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カリーナへ、愛を込めて。  作者: 猫宮璃桜
23/51

23、二つのノート


「ね、最後にもう一つ聞いてもいい?」


 倖がいつも利用しているスーパーに車を止め、降りようとするのを杏が引き止めた。

 てっきりもう用は済んだと思っていた倖は、無言で振り返る。


「今日のご飯はなあに?」


 予想外の問いに、倖の動きが止まる。これからスーパーに行くのだから、献立はなんとなく決めてあるけれど、それを聞かれる意味がわからなかった。自分が食べるわけではない献立なんて聞いてどうするんだと言いそうになって、ふと気付く。


「もしかして、食べていくつもりですか」

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃなーい。聞いてみただけよ。いつも美味しそうなご飯ばっかりだから、一回食べてみたいなーとは思ってるけど」

「いつも美味しそう?」


 嫌なのではなく、杏が食べていく場合の追加分を無意識に換算していただけなのだが。食べるわけではないと分かったものの、杏の見知っていると言いたげな様子に怪訝な表情を向ける。作った料理を見せたことも、食べさせたこともなかったはずだ。


「珠緒にお弁当作ってあげてるじゃない?」

「作ってますけど……」


 確かに作っている。

 今でこそ朝にスープを飲むようになったが、同居を始めた頃は少食で一度に食べる分量が少ない上、一日に一食を摂るか否かという不健康な食生活をしていた。だからこそ、強制的に一食は食べろと付箋に日付を書いてノルマを設けた。夕食も量は少ないが共に食べるようになったので、今度は食べる量を増やせないかと画策中だ。


 それが何だと言いたげな倖に、杏がこてんと首を傾げた。


「あれ、知らない? じゃあイイモノ見せてあげよう」


 警戒モードになった倖を尻目に、杏はハンドル横のポケットに入れていた自身のスマホを弄り始めた。たどたどしい触り方の珠緒とは違い、滑らか且つ素早い動きで目当ての画面へ辿り着くと、倖の眼前に差し出した。

 触れそうなほど近くに画面を突きつけられて身を引く。そこには、少しブレた画像と愛想のない一文が添えられていた。


「これ……」

「珠緒が携帯持った時に、二日に一回は連絡してって言ったのよ。そしたらなんと翌日からほぼ毎日連絡が来るようになってね。しかも、いつも内容がこれなの」


 倖に画面を向けたまま、杏が画面に指を滑らせると次々画面が変わっていく。

 そこには、倖がこれまで珠緒に作ってきた弁当の写真と感想が映っていた。職業が小説家だとは思えないほど簡素な文だが、美味しかったものや何気ない日常の一コマが律儀に添えられいて。


 基本ズボラな珠緒が毎日食べているのにも密かに感動していた倖だが、まさか杏に送っているとは思わなかった。自分の知らない所でのやり取りに、倖はどう反応したらいいのか分からず、画面と杏の間で視線を彷徨わせた。


「私のイチオシはこの日」


 再び倖に向けられた画面には写真がなかった。

 添えられた短い文章を読んで、すぐ送った日に思い至った。


『寝ててご飯食べそびれたら、明日の分に変わってた……』


 今までで珠緒が作った弁当を食べそびれたのは一度だけ。初めて猫化した珠緒を見た日だ。

 覚えていないだけで実際は珠緒の胃袋に収まったのだが、本人はショックだったらしい。愛想のない文章のはずが、どこか哀愁を帯びて感じられるのが面白い。


「言葉や表情に出ないから分かりにくいかもしれないけど。あの子、弟くんのご飯気に入ってるのよ」

「感想言う相手、完全に間違ってますけど」

「あはは、そこが珠緒の可愛いところよね!」


 杏は楽しそうに、見せ終えたスマホを戻した。珠緒の不器用な部分を可愛いと笑い飛ばせる杏だからこそ、今まで付き合いが続けられたのだろう。


「信じられないなら一度言ってみなさいな。もうご飯作らないって。きっと面白い反応が見れるわよー?」


 にょきっと黒い尻尾が生えたとしか思えない非道な発言に、倖は本音を言いそうになったが咄嗟に押し留めた。珠緒とは違う意味で大人とは思いにくい杏だが、れっきとした年上で倖も世話になった相手だ。

 その台詞を言われた場合の珠緒を想像したのか、にまにまと笑う。


「嘘よーう。優しい弟くんのことだもの。今の話を聞いてそんな嘘、吐けないでしょ?」

「……」

「本当、感謝してるのよ? 弟くんが来てから、珠緒変わったもの」

「そうですか」


 からかい口調を引っ込めて、急に大人ぶった言い方をする杏の変わり身の早さについていけない。前にもこんなことあったなと倖が記憶を辿る中、杏はふわりと倖の頭に手を置いた。


