分を否定したがっている。それも、ものすごく強烈に、否定、と言うか嫌がっている。自分が自分であると認めたがらない自分がいる。
それでも、認めよう。この部屋に来て、どれくらい自分を見つめていたか分からないが、今目の前にいるのは、紛れもなく自分だ。ソルシェール侯爵令嬢、レイ・ワルド・ソルシェールだ。
と、頭では解決したが、どうしても認められない自分が声になって現れる。
「私って……こんなにブスだったかしら……」
「えっ?」
さっきから自分を否定してくる小うるさいもう一人の自分とは、篠崎 礼であり、私の前世である。
転生ドタバタ活劇(?)の予定です。気長にどうぞ。
キリがいいので今回は短め。