112 幼女が住む村の歯医者さん
頬を両手で押さえて痛みにもがくロークを見つめていると、フッと周囲が鮮やかに色を戻していく。
色が戻れば不思議な事に、周囲からの騒音が聞こえ、今まで何処に隠れていたのかと思う程に人々の姿が現れた。
と言っても、実際に周りからしたら、私達の方が隠れていたように思えるだろうけども……。
周囲に色が戻ると、浮遊していた【空間隔離装置アイソレーションくん三号】がポトンとテーブルに落っこちる。
すると、サガーチャちゃんがそれを拾って苦笑した。
「まだまだ改良の余地がありそうだ……。すまないジャスミンくん。私は今から、これの新しい物の開発に入る事にするよ」
「え? うん」
「さて、問題は何処で作るかだけど、ここは煩くて集中なんて出来やしないし……」
「猫喫茶に行けば良いです」
「それはいい提案だね。是非そうさせてもらおう」
ラテちゃんの提案にサガーチャちゃんが頷くと、ロークが叫ぶ。
「おい待て」
振り向くと、相変わらず頬を押さえて若干涙目のロークがサガーチャちゃんを睨む。
「見逃してやるか……痛た、これをどうにかしろ!」
「やれやれ。それが人にものを頼む時の態度かい?」
「ちっ。まあい――っつう。いてえ。い、今直ぐ歯科医院に行って、直ぐに戻って来てやるさ。次はこうはいかない。覚悟しろ」
うーん。
かっこ悪いなぁ。
それに……。
「あのね、この村には歯医者さんいないんだよ。歯医者さんがいる町までは、えぇっと……たしか3日かかったような?」
「なん……だと…………!?」
私の言葉にロークが顔色を変えて絶望する。
そう。
実はこの村トランスファには、歯医者さんがいないのだ。
と言うか、そもそも誰かが虫歯になると言うお話を、不思議な事に私は聞いた事が無かった。
それでもごく稀に虫歯かもなんてお話を聞いても、次の日にはケロッとしてる事が多い。
村ではそれが普通の日常で、とくに気にしていなかったけれど、今にして思えば不思議な事だった。
ロークは半泣きになり、何だか見ていて居た堪れない。
すると、ラテちゃんが私の頭の上からテーブルに飛び降りて、ドヤ顔を見せる。
「良い事を教えてやるです。ラテはこの歯医者のいない村で、虫歯を治してあげていたです」
え!?
そうだったの!?
まさかの真実に私は驚いた。
でも、言われてみれば納得出来る。
何故なら、今さっき私の中に入った虫歯素の効果を打ち消したからだ。
「ラテは知っての通り土の精霊です。そして、土属性の上位魔法には【生物魔法】があるです。この生物魔法はあらゆる生命、それこそ菌の類にも特化する事が出来る魔法です」
「そうか! っつう……。つまり、生物魔法で虫歯菌を操る事も死滅させる事も可能と言う事か」
ロークが頬を押さえて虫歯の痛みに我慢しながら話すと、ラテちゃんはこくりと頷いた。
「です。だから、この村で歯医者と言えば、それはラテの事です!」
ばーん! っと、漫画であれば、背後に大きく文字が出てきそうな程のドヤ顔でラテちゃんが答えた可愛い。
そっかぁ。
それなら、私もそれ出来るんだ?
