16、来客
「倖!」
三年振りに訪れた駅の改札を出た所で、きょろきょろと辺りを見回していた女性は、愛息子の姿を見つけて相好を崩した。
キャリーケースを放り投げる勢いで手を離してぶんぶんと振る聡子の元気な姿に、倖は苦笑を浮かべて近付いた。
「二ヶ月ぶりね、元気にしてた?」
「まあな。そっちこそ元気そうだな」
二月振りに会った聡子は相変わらずだった。看護師だったのと亡き父の看病経験も影響してか、人一倍健康に気を使っている聡子は元気そのもの。短めのボブも相俟って、どこからみても快活なおばちゃんだ。
「あら、珠緒ちゃんは?」
「家にいるよ」
本当は一緒に来るつもりだったのだが、置いてきた。
というのも、珠緒の寝起きの頭で選んだ服装を見た倖がやり直しを要求し、尚且つ勝手に選んだ服を渡して着替えるよう言いつけて出てきた。
ふうん、と含みのある言い方をする聡子に、変なことを言われる前に移動しようとキャリーケースを受け取って歩き始める。
「随分と街並みも変わったわね」
三年前来た時には無かったショッピングセンターを通りながら、聡子はおのぼりさん状態。特に今聡子がいる地域は過疎化が進み、日々の買い物には困らないがショッピングセンター等はない。倖が祖父の家を訪れたのもずっと昔のことなので記憶は曖昧だが、緑が生い茂っていたのだけは覚えている。
「学校はどう? 友達は出来た?」
「ぼちぼち」
「そう」
素っ気ない倖の返しにも聡子はにこにこと笑みを浮かべる。口下手で愛想のない息子が、根掘り葉掘り聞くと頑なになるのを知っているからだ。普段お喋りなのに、引き際を弁えている聡子に何度倖は敵わないと思ったことか。
「そういえば、櫂くんとは連絡取ってるの?」
「櫂? あいつがどうかしたのか」
「引っ越しも転校も急だったでしょう? 友達との挨拶も出来なかったんじゃないかと思って」
突然飛び出した名前に首を捻った倖だったが、聡子が心配していた内容を知って視線を遠くに向けた。
猪原櫂は小学校からの同級生だ。櫂が転校してきた時から高校まで一緒につるんでいた所謂親友。転校や引っ越しについても、もちろん知らせていた。
「心配しなくても、連絡は取ってるよ。夏休みにこっち来るとか言ってた」
「そうなの。それなら良かったわ」
生まれてからつい先日までずっと暮らしてた地だ。知り合いは多い。倖は友好的でもなければ愛想もないのだが、他人を放っておけない性質なので、それなりに友人はいた。その中でも一番仲の良かった櫂には直接言おうかとも思ったものの。諸事情からメールで連絡し、直接は会わないままこちらへ来た。
「着いたぞ」
「ふふ、楽しみねー。珠緒ちゃん私の事覚えてるかしら」
マンション前まで来た聡子は、嬉しさの中に一抹の不安を覗かせた。
聡子が珠緒と会ったのも、三年前再婚の挨拶で会った一度きり。倖のことは覚えていたようだが、初対面が最悪過ぎて覚えていた可能性は大きい。そうなると、義弟に気を取られて義母に気が回っていなかったとしても不思議ではない。
「どうかな。別に覚えられてなくても、今日泊まるんだろ。ゆっくり話して覚えてもらえば」
「そう……そうよね。初対面最悪の倖とも仲良くしてくれる子だもの、私とも仲良くなれるわよね!」
「ひっそり人の黒歴史引き合いに出すんじゃねえよ」
不安を飲み込んで、笑みを浮かべる。ついでに倖の痛い所を突いてくるあたりがえげつない。とばっちりにも程がある。忍び笑いする聡子にげっそりしながら、倖は玄関のドアを開けた。
「い、いらっしゃいませ……」
待っていたのか、ドアを開けた途端どこかの店の店員のような台詞が聞こえた。
「……」
「……あらまあ」
固まった倖と、その後ろから覗き見た聡子。二人の表情はなんとも複雑で。
聡子の荷物を無造作に置くと、靴を脱ぎ散らかして珠緒に詰め寄った。
「着替え渡したよな!?」
「で、でもそのままでいいって……」
