43、アマルフィ
残り三話で完結となります!最後までどうぞお付き合いくださいませ。
珠緒と倖がイタリアに到着した翌日。
朝早くから騒がしい音に、倖は否応なしに目を覚ました。
「うるさいな」
布団が足りないからとソファで寝た体が軋む。
軽くストレッチして凝りを解していると、戸惑ったような聡子の声が聞こえた。何事かと欠伸しながら声のする方向を見れば、廊下で聡子が立ち尽くしていた。
「あー……」
「こ、倖っ! どうしましょう、珠緒ちゃんの様子が変なの!」
おろおろと事情を訴える聡子の向こう側、ゆらりと立つ珠緒の姿に一瞬で事情を察した。
倖はもう見慣れたが、寝起きで乱れた黒髪の隙間から覗く双眸は鋭く胡乱げで、猫背気味なのが某ホラー映画のよう。初めて見た聡子の驚きは致し方ない。
「大丈夫、寝ぼけてるだけだから」
「寝ぼけてるだけって、そんな」
「どうしたんだい?」
「おはよう、明彦さん。ところで、母さん。今何時?」
「六時半だけど……」
のんびりしている倖にそうではないと聡子が懸命に訴える。騒ぎに気付いた明彦も寝ぼけ眼で現れたので、倖は時間だけ聞いて珠緒の元へと向かう。予定では七時頃に起きるつもりだったのであと三十分は二度寝できる。
「明彦さん、後はよろしく。俺はちょっと二度寝してくる」
「ちょっと、倖!?」
「シャーッ!」
「タマ」
聡子の横をすり抜けて珠緒に近付く。背後で聡子が声を上げていたが、明彦が止めに入ったのか追って来はしない。
威嚇してくる珠緒に躊躇なく手を伸ばす。キッと睨んだかと思えば、相手が誰か気付いたらしく表情が和らぐ。そのまま頭に触れると、大人しく撫でられていた。普段の珠緒もそうだが、頭を撫でられるのが好きらしい。
「ん」
倖が両手を広げると、ぽすんと体ごと寄りかかってくる。そのままぐりぐりと頭を擦り付けてくるのを一撫でし、珠緒の肩に腕を回して方向を変える。大人しく従う珠緒を連れ、割り振られていた部屋へ入る。
「ねむ」
布団に寝そべって大きな欠伸を一つ。先に寝転がった倖を眺めていた珠緒も、もそもそと横になると安心したように身を寄せて丸くなった。
* * *
「おはよ」
「お、おはようございます……」
寝て元に戻った珠緒に起こされ、欠伸を噛み締めながら珠緒と連れ立ってリビングへ。
テーブルに並んだ朝食の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。今朝はパンとスクランブルエッグにベーコンらしく、トースターからちょうど焼けたパンが飛び出した。
「二人ともおはよう」
「もうご飯出来てるわよ。早く顔洗ってらっしゃい」
「んー」
人数分のパンを焼き終え、飲み物の準備をする聡子に生返事を返して洗面台へ向かう。
あの後、明彦がどう説明したのかは知らないが、表面上聡子はいつも通りに見えた。倖に対しても、珠緒に対しても。顔を洗うことで多少なり回るようになった頭で、冷静に判断する。犬のように濡れた顔をぷるぷる振る珠緒にタオルを押し付け、先にリビングへと戻った。
特に何の問題もなく朝食を終え、明彦の運転で本日の目的地アマルフィへ向かう。聡子も運転は出来るので、帰り道を担当するらしい。明彦と違って運転が荒いため、明彦が運転席に座ってくれてほっとした。食後のジェットコースターほどキツいものはない。
何だかんだで聡子も行ったことはないらしく、倖が持ってきていた観光ガイドを楽しげに眺めていた。そうこうしている内に、徐々に海に近付いたかと思えば、テレビや観光ガイドでも見ていた光景が眼前に広がった。
断崖絶壁な山と海に挟まれた海洋国家として有名なアマルフィは、山に沿うように色とりどりの家が立ち並ぶ。その鮮やかで賑やかな彩りは、さながら宝石箱と例えられるのも頷ける。それをさらに際立たせるかのように、透明に近い青色が陽光を反射していた。
アマルフィの代表的な建物と言える、ドゥオモ大聖堂はロマネスク建築やバロック建築など複数の建築様式で建てられ、これを見なくてはアマルフィに来たとは言えないとまで言われているらしい。