土属性の上位魔法って、いつも重力系の魔法ばっかり使ってたから気がつかなかったけど、今にして思えば凄いバリエーション豊富なんだなぁ。
そう言えば、フォレちゃんの得意としてる木の魔法も、元を辿れば生物魔法だもんね。
生物魔法の中で草木を操る方向性で特化させたのが木の魔法なんだもん。
などと私が生物魔法の可能性に興味津々と思考を巡らせていると、ロークがラテちゃんに向かってお願いする。
「よし、今から治せ! っつう……」
「態度が偉そうだから嫌です」
ラテちゃんがいじわるしてる。
ちょっと楽しそうだなぁ。
ロークのお願いは即答で断られ、ラテちゃんは意地の悪い笑みを浮かべた。
すると今度は、懇願するようにロークが頭を下げた。
「治して下さいお願いします!」
ラテちゃんがロークを見上げて、沈黙がこの場を支配する。
沈黙と言っても、お店の店員さんの声やら食事をしている客の笑い声やらの騒音が聞こえているけれど。
少しだけ間が空くと、ラテちゃんは口角を上げて口を開く。
「毎朝産地直送の搾りたてのミルクが飲みたいです」
「わかりました! 持っていきます! 毎日持っていきます!」
「そう言う事なら治してあげない事もないです」
「ありがとうございます!」
交渉成立したようだ。
ラテちゃんは魔法でロークの口内で暴れていた虫歯菌を除去してあげて、ロークが泣きながらお礼を言う。
そして私は微笑みながら、見事なマッチポンプかも? なんて事を考えていた。
「さて、決着もついた事だし、私はそろそろ行くとするよ」
サガーチャちゃんがそう言って、一歩歩いて私に振り向く。
「サーチリングの件はすまなかったね。またおかしな事があったら言ってほしい」
「うん。えーと、猫喫茶に行くんだよね?」
「そうだね。ここは騒がしくて発明品を作る環境には適してないからね」
あはは。
サガーチャちゃんの場合、一度集中しだすと周りの音とか聞こえなくなるタイプだから、関係ないと思うけどなぁ。
でも、やっぱり集中するまでは気になっちゃうのかな?
って、あ。そうだ。
「猫喫茶にもしかしたらリリィがいるかもだから、もし会ったら、頑張ってねって伝えてもらっていいかな?」
「わかった。会ったら伝えるよ」
「ありがとー」
笑顔をサガーチャちゃんに向けてお礼を言うと、ロークが凄く嫌そうな顔をして呟く。
「げっ。私も猫喫茶に行って休もうと思ったけど、あのヤバい子がいるのか……。今日はもう帰ろう」
ロークは何だかもの凄く疲れた表情になり、深く大きなため息を吐き出した。
「ジャス、ラテ達もそろそろ行くです。休憩はお終いです」
「うん。そうだね」
ラテちゃんに返事をして、サガーチャちゃんと一緒に店を出る。
サガーチャちゃんは他の店員さんに店を出た瞬間に呼び止められてしまい、そう言えば仕事中だったんだと苦笑していた。
ロークはと言うと、本当に疲れた表情をしていてトボトボと歩いていて、ピシッとしたスーツも今ではぐんにゃりしているように見えた。
「三階と言えば、確かセレネがいる筈です。セレネとまずは合流するです」
「うん。わか――いたよ……」
ラテちゃんの言葉に同意をしようとして、私は早速セレネちゃんを発見した。
だけど……。
「蛇女も一緒にいるです。……セレネは何をやってるです?」
「……何だろうね?」
私もラテちゃんも首を傾げた。
セレネちゃんは蛇のお姉さんと一緒に何かしていた。
そして、2人を囲む人々。
遠目でわかるのは、セレネちゃんと蛇のお姉さんが、何かで勝負をしているという事だけだ。
「ジャス、行くです!」
「みゃぁぅ……ラテちゃん、不意打ちはやめてぇ」
未だにロークの能力の【感度上昇】の効果が消えていない私は、不意にラテちゃんに頭の上に乗られて変な声を出して訴えた。
だけど、ラテちゃんは全然気にしてくれる筈も無く、私の頭にあるうさ耳をグイグイ揺らした。
「さっさと行くです!」
「わかったよぅ……」
うぅ……。
いつになったら、この能力の効果切れるんだろう?
気を抜いたら変な声出ちゃうし、本当に凄く困るから早く消えてほしいよぉ。