「誰が」
「杏ちゃん」
「あいつか!」
吠える倖にびくりと珠緒が身を竦める。態度は小動物のようなのに、選んだ服はパンダ柄のロングTシャツに緑のズボン、更には黄色のカーディガンを羽織っている。見えにくいが靴下が猫柄なのも直すよう、上から下まで一式選んで渡したというのに。
びくびくしながら、珠緒が倖を見上げる。
「……だめ?」
「駄目。やり直し」
「でも……」
倖より背が低いため、倖を目を合わせようとすると自然と上目遣いになる。もう何度も見ている、黒髪から覗く怯えた視線に倖は容赦なくトドメを刺す。
「いいか。お前は着ている側だから気にならないかもしれない。だが、一緒にいる相手にとってはひたすら視界に入るものなんだ。相手の為にも、俺の為にも、着替えろ」
「どうしてコウくんの為にもなるの?」
「気になって話どころじゃなくなるからだ!」
きょとりと傾かせた珠緒の頭に、思わずチョップでツッコミを入れる。そんなに力は込めていないものの、頭を抑えてふらつく珠緒に溜め息を吐く。
「ふ、ふふっ、あははっ」
一連の漫才もどきをぽかんと見ていた聡子だが、耐えきれずにお腹を抱えて笑い始めた。ひーひー笑う聡子に、恨みがましい目を向けてくる珠緒。まだリビングにも到達していないのに、倖は既に疲れていた。
「改めて。久しぶりね、珠緒ちゃん」
「お、お久しぶりです……」
「元気にしてた?」
「はい」
向かい合って座る珠緒と聡子。行く前に作っておいたサンドイッチを、二人の間に出して倖は聡子の隣に座った。
「電話でも言ったけど、本当にごめんなさいね。あなたの意見もきかずに倖をこちらに寄越してしまって。お邪魔になってないかしら」
「は、はいっ」
「それなら良かった。母親の私が言うのもなんだけど、口は悪いし愛想もないけど根は良い子なのよ。忙しい私を見兼ねて始めた料理も、あっという間に私より美味しく作れるようになっちゃって」
基本的によく喋る聡子に、人見知りで口下手な珠緒はカチコチに固まって相槌マシーンと化していた。いつもなら相手の様子を見て緩急を調節するのだが、聡子も少し緊張しているのだろう。
「母さん、独り言みたいになってるぞ」
「あらやだ」
倖に言われて一人で話し続けていたのに気付いた聡子が口を抑える。かと言って、珠緒に話題提供など求めたらもっと酷いことになるのがわかっていたので、仕方なく倖が話題を振った。
「じいさん大丈夫だったのか」
「ええ。手術も無事終わって、今はリハビリ中よ。今後のこともあるから、家中の段差なくしたり手すり付けたりする工事が連休明けに入る予定」
「退院は?」
「来月の半ばには通院に切り替わるんじゃないかしら」
「へえ」
介護のために祖父のいる田舎へと行っていた聡子だが、元看護師なので倖が心配する必要もない。今は聡子が一人で見ているが、夏頃には他の家族も手伝いに来る予定になっていた。
完全に倖と聡子だけの会話になってしまって、珠緒はお茶を啜る。
「ほら」
「!」
大人しくなった珠緒に用意していた菓子を渡す。昼食だけでは足りないだろうと、杏に勧められた饅頭を買ってきていた。すでに聡子は頬張って舌鼓を打ちつつ次を狙っていた。
無くなる前にと二・三個を珠緒へ渡す。急に輪に入れられて驚いたのか、おっかなびっくりといった手つきで袋を開けてかぶりついた。
「……おいしい」
「本当、美味しいわねこれ。どうしたの?」
「知り合いに教えてもらった」
有名菓子店の看板商品だけあって、二人とも気に入ったようだ。続けて口に放り込んだ倖も味わう。
一口サイズの饅頭だが、皮はもっちりしつつも薄く、中にたっぷり入っているこしあんが堪能できる。粗く刻んだ栗の食感がいいアクセントになっていて、いくつでも食べられそうだ。
「良い友達が出来たのね」
にこにこと嬉しそうに次の饅頭へ手を伸ばす聡子に呆れつつ、倖ではなく珠緒の知り合いだというのは黙っておいた。