アマルフィ自体はそれほど大きな町ではないので、車を停めた後は明彦の案内で大聖堂を中心に街並みを堪能する。アマルフィ海岸で有名な海も見たかったが、ただでさえ寒い冬に水辺に行く気はせず、遠目に景色の一部として楽しんだ。山にも海にも近い立地を活かした新鮮な食材をメインとした昼食を食べ、一行はアマルフィを後にした。
「この後はどうする?」
両手の戦利品を車に詰め込む聡子。もちろん、全て聡子が自分用に買ったものだ。片手に袋が一つ二つ程度の倖達より多いのは何故なのかという疑問は、口に出してしまうと面倒なので仕舞っておいた。
倖はそこまで交友は広くないので櫂と今の高校メンバーの数名程度だし、珠緒はもっと少ない。杏、イズナ、蘭の三人は合同で買うことにしていたので、後は互いの欲しいものを買うくらいだ。
「帰り道は違う道にしましょ。遠回りになるけど、雰囲気の良い町がこの辺多いのよ」
明彦とバトンタッチして運転席で座席の調整をする。行きと同じようにシートベルトを装着する珠緒に、ジェスチャーで長さを短めにしておくように伝える。首をひねりつつ従う珠緒を横目に見つつ、倖は荷物の隙間をクッション等で埋めて固定していく。
「さっ! イタリアの綺麗な風景をご堪能あれ!」
意気揚々とした声を合図に、車は地獄のドライブへと急発進した。
「ひ、ひえぇ……」
アマルフィから離れるにつれ、人や車の数が徐々に減っていく。
が、海と山に挟まれた立地のため、景色は抜群なもののカーブが多く、その度に体が右へ左へ流される。隣から絶えず小さな悲鳴が聞こえる。慣れれば道を見て重心を合わせられるが、残念ながら珠緒はシートベルトをしっかり掴んだまま顔色を悪くしていた。
「マオ、口開けろ」
「へ?」
山道を抜けて住宅街に戻ったあたりで、倖は鞄からレモンキャンディを取り出し、珠緒の口へと放り投げた。買い物のおまけとして貰ったものだが、レモンの酸味が車酔いを多少和らげてくれるだろう。
なぜ飴なのかと目を瞬かせる珠緒を放って、窓の外へ視線を向ける。
「へえ」
「良い雰囲気の町でしょう?」
じっと外を見る倖に気付いたのか、聡子がミラー越しに倖を眺めていた。
恐らくこの辺りでは一般的なのだろうが、一つ一つの家が大きく屋敷と言えそうな建物と広い庭を持っていた。明彦達が住んでいるところやアマルフィはカラフルな建物が多かったが、ここはクリーム色の壁と茶色やオレンジの屋根が多く、統一感のある町並みとそこかしこに植えられてた緑と花々が明るく可愛らしい印象を与えた。
聡子の意図することを察し、倖は無言で外を眺め続ける。
この長閑な町は『箱庭』の世界にどことなく似ていた。
当時、犬だった倖の知る範囲は狭い。
病弱だったカリーナがサチコの散歩に行けるはずもなく、一日に一度使用人が連れて行ってくれていた。それも、あまり長く留守にするとカリーナが寂しがるからと早々に帰りたがる為、結局は庭で好き勝手に遊ばせる方法で運動させられていた。
そんなサチコの記憶にある町並みによく似ている。あれから何年経ったのかはわからない。が、目まぐるしく景色の変わる日本と違い、海外では古い家でもリノベーションして大切にするのが一般的だという。
それを証明するかのように、見える景色は時間の流れに置き去りにされたのではと思うほど、趣のある家が多かった。
「!?」
一瞬、見えた景色に既視感を覚えて息を詰める。
視線で追うもあっという間に景色は流れ、感じたデジャブも薄まり、本当に見覚えがあったのか自信がなくなっていく。
落ち着きのない心臓を持て余しながらちらりと珠緒を盗み見るが、話せる状況でもなければ死に体の珠緒が見ていたとも思えず、倖は口を引き結ぶ。
「……」
聡子と明彦が話しているのを聞き流しながら、倖は一瞬垣間見えただけ過去の残像に心奪われていた。
行ったことはないので、分からない部分は妄想で補っております。




