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第六回

 寒い。非常に寒い。

 おまけにおそらく下着までびしょ濡れで非常に気持ちが悪い。

 こんなタイミングで雨が振るなんて、全く最悪だ。

 こんなことなら、無視すればよかった。

 ──母を呼び、泣きながら歩く女の子なんて。

 まぁ、そうは思っていても、実際そんな選択を自分はとれないだろう。自賛する訳ではないが、こういう性分なのだ。美徳だとも自負しているから自分のこういうところをまるきり否定する気ないが、だからこそこの状況は、自分の感情的にも、始末に負えない。

 降りそそぐ黒雨は容赦がなく、おまけに雷鳴すら轟く始末。私の左手を握る少女は、ただでさえ親とはぐれた心細さに雷という追い打ちをかけられ、怯えきっている。こっちの雨もしばらく止みそうにない。

 そもそもどうしてこうなったのかと言えば──まぁ、不運という他なかろう。

 兄貴とあの男が映画をみている間、私は気分転換とばかりに街をぶらぶらと歩き、服飾店やらスポーツ用品店やらを物色して過ごしていた。

 やがて時間がたち、さぁ今は何時だろうと時計をみたところで──私はぎょっとした。

 私がショッピングに没頭している間に映画の終了時刻はとっくに過ぎていたのだ。

 不覚だった、全く人の事を言えないと心の中で悪態をつき、急いで映画館に戻ったが、あの二人は既にいない。

 私はすぐさまスマホを開いて兄貴に連絡をとり、私が駅前にいることは伏せつつ二人の現在の状況を尋ね、彼らの現在地の目星をつけた。

 そうして映画館をでて彼らを追おうとしていたところで──私は彼女に出会ってしまった。

 見過ごせなかった私は号泣する彼女をなんとか宥めて母親とはぐれたこと、最後に母親といた場所を聞き出し、そして一緒に探すべく行動を開始したところにこの雨である。

 全く今日はついていない。

 勢いを増す雨水は地面に当たって跳ね返り、屋根の下においても私の足元を執拗に打ち叩く。強く吹き荒れる風は濡れた身体を刺し、じわじわと体温を奪っていく。

 どうしたものかと自分に問いかけても、明確な答えなど返っては来ない。肝心のあの二人はとっくの昔に見失ってしまったし、この娘の母親ももちろん見つからない。探すために歩きだそうにも、この暴風雨の中当てもないのに傘もささずさまよう気にはなれない。

 おまけに傍らにいるのはあどけない幼女だ。連れ回して身体を壊させでもしたら、せっかくの善行も台無しというもの。

 そこでふと、あることに思い至る。

 そういえば、傘はなくともハンドタオルくらいは持っていたはずだ。せめてこの子の身体だけでも拭いてあげるか。

 鞄を開き中を探るが、目当てものは他の物の下敷きになっており、取り出しにくい。おまけに風はなお執拗いうえに鋭く、油断すれば鞄の中身を攫われかねない。

 両手を鞄の中に突っ込み、ようやくそれを引っ張り出した私は、早速それを自分の左隣を向いた。

 そして、硬直すること数秒。

 ──いない。

 今まで傍らにいたはずの少女が。自分の左手を握って泣きぐずっていた少女が。

 やってしまった。

 たった一瞬でも、目を離さなければ良かった。

 だが後悔とは裏腹に、ある冷静な見解が思考の中をよぎる。

 最初と同じではないのか、と。

 もともと迷子なのだ。無関係な自分がいようがいまいが、何一つ状況は変わらない。何より今はそれより優先すべきことがあり、なんの関わりもない子供の安否より自らの事情を優先したところで、何を咎められることがあろうかと。

