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カリーナへ、愛を込めて。  作者: 猫宮璃桜
41/51

41、四ヶ月後

間が空いてしまってすみません。


「ただいま」


 めっきり寒くなった外気に晒され続けた鼻を指でこする。

 手袋の布越しでは思ったように掻けず、眉根を潜めながらリビングへと向かう。


「遅いぞサチ!」

「お前また来てたのか」

「おい! 持ち上げるなって何回言ったらわかる!」

「へいへい」


 家主よりも先に視線の合った小生意気な少女が倖に突進する。避けること無く幼女を受け止め、ひょいと持ち上げる。

 ぺしぺしと倖の頭を叩いてくるが、ずっと家の中に居た少女は温かく、倖は喚くホッカイロを持ったまま家主に目を向けた。


「ただいま、マオ」

「おかえりなさい、(さち)くん」


 ふわりと微笑む珠緒に持っていたホッカイロ、もとい蘭を渡し、着替える為に部屋に向かった。




 あの夏の日。


 蘭を見送ったすぐ後、珠緒と倖も家に戻った。

 話さないといけないこと、聞かせてほしいこと、話したいこと。どこから話そうか悩む二人だったが、冷蔵庫に手付かずの弁当があることに気付いた倖のスイッチが入った。

 手を入れ直した弁当とスープを珠緒に食べさせ、嫌がる珠緒を水着に着替えさせて風呂に突っ込んだ。一通り終えた所でようやく一息つき、倖の部屋でゆっくりと話し始めた。


 倖がずっと聞きたかったこと。それは、タマが独りで死ぬことを選んだ理由。

 猫は弱ると人知れず姿を消して息絶えることがあると人間になってから知ったが、タマがいなくなったと気付いたカリーナは必死に探した。勘のようなものが働いたのだろう。家人が止めるのも振り切って雨に濡れながら探すカリーナに、先に庭を探していたサチコがタマを見つけた。


 生け垣の根本にひっそりと丸まる、黒い塊。

 すでに温もりの消え去った塊を見て、カリーナは泣き、気を失った。

 家人がカリーナを家に連れ帰って医者に見せたりと忙しなく動く中、サチコは庭一番の大木の根を掘り始めた。カリーナとタマが出会った、木の根本。十分な大きさの穴が掘れた所で、冷たくなったタマを埋め、土を戻した。


 ようやく体調が落ち着いたカリーナのスカートを噛み、サチコは大木へと案内した。掘られて真新しい土の色になった場所の意味することに気付いたのだろう、カリーナは再び泣いて、サチコを抱きしめた。そして、黒い百合を周りに植えた。


 その後、出会った伴侶とよくタマのおかげだと話していたのを覚えている。一緒に居たのは短くとも、カリーナにとってタマは大切な存在だったのだろう。




「……どうしてすぐ言ってくれなかったの?」


 咎めるというより拗ねた様子の珠緒も、倖との初対面で既視感は抱いていたらしい。しかし、前世が多い分すぐに誰かはわからず、分かった時には拒絶されていた。

 悲しく思いながらも、嫌われて距離を置かれているほうがいいと判断した。というのに、拒絶した当人は数年後にひょっこりやってきて一緒に住むと言うのだから、色んな意味で戸惑いが大きかったと小声で吐露した。


「お前に会う前に”箱庭”を読んだんだ。同じ前世を生きたっていう興味もあったけど、それ以上にそれを売り物にされてたことに腹が立った。しかも、会ってお前がタマだって気付いて、あんなに泣かせて、それでもカリーナはずっとタマを大切に想ってたのにって感情がコントロール出来なくなった」

「……ごめんなさい」

「それに関しては事情も知ったし、初稿も見たからいい」

「見たの!?」

「今日呼ばれた理由がそれだったんだ」


 最初はベッドに座って話していたが、初稿を読まれた恥ずかしさからか、申し訳無さからか。ずるずると体勢を崩していく珠緒に苦笑し、部屋の明かりを暗めに変える。不思議そうに見上げる珠緒に掛け布団をかけ、横に寝そべった。


「”箱庭”が賞を貰って出版されることになった時、珍しく怒ったんだってな」


 杏から聞いた話を思い出す。


『編集さんから、本として出すために手直しを言い渡されたの。でも、自分は見たままを書き連ねたのであって手を加えられる立場にない。変えないといけないなら、デビューなんてしないって譲らないもんだから、私も編集さんも困ってね。いやー、懐かしいわー』


 初稿を読み終えた倖に、杏がころころ笑いながら話してくれたのだ。


 その際に編集長や杏も巻き込んで一悶着あり、杏に説得されて改稿を渋々了承した。が、その影響で当初担当予定だった編集との関係が悪くなり、仲介役として他部署にいたイズナを杏が引っ張りだしたらしい。いくら珠緒が前世を見たまま書いていると言っても、普通の人には伝わらない。だが、ワケアリが集う天音出身で数年社会人経験のあるイズナならどちらの事情も汲み取れる。


「杏さんが言ってたよ。どうしてもお前をデビューさせたかったって。分かち合える相手が絶対どこかにはいるはずだから、って」

「……うん。今は感謝してる」


 一人前世に苦しむ珠緒に、杏は寄り添うことは出来てもその重荷を一緒に抱える事は出来ない。だから、他にも前世を持っている人を知ったり、あわよくば同じ前世を持つ人が現れないかと一縷の望みをかけた。

