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カリーナへ、愛を込めて。  作者: 猫宮璃桜
17/51

17、懺悔


「ここが(こう)の部屋?」


 和室から客間に移ったばかりで、まだダンボールも多いシンプルな部屋。

 ほんの一週間前までは三匹の猫が闊歩していたのだが、キャットタワーは珠緒の部屋に置いているので倖の荷物しか無い。


 倖の部屋が見たいと言う聡子に、珠緒は仕事が残っているから倖が部屋に帰らせた。邪魔だと思ってしたのではなく、そろそろ珠緒がキャパオーバーで煙を出しそうだった為だ。晩御飯は共に食べることになっているので、その時までには回復してもらわないと困る。


「教科書も、前のとは違うのね」

「そりゃな。県も違うし」


 小さめの本棚には教科書や辞書が並べられ、横に取り付けたフックに通学用のリュックを下げている。机を買おうか悩んだが、リビングにダイニングテーブルとテレビ前のローテーブルがあるので、そこを借りて勉強している。


「そうよね……。本当に大丈夫? 寂しくない?」

「何歳だと思ってるんだよ……」


 てっきり勉強のことだと思っていたが、続いた言葉にがくりと脱力する。

 いつの間にか話題が変わっているし、高校生にもなる男が親が居なくて寂しいと言うはずがない。たとえ思っていたとしても、それを言うのは矜持が許さない。


「私は寂しいわよ。ずっと一緒だった倖とも、明彦さんとも離れて」

「……」

「倖は?」

「……別に」


 別に、の続きを察してくすりと聡子が笑う。


 倖だって生まれ育った場所を離れて、知っているとも言い難い珠緒しか居ない所で暮らすのが平気な訳ではない。ただ、そこで音を上げる根性なしにはなりたくないし、いずれ家を出るつもりなら遅かれ早かれ訪れる変化だと、割り切って日々を生きていただけ。


 それが強がりだと、素直に気持ちを告げる聡子に言われた気がして、倖は不貞腐れた。


「学校も見てみたかったけど、少し距離あるのよね?」

「電車使うからな」


 倖の通う涼風高校は、ここから五駅ほどの距離にある。近隣の公立でもよかったのだが、急だったので仕方ない。受け入れて、新学期までに制服や教科書一式を揃えてもらえただけで有り難い。


「なら、散歩に行かない? 良いお天気だもの、家でじっとしてるのもったいないわ」


 珠緒に聞かせてやりたいと思いながら、時計を見ると夕飯にはまだ早い時刻。材料も買ってあるので、二・三時間なら外をうろついても問題はない。


「明日のお昼の新幹線だから、今の内にお土産も買いたいし、明彦さんにも何か送ろうと思って」

「そうだな」


 買っておいた饅頭は高校近くのものだったが、最寄り駅付近にも杏オススメの店があったはず。

 珠緒に声を掛けるか悩み、携帯からメッセージだけ送る。寝ていたとしても、いないことに気付けば見るだろう。



* * *



「久しぶりの倖ご飯は美味しいわねぇ」

「はいはい」


 夕飯は聡子のリクエストで酢豚。他にもホウレン草の胡麻和えなど数品が並び、テーブルは豪華に彩られていた。大皿にそれぞれを盛り付けた、各自で欲しいものを取っていくパーティースタイルでの夕食。


「珠緒ちゃんも沢山食べてね!」

「は、はいっ」


 他のものにも手を出しつつ、確実に酢豚を減らしていく聡子。しかも、喋りながらでも勢いは衰えず、黙って食べているはずの珠緒の何倍も早い。


「珠緒ちゃんは家でお仕事してるのよね?」

「はい」

「すごいわねえ。この家であれだけの作品が生まれたなんて。私、普段あんまり本を読まないから、前に会った時までに読み終えられなくて……。最近時間が出来たから、もう一度読み直してたのよ」


 聡子が珠緒の本を読んでいたとは初耳だった。

 仕事の合間にでも読んでいたのか、三年前も何も言っていなかったので気付かなかった。珠緒も驚いた表情を聡子に向けていた。


「明彦さんに勧められた順番に読んだの」


 そう言って聡子なりの感想を、珠緒はじっと聞いていた。会話には参加せず、気付かれないよう珠緒の表情を観察する。


「中でも私は『箱庭』が好きだわ。『箱庭』は最後に恋人と会えなかったのは切ないけど、幸せの価値観は人それぞれだものね」

「……そうですね」

「来世があるなら、出会えてるといいわね」


 ずっと反応が薄かった珠緒が僅かに目を見開く。


 『箱庭』が珠緒の前世なら、来世とは今生きている現世にあたる。前世を覚えている人なんて、この世界に一体何人いるのだろう。しかも、前世で繋がりのあった人と、前世を覚えたまま再会するなんて奇跡に近い。


「……」


 倖も珠緒の本を読むまで、同じ前世を過ごした相手が前世を覚えたまま生きているなんて思いもしなかった。自分の前世を思い出してからも、テレビや本で見る前世持ちは胡散臭く、どこまで本当なのかと怪訝な眼差しで見ていた。


