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カリーナへ、愛を込めて。  作者: 猫宮璃桜
19/51

19、預かり物


「もう帰らないといけないなんて……」


 翌朝、物憂げにぼやく聡子。


 日帰りでこそないものの、あまり長く祖父を放っておくことも出来ず。昨日の昼に来た聡子は、今日の昼には帰る予定となっていた。


「はいはい」


 朝ご飯を作っていた倖はテーブルに三人分並べ、ちらりと廊下へ目をやった。


 珠緒が起きてこない。リビングの壁向こうは珠緒の部屋なので、人の起きた気配で目覚めても良さそうなものだが、昼夜逆転生活をしている珠緒は普段は今からが寝る時間だったりする。


 ぐっすり寝ているのなら寝かしておきたい気もするが、聡子は後数時間しかいない。普段放っているのだから、今日くらい起こすかと倖はエプロンを置いた。


「起こさなくていいわよ」

「甘やかすな。母さんは先食べてて」

「もー。起きてくるまで放っておいてあげなさいって」


 聡子の声を聞き流して珠緒の部屋まで行くと、一応ノックする。返事はない。


「……」


 聡子はああ言ったが、倖は別の心配をしていた。


 起きてこない事は別に構わない。こちらの事情に付き合わせているのだから、聡子が帰るまでに起きてくれれば問題ない。倖の言う”起こす”は”珠緒を”目覚めさせることを指す。


「入るぞ」


 珠緒の私室には何度か入ったことはあるが、珠緒が寝ている時に入るのは初めてだった。予想通り、ベッドの上に布団に包まった丸い物体を見つけると、倖はドアをしっかりと閉めた。


 ゆっくりと収縮を繰り返す塊からは、すうすうと何とも安らかな寝息が聞こえている。寝ている今は珠緒だ。だが、起きた時の意識が珠緒かどうかは、起こしてみないとわからない。


「おい、起きろ」

「んう」


 塊を揺さぶれば、気の抜けた寝ぼけ声。はみ出る髪の毛から頭の位置を割り出し、そっと布団を剥ぐ。


 小さな体を猫のように丸め、あどけない表情で眠る義姉。揺さぶっても起きる気配のない珠緒の頬を指で突く。無駄な肉も、必要な肉もない珠緒は明け透けに言えば幼児体型で、化粧っ気のなさが輪をかけて幼く見せる。

 突く程度では身じろぎすらしない珠緒の頬を手の平でぺしぺし叩く。


「……ぬくい」


 不摂生な割に化粧をしないからか、肌は滑らか。寝ているから余計にだろうが、手の平を介して伝わる熱は熱いくらいで、長く触れていると湿気てしまいそうだ。


 その温もりに安堵の息を吐いた頃、控えめなノック音がした。


(こう)ー? 起きそうにないなら、寝かしておいてあげなさいよー」


 戻ってこない倖に、聡子が様子を見に来た。流石にドアを開けるのは憚られるらしく、開ける様子はない。


「ああ」


 これだけ近くに居ても、話しかけても起きる気配のない珠緒をちらりと見、倖は諦めて部屋を出た。触れていた手の平は、熱を失ってあっという間に冷たくなっていった。



「そうだわ。倖にも聞きたいことがあったのよ」


 リビングに戻ってきた倖に、のほほんとテレビを見ていた聡子が手招きした。


「あいつをどう思ってるか、か?」

「あら、聞いてたの?」

「あいつからな」


 聡子のニュアンスから立ち聞きを疑われているのを感じ、失礼なと訂正する。

 頭を冷やす為に聡子達から逃げるように風呂へ行った倖だが、落ち着きを取り戻した頭で二人だけで残したのはまずかったのではと気がついて早めに切り上げた。


「なら話が早いわね。それで?」

「別に。生活が不規則なのはどうにかしろと思ってるくらい」

「アンタはいつから珠緒ちゃんの保護者になったのよ」


 なってないと嫌そうに顔を歪める倖に、「そうじゃなくて」と聡子は自分で仕切り直した。


「正直、あなた達が上手くやれているのは嬉しいの。でも、三年前……いいえ、数ヶ月前ですら私達は二人が一緒に過ごすのを想像出来なかった。あなたの口から、珠緒ちゃんの名前が出るなんて、思わなかったのよ」

「……」


 聡子の言いたいことは分かる。そう思わせたのは倖だ。珠緒ですら、きっと同じことを思っている。

 だが、聡子達は勘違いしている。態度こそ怒っているように見えたかもしれないが、倖は珠緒自身を拒否なんてしていない。義姉だと思うことは出来ない、そう言っただけだ。


「あいつがどう答えたかも聞いた。俺も、あいつを嫌ってるわけじゃない。昔も、今も」

「だったら……」

「言い方が悪かった自覚はある。ここへ来るのも、あいつが嫌がるようなら諦めるつもりだった。まあ、留守電に気付いてたら確実に渋っただろうけどな」


 珠緒と再開した瞬間を思い出し、苦笑する。


 その視線はここではないどこかを見つめていた。ほんの数ヶ月前の事を思い出しているのではないと察した聡子は、息子の横顔を眺めた。

 もう幾度と見てきた視線の先を、苦い表情の意味を。倖が聡子に話すつもりはないことを、長年の観察で悟っていた。だが、女の勘と母親としての勘が、以前と少し違うと知らせる。


