04、ルール
「ルールを決める」
突然そう言い始めた倖の手には、すでにルーズリーフとペンが用意されていた。
温め直されたスープカップを両手で持っていた珠緒は、一体何が始まったのだろうと無言で続きを待った。
「アンタが料理しないのは、よーく分かった」
左端に黒丸を数個並べ、料理、掃除、洗濯、と大まかなカテゴリーを書いていく。そこへ珠緒と倖の欄を作った矢先に、珠緒の料理欄には大きな×が書き込まれた。
ダメ人間のレッテルを貼られたようで悲しくなる珠緒だったが、台所で出来ることはお湯を沸かせたりレンジで何かを温めるくらいなので、何も言い返せない。
買い物後、マンションまで帰ってきたのは覚えている。どうやら部屋に着くなり、力尽きてソファで眠ってしまったらしい。その間に倖は近くのスーパーへ買い出しへ行ったりご飯を作ったり、主婦顔負けの家事スキルを発揮していた。
「コウくん、料理できるんだね」
「これくらい誰でも作れる」
調理道具や調味料もままならないこの家で、二度と見ることはないと思っていた出来たてのご飯に珠緒は感動していた。倖は肉料理をメインにプラスでスープを作ったが、小食な上ずっと寝ていた珠緒はスープだけで十分満たされた。
満足気な表情を浮かべる珠緒を大袈裟だと言いたげな目を向けていた倖は、次に部屋の中へ視線を移した。
「家政婦とかは雇ってないな」
「うん」
「なら掃除と洗濯は出来るってことか」
基本的に家から出ない珠緒は、窓を開けることもほとんどない。一年を通して空調を付け、掃除機をかける時だけ換気を兼ねて窓を少しだけ開ける。だが、ここの窓は全て二重ロックが取り付けられ、数センチしか開かない仕様になっている。
「掃除機も、洗濯物も、中で出来るから……」
「中? 部屋干ししてるのか?」
「うん」
「ベランダがあるのに?」
「……」
以前は客間で干していたが、今は客が居るのでリビングの窓際に置いている。空調の風が当たる場所でもあるので、まだ乾きにくいこの季節でもそれほど時間はかからずに乾く。
客間と和室も南向きに窓があるので、現在客間を占領している猫達は思う存分ひなたぼっこを楽しんでいた。
「あ!」
洗濯物で思い出した客の存在に、珠緒が青褪める。窓の外はカーテン越しにも分かるほど暗く、とうに日は落ちている。朝からバタバタしていて、客間を覗けずにいたので一日放っていたことになる。音を立てて椅子から立ち上がり、珠緒は客間へ走った。
リビングを出てすぐ左側。慌ててドアノブに手をかけて、開ける尊前で止まる。入り口付近で寝ていることもあるのを思い出し、そうっと扉を押し開けた。
「あれ……?」
三匹の猫は皆安らかに眠っていた。
子猫と成猫の間ほどの大きさの猫達を順に覗き込み、頭を撫でる。いつもなら、珠緒が仕事などであげ忘れていると、これでもかと鳴き喚いて知らせてくるというのに。
もしかして病気だろうかと心配する珠緒をよそに、猫達は寝ぼけ眼で頭を摺り寄せごろりと寝返りを打った。ぐるぐる喉を鳴らして甘えてくる猫をあやしながら、常設している水と餌を確認するが、どちらも問題なさそうだった。
「ああ、鳴き喚いてたからやっといた」
「ありがとう……」
珠緒の後を追ってきていたらしい倖の言葉で謎が解けた。
ほっと胸を撫で下ろしていると珠緒の頬へ猫が頭を押し付けた。くすぐったそう笑む足元には違う猫が擦り寄り、もう一匹はどこかからオモチャを持ち出して一人遊んでいた。三匹いれば、遊び相手には事欠かない。が、やはり遊び足りないようで、オモチャを持った猫は倖の足元に置いて「にゃあ」と一声鳴いた。
「さっきの話だが、アンタは今までどおり過ごせばいい。洗濯はアンタが使ってない時を見計らってするし。同じ洗濯機を使われるのは嫌かもしれないけど、そこは大目に見てくれ。掃除も今まで通りでいい。手が回ってないと判断したら、掃除機なり勝手にかける。で、料理は俺がする」
「はい」
そこまで考えていなかった。
思春期の娘は誰しも通るという父親イヤイヤ期もなかった珠緒は、洗濯物が一緒に洗われようと気にはしない。が、高校生男子的には気になるのだろうと大人しく頷いた。
「アンタの分の飯は置いとくから、好きなタイミングで食べろ。アレルギーは仕方ないが、好き嫌いと食べ残しは認めない。他に買い出しとか、やって欲しいことがあったら言え」
「はい」
猫に渡された猫じゃらしを拾い、慣れた手つきで遊び始めた。珠緒の横と足元にいた猫も、瞳を輝かせてお尻をふりふり。いつの間にか猫じゃらしの虜になっていた。
「あと、言いたいことがあるならちゃんと言え。押し切った俺も悪いけど、徹夜明けだと知ってたら少しは考えた」
「!」