 倖の場合は疑いようのない形で見せつけられたから受け入れざるを得なかった。だが、珠緒はどうだろう。倖が前世を覚えていると言ったとして、信じられるだろうか。本を読んで勘違いしていると思うかもしれない。杏から聞いて同情していると思うかもしれない。猫化を見て憐れんでいると思うかもしれない。


 珠緒に言うつもりはない。


 そう決めているはずなのに、前世について共に話したいという感情がいくら押さえつけても湧いて出る。


 知って欲しい。聞いて欲しい。聞かせて欲しい。


 理性と相反する気持ちが捨てきれず、倖は苦々しく飲み込んだ。三年前の後悔をなくす為にここへ来たのに、今度は違う苦しさが生まれていくもどかしさが日々募っていく。そのもどかしさに苛まれるたび、倖は言ってどうすると自分に問いかけた。


「倖?」

「!」


 ひょっこりと眼前に現れた聡子の顔に、驚いて仰け反る。


「ちょっと失礼ねー」

「なんだよ急に」

「もう、何度も話しかけたの気付いてないのね。ぼうっとしちゃってどうしたのよ」


 呼ばれたのにも全く気付かないほど、いつの間にか思考に耽っていたらしい。珠緒も心配そうに倖を見ていた。


「いや別に……。ちょっと夜更かししたから」

「勉強でもしてたの? 根を詰めすぎたらだめよ」

「わかってる」


 二人の視線から逃れるように、残りのご飯をかき込むと席を立つ。流しに皿や箸を置きに行く背に感じる視線を無視して、何事もなかったように振り返る。


「母さん、風呂はどうする?」

「食べたところだから後でいいわ。珠緒ちゃんは?」

「え! えと、私は朝入ったので……」

「だったら、先にもらうぞ」


 一応、母親ではあるが来客扱いなので一番風呂がいいか確認する。聡子からパスをもらった珠緒は若干顔を引き攣っている。聡子が来る前に入れと、半ば強引に倖が命令したのだ。この調子だと明日も入りたがらないだろうなと思いながら、倖は着替えを取りに行った。




「ごめんなさいね、本当に愛想のない子で。一体誰に似たのかしら」

「い、いえ……」


 結局、風呂場へ向かうために再度リビングを通った倖は、聡子とも珠緒とも目を合わせなかった。話しかけるなと言いたげな雰囲気に、珠緒は何かしでかしてしまっただろうかと落ち込んでいた。


「大丈夫、たまにあるの。珠緒ちゃんが悪いわけじゃないわ」

「そう、でしょうか……」

「ええ。ああいう時の倖はね、何か考え事をしているの。でも、その内容は誰にも言わない。……昔からそう」


 穏やかでいて悲しそうな聡子に、珠緒はどうしたらいいのかわからず、おろおろするしかなかった。聡子はくすりと悲しげな表情のまま笑った。


「あの子ね、甘えられないの。私がそうさせてしまったのね。あの子の父親は早くに亡くなったし、私も仕事漬けであまり構ってあげられなかった。まだ甘えたい盛りだった頃に甘えさせてあげられなくて、気が付けば小学生高学年の時には掃除洗濯料理、どれも出来るようになっていたわ。もっと子どもらしく遊ぶことも出来たはずなのに、あの子は私を支えるほうを優先した。嬉しい反面、母親として失格だと悔いていたわ」

「そんな、こと……」

「急にこんなこと話してごめんなさいね。でも、あなたには知っていてほしくて」


 突然の懺悔に、珠緒はふるふると首を横に振る。珠緒の知る倖は、母親である聡子を大事にしている。言い方はキツいが、その裏にある優しさも一緒に暮らして知った。でないと、猫はあんなに懐かない。


「……」


 伝えたい言葉はあるのに、口下手な珠緒は上手く言えずに黙り込む。そんな珠緒に聡子は優しい眼差しを向け、続けた。


「小学三年生の時、倖がお友達と喧嘩してるって知らされて行ってみたら、喧嘩は終わっているのに倖が怒っててね。錯乱している感じだった。何があったのか聞こうとしたら、もう”さち”って呼ばないでくれ、だもの。驚いたし、悲しかったわ」

「……どうして、コウくんは自分の名前を?」

「喧嘩相手の子や見ていた子に何があったのか聞いてみたら、どうやら名前をからかわたらしいの。女みたいな名前って。でも、それだけであそこまで拒否するとはどうしても思えなかった。倖に聞いても、頑なに口を閉ざして何も言わない。その頃から……さっきみたいにぼんやり何かを考え込むようになったわ。どこか遠くを見ているような、苦しそうな顔をね」

「……」


 倖は元々口数が少なかった。さっきも聡子が珠緒へ感想を言う前から会話に入っていなかったから、いつから思案に耽っていたのかわからない。ただ、聡子が同意を求めて振り返った時には、どこかをぼんやりと見つめたまま難しい顔をして口を引き結んでいた。


 珠緒も一度だけ見たことがある。珠緒が猫に引っ掻かれた時に、似た表情を浮かべていた。一瞬だったので見間違いかと思っていたが、珠緒が知らないだけで何度かあったのかもしれない。


「ねえ、珠緒ちゃん。あなたは倖をどう思ってる?」


 静かに聞いていた珠緒に、真剣な面持ちで聡子は問いかけた。


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