 恐らくその発想は、ある意味間違っていない。

 だがしかし、それでも私はそれを許容できない。出来るわけがない。

 優しさといえば聞こえのいい自己満足。それでも、無益なことと捨て去るには、非理性的な愚行だと断ずるには、それは私にとって大事なものだった。

 だから、走る。

 暴風吹き荒ぶ雨の中を。黒雲に光を遮られた暗い街の中を。

 たったさっき聞いた、小さなその存在がもつ名前を呼びながら。湿った土のような匂いのする雨水と、傘を持って道を歩く人が時折放つ奇異の視線を全身に浴びながら。

 そうして彼女を探しながら駆けていると、しばらくたった後「おい」と、背後から男にしては微妙に高く、しかし女にしては低い声が飛んでくる。

 自分ではなく他の誰かに対する声かも知れなかったが、反射的に私は振り返った。

 そこに居たのは、探していた女の子と、そしてその手をひく一人の女性だった。

 いや、彼女は女性ではない。

 私は知っている。どう見ても綺麗な女性にしか見えない彼女の──いや彼の名は。

「蓮実くん……」

 ずぶ濡れの婦人服を身にまとったその少年は、思わずどきっとするような美しさをもってそこに立っていた。





 寒そうだな、と。

 そんな小学生じみた感想が、ふとよぎった。

 間違いなく、視線の先、道路を挟んで向かい側の建物の傍にいるあの少女は、湊元周だ。

 だが同時に、俺の知っている彼女の雰囲気にそぐわないとも思った。

 知っている、といっても会話した回数は未だ両手の指の数で足りる程度だが、しかしそれだけでも分かることはある。

 少なくとも俺の前での彼女は、豪胆で傍若無人、そしてまたよく喋り、快活であった。

 それが今はどうだ。

 雨に濡れる彼女は目に見えて覇気がなく、また何かに苛立っている様子である。

 いつもならややきつい眼光もほどけ、物憂げに眉を顰ませ暗い表情を形作っている。

 俺はその表情をみて、思わず──かわいいと思ってしまった。

 いや、おそらくあまりよくない状況なのだろうことは分かる。そういう感情を抱くことが、場違いであるとも。

 だが、弁解させて欲しい。

 湊元周は、言動でいくらか台無しになっている感があるが、そもそも美人と言って差し支えのない見た目なのだ。

 それが水に濡れ、またあからさまな困り顔をしている。

 男ならば、見蕩れてしまっても無理はないだろう。

 惚けそうになるのを自制し、俺は努めて彼女の顔をみないように意識する。

 そして代わりに、傍らにいる幼子の方に視線を向けた。

 その女の子は、酷く心細そうであった。

 右手で湊元の手を握りながら、ときおり左手で顔を擦り、頬に垂れる雨とは異なる雫を拭っている。

 その様子から推察するに、恐らく迷子であろう。そして湊元がそれを保護した、と。

 案外殊勝なところもあるんだな、あいつ。

 しかしそうなると、どうにも見て見ぬふりはしずらい。

 俺は康太さんとともにしばらくその様子を観察した。

 ふと、湊元がなにか思い出したように鞄をあけ、中を探り始める。

 しかし目当てのものが見つからないのか、女の子の手を離し、熱心にその中をひっかき回しはじめる。

 不意に、一陣の強い風が吹く。

 その突風は、子供か被っていた帽子を攫い、彼方へと飛ばした。

「あ」

 俺は思わず声を漏らした。

 女の子は帽子を追って、湊元の隣を離れ濡れるのも厭わず駆け出す。

 横断歩道を渡ってこちら側すなわち湊元のいる場所からも、俺のいる建物からも死角となっている路地に消えていく。

 ややあって湊元が気づくが、もう遅い。

 決定的な瞬間を見逃した彼女には、あの子がどの方向に行ったかなど分からない。

 そして運の悪いことに、あの子がかけていったのとはまったく違う方向へと走り始める。

 不味い。

 俺はすぐさま財布を開き、そして小銭がなかったので千円札をコーヒー代として机においた。

「すいません、先に帰っててください」

「え?」

 俺は困惑する康太さんに目で謝罪し、すぐさま建物を飛び出しさっきの子が消えていった路地に入った。

 雨の量は、ファミレスに入る前と少しも変わらず、それどころか増したようにすら感じる。

 全身ずぶ濡れになりながらも俺は走り、そして遂にその子の姿を見つけた。

 女の子はまさに、しゃがんで路上に落ちた帽子を拾うところだった。そして立ち上がり、そこでようやく一人になったことに気付いたようで、「あれ……さっきのおねぇちゃんは……?」と呟く。

 あ、泣きそう。

 俺は女の子が泣き出す前に、しゃがみこんでいつかのショッピングモールで男の子とぶつかった時のように声をかけた。

「君、どうしたの? お母さんは?」

「わかんない……」

「じゃあ、一緒に探そっか」

 俺は女の子を連れて来た道を戻り、先程のファミレスが入った建物の近くまで移動した。(※誘拐ではありません)

 歩きながら、心細くならぬよう女の子に声をかける。(※誘拐ではありません)

「君、名前はなんて言うの?」(※誘拐ではありません)

「ひなちゃん!」(※誘拐では以下略)

「ひなちゃんっていうんだ、いい名前だね」(※誘拐以下略)

「えへへー」(※略)