倖が猫の注目を集めている内にトイレ掃除しようと、ごそごそ掃除し始めた珠緒は驚いて振り返る。
倖の言った通り、珠緒は徹夜で仕事をしていた。いつもなら日付が変わって少しした頃に眠るのだが、雑念を追い払おうと集中している内に朝になっていた。眠気まなこをこすって、お茶を飲んだら寝ようとリビングに行った所を倖に捕まったのだ。
言う隙を与えなかったのは倖だが、言わなかったのは珠緒だ。
「……ごめんなさい」
珠緒を見ようともせず淡々と責める声には後悔が滲んでいて。怒っているのかと萎縮する珠緒の頭を、猫じゃらしでぽすんと叩いた。
「仕事のことを口出しするつもりはない。けど、食事や睡眠には口は出させてもらうぞ。倒れられて看病するのは御免だからな」
そう言われ、寝ている時にかけられていた上着を思い出す。無意識に脱いだものを、風邪を引かないようと倖がかけてくれたのだろう。もしくは、邪魔だからか。
もう何年も続けている不摂生をダメだなと思いつつも、危機感はあまり無く。指摘されて初めて、自分の行いで周りに迷惑をかける可能性に思い至る。それは珠緒としても避けたい。
「気をつける」
「そうしてくれ、真昼ゆめ先生」
不意にハンドルネームを言われて、珠緒は再び驚いた。
倖は気づかず、いつの間にか二刀流になった猫じゃらしで戯れていた。
珠緒は小説家だ。
不測の事態でデビューしたのが高校の頃。小説だけでは食べていけないからと父に諭され、大学へ行きながら書き続け。卒業する頃には、自分一人なら細々と生計を立てられる程度にはなった。父の書斎は幼い頃から珠緒の遊び場でもあり、デビュー後は必然と作家業に勤しむ場所となり、再婚と共に明彦が拠点を移してからは完全な仕事部屋と化している。
星の数ほどいる作家の内、デビューして数年で発行書籍も片手で足りる珠緒を知っている人など高がしれている。だからこそ、倖が知っているのに驚いた。考えてみれば身内になるのだから知っていても不思議ではないのだが、珠緒に興味などないと思っていた。
「……」
昨日今日と。まだ二日しか経っていないが、倖と珠緒のしっかり度には雲泥の差がある。
性格によるものと言われてしまえばそれまでだが、年上としてもう少し頑張らないととは思う。思うが、そうすぐには変われない。
倖にも出会い頭で姉とは思わない宣言されている分、今更感も強い。それでも、一緒に住むと言ってしまったのだから、頑張らなければと珠緒はせっせと猫トイレの掃除を終わらせた。
「ところで、こいつら名前は?」
「名前? ないけど……」
「は?」
動きが鈍った所を狙いすましたように猫じゃらしを奪われ「あ!」と声を上げるも、猫同士で遊び始めたので取り返すのはやめたらしい。
「ないのか?」
「付けたほうがいいの?」
当然あると思っていた倖に、逆に珠緒が戸惑う。変な雰囲気でお互い黙ってしまい、沈黙が流れる。
「こいつらは何でここにいるんだ?」
「知り合いが拾って……引き取り手を探している間、預かってって……」
「ああ、だから客」
猫達は数少ない友人が拾い、里親が見つかるまでの間よろしくと置いていった。それなりに長い付き合いの友人は常に多忙で、自由気ままだ。いつもふらりと現れたかと思えば、今回のように謎の手土産を持っていることもしばしばある。
成る程と頷く倖だが、それは客という意味を理解したにすぎず、名前を付けない理由にはならない。
珠緒からしたら、猫は猫、犬は犬。
名前はただ識別するために人間が勝手に与えた標識であり、無くとも猫は困らない。そういうものが必要なら引き取り先の人がするだろうと、最初から付ける気すらなかった。
「いつまで預かるんだ?」
「見つかるまで……?」
「ということは見つかってないんだな」
「うん」
「なら勝手に決めるぞ。どうせ、纏めて猫とでも呼んでたんだろ」
珠緒がどうして分かったと目を丸くするのに、やっぱりなと呆れた顔を浮かべ、じっと猫達を見つめる。話の流れから名前を考えているのだろう。どんな名前を付けるのか興味が沸いて、珠緒は倖の言葉を待った。
「グレイ、ブチ……クロ」
ぱちりと珠緒が瞬く。
灰色の毛のグレイ、茶色にぶち模様が入ったブチ、茶色がまだらに入っているが全体的に黒っぽいクロ。三匹とも名前など全く気にした様子もなく遊んだり、休み始めたりしていた。
「ふ、ふふっ……」
「おい、笑うな」
仮名とは言え、どストレートなネーミングに笑うなというほうが無理な話だ。
肩を震わせる珠緒に、自分でも捻りのない名前だと思っていたのか、むすくれた倖は寝ぼけた猫の頭をわしわし撫でた。
評価ありがとうございます!読んでくださっている方に、少しでも楽しんでもらえるよう頑張ります。