第二回
昼寝してたら今日中に更新するの忘れかけました
キーンコーンカーンコーン。
本来なら昼休みを告げるチャイムが校内に響き渡る。
長くつまらない始業式を半分眠りつつやり過ごし、教室でのLHRも終え、本日の授業はこれにてお開きである。
帰宅部のエースたる俺はすぐにでも校門を出たいところだが、如何せん今日はまだ用事がある。
「ちょっと来て」
隣の席に座る少女が言いながら席をたつ。
俺は「うっす」と聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量で返事をし、鞄を持って少女を追うように教室を出た。
女子を追いかける、というシチュエーションに居心地の悪さを感じて顔を伏せていると、少女の上履き──よくある底に色つきのゴムが配された白い靴ではなく、学校指定のサンダルである──にマジックペンで丁寧に書かれた名前がちらっと目に止まった。
「湊本」と書いてある。
「みなもと」とも読めるが、読み方はたしか「つもと」だ。なるほどこういう漢字なのか。ちなみにこのあと座席表で確認したところ、「つもとあまね」は漢字で表すと「湊本周」らしい。蓮実千里という俺の名前も大概珍しいが、こいつもこいつでなかなかだ。
湊本は人で賑わう廊下をずんずん進んで端まで行くと、特別教室棟と普通教室棟の間に設置されたエレベーター前で立ち止まった。
このエレベーターは校舎の端にある上基本的に大荷物の運搬や怪我のとき以外は使用禁止なので、この場所を人が通りがかることは余りない。話というのは十中八九あの日のことだろうが、彼女にとっても人にあまり人に聞かれたい類いの内容ではないのだろう。何にせよこちらにとっては好都合だ。
湊本はこちらに向き合って立つと、僅かな逡巡の後、意を決したように話し始めた。
「えっと……蓮実くん、だっけ……先月女装して、男の人に襲われてたよね? 私の事、覚えてる?」
「はい、まぁ」
「その、なんというか……ごめんなさい!」
「え?」
え、何? ごめんなさいってもしかして今俺振られたの? 告白する前から拒絶されるって俺どんだけ嫌われてるんだよ。
「あの時私混乱してて、すごく失礼な態度をとっちゃったから……悪気はなかったんだけど、気を悪くしたならその、本当にごめん」
「いや、謝らなくても……むしろこっちは助けてもらんだし、その……あの時はありがとうございました」
なんともぎこちない遣り取りだが、初めて話すのだから仕方がないだろう。
「それで、えっと、話っていうのはそれだけ?」
ならばと、こちらも話を切り出そうとしたが、しかし確認の意味合いが強かった俺の問いに対し、少女は、反応が返ってきたことも含めて俺の予想と異なる応えを返してきた。
「いや、その……実はそれだけではなくて」
あやうく喉元まで出かかっていた次の台詞を飲み込み、俺は湊本の話に耳を傾けた。
「蓮実くんにお願いがあるの。ほとんど初対面なのに図々しいとは思うんだけど、蓮実くん以外に頼めそうな人がいなくて」
言いながら、湊本が距離を詰め、俺の瞳をじっと見つめる。つり目気味だがまだ幼さが残る整った顔に浮かべられた真摯な表情は俺の精神に絶大な効果を発揮し、まだ何を頼まれるのかすら知らないのに快く請け負いそうになる。
「頼みって?」
声が上ずらないようできる限り慎重に声を発した。こちらの心持ちが向こうに伝わっていないか心配だったが、幸いにも気づいていないのか、あるいは気付いていて無視しているのか、湊本は先程と変わらない様子で話し始めた。
「それは──」
「つまりさ」
昼下がり。
駅前のファストフード店で、少女はポテトを食みながら喋っていた。
「適当に接待していい気にさせて、また会いましょうね感じで適当に別れればいいんだよ。男なんてバカなんだし、ましてや女性経験のないあいつのことなんだから、美人が尽くしてくれたら勝手に満足するって」
言い終わると、次のポテトに手を伸ばし、口に運ぶ。
いい意味でも悪い意味でもざっくばらんな性格らしいこの少女──湊元は、男である俺に対してこのようなセリフを平然と言ってのける。まぁ俺としてもそんなことをいちいち気にする質ではないので、案外話しやすかったりするのだが。
なぜ俺と湊元がこうして顔を付き合わせているのかというと、勿論恋愛的なアレではない。俺は彼女の頼みごとに関する打ち合わせをするため、ここへ無理矢理連れてこられ──もといやって来たのである。