 そうして会話しながら歩いていると、そう遠くないところからどうも聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 雨音で聞こえずらいが、ひなちゃん、と言っているように聞き取れた。

 声のする方に向かってしばらく歩くと、いた。

 ひなちゃんの母親──ではなく、ひなちゃんの名前を呼ぶ少女。

 湊元である。

 後ろにいる俺たちに気づかない湊元に、俺は「おい」と一言声をかけた。

 湊元は振り返り、そして俺とひなちゃんをみて硬直する。

 たっぷり3秒ほどたってから、ようやく絞り出すように、湊元は俺の名前を呼んだ。

「そうだよ、俺──私だよ。人助けは大変結構だけど、子供といるときは目を離しちゃだめでしょう」

 普通に男口調で喋ろうとして、通行人やひなちゃんがいることを思い出し慌てて口調を変える。

 対して湊元は目を見開き、またしばらくの間絶句した後一言。

「……見てたの?」

「ええ。というか見えてた。ファミレスの窓から」

「デートは?」

「もう終わりました」

 俺と湊元が話す間、ひなちゃんは俺達を交互に見ていた。

「お姉ちゃんたちは、友達なの?」

 友達……ではない気がするが、友達と知り合いの違いなどこんな小さな子にわかるまい。とりあえず肯定しておくか。

「ええ、まぁ、そんな感じだよ」

「えぇ……」

 しかし湊元は若干嫌そうな顔をする。いやえぇじゃねぇよ、普通に傷つくだろ。

 湊元の反応は無視し、俺はひとまず移動を提案した。雨を凌ぐため、俺達は近くの商業施設に避難する。

「それで、これからどうします? この子の母親を探すにしても、天候も天候だしそう簡単なことではないと思うけど」

 気を取り直すように俺は言った。

「じゃあ他にいい方法でもあんの? まさか探さずに待つ訳じゃないでしょ」

 もちろんそんな訳はない。もっと確実で、かつ楽な手段がある。

「駅前に交番があります。そこまで行って事情を話せば、あとはお巡りさんがなんとかしてくれるでしょう」

 そう。なにも自分たちがでしゃばる必要はない。こういう時こそ、素直に国家機関に任せればよいのだ。

「……わかった。そうしよう」

 僅かな逡巡の後、湊元はそう答えた。

「ああ、それと」

 付け加えるように、俺は次の言葉を放った。

「傘を買いましょう」

「うん。わかった。早く買ってきて」

 お、おう。いや、え? 俺が買うの?

 まぁ、ひなちゃんのためだ。少々身銭を着るくらい我慢してやるか。

 仕方ないなとばかりに俺は財布を取り出し、そして中身を確認した。

 ……あ。

「……ごめん、お金ない」

 所持金、26円。

 唯一残っていた1000円札は、さっき康太さんに渡してしまった。あとはICカードに数千円入っているが、生憎とこの店では使えない。

「湊元はいくらもってる?」

 流石に二人とも金がないということはなかろう。

「……300円とちょっと」

 すっくな。そういやこいつさっきからスポーツ用品店やらなんやらの紙袋持ってるけど、まさか所持金の限界まで買い物してたのか。いや俺も人の事言えた義理じゃないけど。

 それで肝心の傘の値段はーっと。

 あ、あった。税込320円。

 ……一本しか買えねぇじゃん。

「……一本しか買えませんね」

「……とりあえず買ってくる」

 湊元は無地のビニール傘を手に取り、ちょっと待っててね、とひなちゃんに言ってレジへ向かう。

 会計を済ませ、俺たちは無言で店を出た。

 当たり前のように雨は止んでいなかった。

「……」

「……」

 ばっ。

 おもむろに、湊元が買ったばかりの傘を開いた。ひなちゃんが傍により、傘の下にはいる。

 まぁ、仕方ないか。どうせもうずぶ濡れなのだ。もう一度濡れたところで変わりなどない。

「……何してんの」

「え?」

「早く入りなさいよ」

 え? 入っていいの? え?

「……別に、深い意味なんてないから。キモイこと考えないでよね」

 そういう湊元の顔は、心做しかほんのり赤い。

 ……傍から見れば、ただの仲睦まじい女友達ないしは姉妹にしか見えないんだろうになぁ。

 或いは、ひなちゃんを入れて年の離れた三姉妹か。

 とまれ、俺と湊元が横に並び、間にひなちゃんが入る形で、俺達は一本の傘を共有しつつ交番へと向かった。


明日の分でとりあえず最後です。

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