 そんな思惑も知らずに釣られた身としては複雑だけどな、と言う倖に珠緒は穏やかな笑みを浮かべていた。


 その後も取り留めなく話し続けた二人だったが、次第に瞼が重くなり舌足らずになっていく珠緒の髪に手を伸ばした。


「もう寝ろ。明日も明後日も、これからも一緒に居るんだから。焦らなくていい」


 その言葉と優しい感覚を最後に、珠緒は眠りについた。




 蘭がこの家を訪れたのは、その数日後のこと。


 イズナが蘭と蘭の母親を連れて謝罪に来たのだ。予想より早い再会に、蘭はチャンスを逃すなとばかりに偶にここへ遊びに来たいと言い始めた。詫びに来たのに更に迷惑をかける訳にはと慌てて蘭を黙らせにかかる母親に、珠緒と倖は二つ返事でオーケーを出した。


 その結果、週に一度の頻度で蘭は遊びに来るようになった。

 宿題を終わらせないと行ってはいけない等のルールはいくつか設けたのも理由の一つだが、近所と言えど平日は小学校がある。金曜の夕方や土日に来ることが多く、夕飯を共に食べたら倖が送ってくのが日常の一部と化していた。

 が、そんな蘭は二日前に来た所だった。


「で、何しに来たんだ?」


 歯に衣を着せぬ倖の問いに、リビングで談笑していた蘭の顔が途端に引き攣る。


「お前はほんっとうに愛想がないな! もう少し嬉しそうにしたらどうだ!」

「嬉しくないのに嬉しそうにするわけないだろ」

「んなー!」

「仲良しだねぇ」


 早速夕飯の支度に取り掛かる倖の背中をぽかぽかと蘭が叩く。のほほんと微笑ましく眺めていた珠緒へ倖が視線を向けると、気付いた珠緒がさっと顔をそむけた。


「……」


 ここ数日、珠緒の様子がおかしかった。

 これまでにも何度か様子のおかしい時はあったが、今回はまた違う気がして倖は眉を顰める。

 今のように普通に会話したかと思えば、何かを思い出したように視線を逸らせたり、どこかぼんやりしていたり。聞いても「何でもない」しか言わないので、倖も深く追求はしなかった。が、さすがに何度もされると気になるので、杏に探りを入れるべきか悩んでいた。


「聞いてるのかサチ!」


 蘭は倖が何度言っても”こう”と呼ぶのを嫌がった。無理強いして前世の名前を呼ばれるよりはと最終的に倖が折れ、後ろに”コ”を付けない約束で”サチ”と呼ぶのを許可した。抵抗がなくなったわけではないが、誰にも言わなかった前世もすでにそれなりの人に知られて今更感が出たのもある。

 そんな蘭に影響されたのか、珠緒からもそう呼んでいいかと聞かれ、蘭はいいのに珠緒はダメだなんて誰が言えようか。

 名前へのコンプレックスをこんな形で脱するなんて思ってもいなかった。


「サチサチサチサチっ!」

「だーもう! うるさい、耳元で叫ぶな!」

「お前が聞いたのに聞いてないからだろ! 今日から冬休み! この間も言ったろ!」

「……あー」


 子ども独特の高い声に鼓膜を破られそうになり、倖は物思いから強制的に戻らされた。洗い終えた米を炊飯器にセットし、手を拭きながら思い出す。


「サチも明後日から冬休みなんだろ?」

「ああ」

「じゃあ毎日遊べるな! フリスビーでもするか!?」

「誰がするか」


 倖は明日が終業式だが、小学校はひと足早く休みに入ると聞いていた。しかし、終業式を終えた足でここに来るとは思っていなかった。

 楽しそうに髪を右へ左へ揺らす蘭だったが、続いた倖の言葉にピシリと固まった。


「というか、俺らはお前の相手してられないぞ」

「なっ、なんでだ!? ジュケンももう終わったんだろ!?」

「終わったから両親に顔見せに行くんだよ」

「えー!!」


 夏休みも勉強に励んだ甲斐あって、倖は当初の予定通り、義父である明彦の母校への進学が決まっていた。介護を引き継ぎ、明彦と合流していた聡子も一時帰国する予定だったが、成績や素行に問題はないからと三者面談をしなかったので会うのはGW以来となる。

 再び蘭からぽかぽか殴られていた倖だが、ふと倖達を見ている珠緒が驚いた表情をしているのに気がついた。嫌な予感がしつつ、倖は口を開く。


「……マオ、なに他人事みたいな顔してるんだ。お前も行くんだぞ?」

「え?」


 蘭を雑に相手しながら言う倖に、珠緒はさも初耳だと言わんばかりに目を見開いた。はあと大きく溜め息を吐いた倖は、蘭をひょいと捕獲して珠緒に詰め寄る。


「ひと月くらい前に言ったろ! 俺の進学も決まったから、冬休みにあっち行って両親と年越しすることになったって!」

「そ、そうだった……?」


 言い出しっぺは聡子なので、珠緒を連れずに行ったら確実にグチグチ言われるし、一瞬で珠緒が元の自堕落な生活に戻りそうなので連れて行かないという選択肢はない。だからこそ根回しを早めにしていたのに、当の本人が聞き流していたなんて。


「イズナさんにお前のスケジュールは調整してもらったし、杏さんにも連絡してパスポートは入手済み。冬休み一日目は家の掃除と荷物確認、二日目に出発。つまり明々後日には日本を発つ。あっちでの滞在は十日間。分かったな?」

「は、はい……」


 明日明後日で荷物をまとめろと圧をかける倖に、珠緒はこくこくと頷いた。


「ボクも行くー!」

「連れて行けるわけないだろ」

「サチのいけず!」

「はいはい」


 捕まえられたままじたばた喚く蘭と言い合いを始めた倖を横目に、珠緒は小さく溜め息を漏らし物憂げな表情で俯いていた。


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