「思い詰めてたりしてないか心配だったけど、大丈夫そうで安心したわ。また何かあったら、いつでも連絡してね」


 何事もなかったように纏めて、お決まりの文句で締め括る。

 頼れる相手が少なく慣れない場所で、杏が数少ない頼れる人物なのは確か。出来る限りは自分の力でするが、どうにもならない部分は頼るかもしれないと、素直に頷いた。


 今度こそ車を降りた倖は、送ってくれた杏に礼を言って別れる。その脳内では、先日のリクエストを思い出して、卵は安かっただろうかとアプリでチラシを広げていた。



* * *



「ただいま」


 買い物を済ませて帰った倖は、いつものように冷蔵庫へ買ってきた食材を入れていく。珠緒の弁当がなくなっているのも確認し、空になったエコバックを畳みながら客間へ行く。

 珠緒は仕事中なのか、眠っているのか。倖が帰ってきたのに気付いた様子はない。珠緒の仕事及び私生活に必要以上に関わるつもりはなく、大体夕飯時になれば出てくるので特に気にする事はない。元々過干渉はしないルールで成り立っている同居だ。


 荷物を置いて家着に着替えていると、鞄からブーッと聞き慣れた音が響いた。バイブのままだったなとスマホを取り出した倖だったが、届いたメッセージ内容を読んで思わずスマホを握りしめてしゃがみ込んだ。


「なんでそれをさっき言わないんだよ……!」


 誰にも聞こえないような小さい声で毒づく。

 もう一度画面を確認した倖は、僅かな反抗心から返信せずに画面を閉じた。


「見なかった。俺は何も見なかった」


 スマホ画面を下に向けて放り投げると、倖は勉強道具を持ってリビングへと向かった。もうすぐ中間試験も控えた受験生。どれだけ勉強してもし足りない。特に、転校して初めてのテストなのだから気合をを入れないとと意気込んでペンを握る倖だったが。


「だーっもう!」


 不意に届いたメッセージを思い出してしまい、全く集中できない。

 がしがしと乱暴に頭を掻いた倖は、部屋に戻って先程届いたメッセージを開いた。


『言い忘れてた。もうすぐ珠緒の誕生日なので、良かったら祝ってあげてね。杏』


 ついさっきまで会っていたのだから、その時に言えよと心の中で悪態を吐く。いや、言われた所で祝うつもりなんて……ないわけじゃないが。

 その日がいつなのかすら書かず、匂わせるだけのメッセージに舌打ちしながら、倖は返信文を打ち始めた。



 暫くして、部屋の中で小さな着信音が流れた。


 ペンを置いて背伸びを一つして立ち上がる。勉強の邪魔にならないようにと、手の届かない場所に置いていたスマホ画面に表示された名前は杏ではなかった。


『久しぶり。もうそっちには慣れた?』


 見えないはずの送り主の表情が手に取るように想像でき、思わず表情を緩める。早速返事を打つと、倖は夕食の準備に取り掛かった。



* * *



「コウくん、もうすぐ試験?」


 案の定、夕食の匂いに釣られて出てきた珠緒の分も用意して、二人でテーブルを囲む。


 数日前にリクエストされたオムライス、ではなく。魚介が安かったのでパエリア。特に好き嫌いはないらしい珠緒は、ゆっくりとだが手を止めることなく食べていた。


「知ってたのか」

「貴ちゃん……えっと、知り合いが教えてくれて」

「理事長となら転校初日に話した」

「そうなの?」


 互いにあまり世間話をしないので、珠緒は倖と理事長である貴子が会ったのを知らなかった。言おうかと思った倖だが、話した内容が内容なので言わずにいた。杏と時々会ったり連絡を取り合っていることも、倖から話したことはない。


「貴ちゃんからね、年間行事の紙が届いたの」

「ああ」


 こう見えても倖の保護者である。大体は年度始めに配るものなのだろうが、倖は貰った覚えがなかった。周りにあまり興味がない珠緒が知っている訳だと納得した倖に、珠緒が恐る恐る聞く。


「その、大丈夫?」


 遠回しすぎる問いかけに、倖は怪訝な表情を向ける。窺うような視線はそれ以上言うことはなく、倖は心当たりのある案件を端から答えた。


「勉強も家事も普段からしてるものだから問題ない。試験つっても中間試験で、そんなに範囲は広くないしな。テスト傾向は物好きなクラスメイトが教えてくれたから、まあ大丈夫だろ」

「そっか」


 幼い頃から自分のことは出来る限り自分でしていた倖にとって、テスト前だからと慌てて机に齧り付いたりはしない。満足の行く答えを得られたのかはわからないが、それ以上聞いてくるそぶりはない。


「試験、頑張ってね」

「ああ」


 言われなくともそのつもりだと、倖はこくりと頷いた。


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