彼女のお願いの内容。
それは、彼女の兄・康太と女装をしてデートをすることである。
男女比がおよそ9:1のある理系の国立大に通っている彼は、出会いの場をSNSに求めようとしたところ、見事騙されて数十万円もの金額を失ったらしい。なんでも女性のアカウントとある程度仲良くなったところで「こっちの方が使いやすいのでそっちでやり取りしませんか?」などと別のサービスへ移行することを薦められ、いざ登録すると高額の会員料を請求された上に相手とも連絡がとれなくなった、という具合だそうだ。恐らくそのアカウントはそのサービスの運営とグルであり、初めから康太さんを騙すために近づいた、というオチであろう。
なんとも救いがたい話ではあるが、湊元は彼がこのような馬鹿な真似を二度とせぬよう、一度女性と会って話す経験を彼にさせたいのだそうだ。
「『また会いましょうね』って……」
ずぞぞっと、コーラをストローで啜りながら、俺も答える。
「一度きりなんじゃないのか。さすがに何回も会うのは、色々まずいだろ、俺も嫌だし」
少女がポテトを口に運ぶのをやめ、胡乱気な表情でこちらを見やる。
「あのねぇ、本当にまた会うわけないでしょ。アレだよ、社交辞令ってやつ。あ、連絡先の交換とか絶ッ対駄目だからね。あいつが生意気にも聞き出そうとしたら、適当に誤魔化しといて」
湊元は再びポテトの容器に手を伸ばすと、一際大きなそれを手に取り、齧った。
実行する俺の気も知らずに、随分酷い言い草である。
本当はこんな突拍子もない話断るべきなのだろうが、如何せん彼女には助けられた借りがある。俺の信条その二・他人に借りをつくらないを事故とはいえ破ってしまった以上、精算して以降この少女と関わらぬよう努めるしかないのだ。全くもって気は進まないが。
無意識のうちにそんな思考が顔にでていたようで、「そんなに嫌なら断ればいいじゃん」と湊元が言う。
一理どころか百理はあるセリフである。しかしこの千理、もとい千里くんを納得させるには残念ながらあと一桁足りない。残念だったな。
「──まぁ、もし断ったらあんたの女装癖みんなに言いふらすけど」
何か怖いセリフが聞こえた気がするが、聞かなかったことにしておこう。
一応、それこそ俺なんかより本物の女子に頼めばいいのでは? と進言してみたが、彼女曰く「嘘デートなんて知り合いの女の子に頼めるわけないじゃん」だそうだ。なら俺はいいのか、と聞こうかとも思ったが、また怖い答えが返ってきそうなのであえて聞かないことにした。
とまれ、彼女の言うようにやることは案外単純なのかもしれない。実際女装には我ながら自信があるから、まぁ多分恐らくきっとバレることもないだろうし、余程康太さんの趣味が偏っていなければ幻滅されることもないだろう。
「そ、それで、デートコースなんだけど、本当に映画でいいのか?」
俺はふと、気になったことを湊元に問うた。さっきスマホでググッてみたところ、初対面のデートで映画は決して選んでは行けないというサイトがいくつかヒットしたのだ。
「会話がなくなるっつーか、初対面なのに喋らない時間のほうが長いのってあんま良くないんじゃないか」
「じゃあ蓮実くん、一日中女としてあいつと会話しつづけられるの? あんまり人と話すの得意じゃないんでしょ?」
「うっ……」
そう、俺はコミュニケーションが苦手だ。今はこの少女が積極的に話しかけてくるから依存する形で何とか成立しているものの、このミッションを遂行するにあたって障害となるであろうことはほぼ確実である。俺が心中で最も危惧しているのもその点だ。
「まぁ、打ち解ける前にいきなり映画を観るのは気まずくなりそうだから、まずは早めのランチでもとりながらゆっくり雑談して、距離感を掴んだところで映画館へ移動する。んで、終わったらカフェにでも入って映画の内容について語らうって感じでいけば、会話不足になることも話題が尽きることも防げるでしょ」
「はぁ……」
一応彼女の言うことには筋が通っているように見えるが、果たしてそう上手くいくものだろうか。
「大丈夫だよ、蓮見くん可愛いし。なんとかなるって」
女子に──それも平均より上の美少女に可愛いと言われるのは、なんとも不思議な感覚である。
当の彼女は、手についたポテトの塩を舐め舐めしている。俺は思わずその唇に見惚れそうになり、あわてて自制した。イカン、何を考えているんだ俺は。
──なんとかなる、か。
本当にそうだといいけどなぁ。