「倖、本当にここに残るのね?」

「……ああ」


 こくりと倖が頷く。


 倖が珠緒と暮らすと言った夜、聡子と明彦は話し合った。

 一先ず珠緒の返事を待つ。無理だと言うのなら倖を説得して、聡子が連れて行く。そして、万に一つの可能性で良いというのなら……お試し期間を設ける。その期間は一ヶ月。


 二人が上手くいっていないようなら、珠緒が倖を良く思っていないのなら。


 聡子は容赦なく倖を連れ帰るつもりだった。転校したてだなんて関係ない。倖と珠緒、二人にとって引き離すことが最善だと判断すれば、心を鬼にして強行する心積もりで聡子は二人を観察していた。

 そんな聡子の内なる覚悟を二人は簡単に砕いた。


 聡子は観念したように笑みを浮かべ、鞄から茶色い封筒を取り出した。


「明彦さんからの預かりものよ」


 細長い封筒は中の物が出ないようにか、何度も折られて半分以下の大きさになっていた。封筒と聡子を交互に見、受け取る。重さはほぼないが、確かに何かが入っている。


「何が入ってるんだ?」

「さあ? 倖と珠緒ちゃんがやっていけそうなら渡してって言われただけだから、私も中身は知らないわ」

「やっていけそうなら?」

「そうよ」


 封筒をゆっくり触れば、チャリと微かな金属音がした。暗に試していたと告げる言葉は、同時に正式な許可が降りたことを指した。心から認めていないだろうとは思っていたが、予想より許可が早い。

 視線で促されるように封筒を開けて傾ける。受け皿代わりの手の平に落ちてきたのは、小さな鍵だった。


「鍵?」


 家の鍵ではない。自転車やロッカーの鍵に近い、シンプルな形状のもの。キーホルダーか何かを付けなければ、簡単に無くしてしまいそうだ。


「鍵なんて入ってたのね。どこの鍵かしら」


 手の平に乗っている鍵は頼りなく、倖はぎゅっと握りしめると家の鍵と一緒のキーホルダーに取り付けた。


「……明彦さん、これ渡す時になんて言ってた?」

「え? ええと、珠緒ちゃんが倖を嫌がっていなくて、倖もこのまま暮らすことを望むのなら渡してって」

「それだけ?」

「そうだけど。どうかした?」


 仕事柄記憶力は良い聡子のことだ、間違いはないだろう。となると、敢えて中身が何で、何に使うものかも伝えなかったことになる。


「……」


 元々倖に渡すつもりだったのなら、家の鍵と一緒に渡せば済む話。そうしなかった理由に、倖は心当たりがあった。

 長年共に暮らしていた父親が、寝起きの珠緒を知らない訳がない。聡子が倖と珠緒の相性を観察していたように、明彦も様子見していたのだろう。数ヶ月を共に暮らし、寝起きの珠緒を目の当たりにしても共にいることを望む者。尚且つ珠緒も嫌がっていない。それだけの条件をクリアして初めて、渡せるものだったのではないだろうか。

 地味にハードルが高いミッションをいつの間にかクリアしていたような、複雑な心境だ。


「倖?」

「何でもない。そろそろ荷物まとめたほうがいいんじゃないの」

「あら、もうこんな時間!」

「あいつ起こしてくる」


 時計を見て慌てだす聡子を横目に、倖は再び珠緒の部屋に向かった。



* * *



「ごめんなさい……」


 倖に叩き起こされた珠緒は、すっかり帰り支度を済ませた聡子に頭を下げた。


 本人曰く、目覚ましはセットしていたらしいのだが、その目覚ましがなんともアナログな時計だった為、上手く鳴らなかったらしい。携帯使えよと言いそうになった倖だったが、その機能を教えていないことを思い出して止めた。


「そんなに気にしないで。珠緒ちゃんさえ良ければ、またお邪魔させてちょうだいね」

「は、はい。ぜひ……」

「そんな事言ったら本当にくるぞ」

「もう、倖ったら!」


 ボサボサの髪のまま恐縮する珠緒の頭を撫でてさり気なく梳き、聡子は優しく微笑んだ。茶々を入れる倖を思い切り叩いてくるので、叩かれた腕をさすりながら距離を取る。


「和室に忘れ物してないか見てきて」

「は? なんで」

「いいから行く! 新幹線、間に合わなくなっちゃうでしょ!」

「はぁ……わかったよ」


 聡子にゴリ押しされ、渋々和室へ向かう。その背が見えなくなるのを見計らい、聡子は珠緒の手を取った。


「珠緒ちゃん。倖は仏頂面で愛想がなくて言葉も足りない子だけど、根は良い子なの」

「は、はい」

「あの子は甘えるのが下手だけど、甘えられると無下に出来ない。だから、珠緒ちゃんも甘えていいし、言いたいことは言っていいのよ」

「甘える……?」

「そう。食べたいものを言ってみるとか、些細なことでいいの。無理なら無理だって、ちゃんと言う子だから。珠緒ちゃんも、もっと本音をぶつけちゃって大丈夫よ」


 倖に聞こえないよう早口に囁く。母親目線での倖の扱い方に、甘えるという発想がなかった珠緒は目を瞬かせた。


 年上だから、姉だから。無意識と意識が混ざりあった固定観念を見透かした上での助言を、珠緒は噛みしめるように脳内で反芻していた。


「何も残ってなかったぞ」

「そう。なら、行きましょうか」

「母さん駅まで送って、ついでに買い出ししてくるから」

「うん」

「珠緒ちゃん、またね!」


 自分の鞄と聡子のキャリーを手にした倖が、玄関のドアを押し開ける。

 元気に手を振る義母に向かって、珠緒なりに精一杯振り返す。控えめな振り返しに笑みを残し、聡子は帰っていった。



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