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カリーナへ、愛を込めて。  作者: 猫宮璃桜
13/51

13、電話


 慣れない場所での新たな生活は、思いの外あっという間に過ぎていった。


「コウくん、おはよう」


 倖と話す時にあまり怯えなくなった珠緒は、大きな欠伸をしながらテーブルについた。


「これから寝るヤツにおはようって言われてもな」

「でも朝だし……」

「はいはい、おはよう。スープ飲むか?」

「うん」

「ちょっと待て」


 珠緒と倖は相変わらずすれ違いの日々を過ごしていた。が、活動の時間帯が固定されたおかげで、朝食は共に食べることが増えた。

 既に食べ終えている倖は食器を水に浸けて、鍋からスープカップに珠緒分を取るとレンジで温める。残りは鍋に蓋をして冷蔵庫へ仕舞う。


 倖がこの家に来て、一月が経った。


 桜は散り、ゴールデンウィークが近付いていた。クラスでも受験が本格化する前に旅行へ行くと言っている人もおり、ニュースでも単語をよく聞くようになった。

 珠緒も倖も特に予定はない為、浮かれ気味の世間を遠い出来事のように眺めていた。


「じゃあ行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 珠緒の席に湯気の立つスープを置き、エプロンを外す。荷物を持って玄関へ向かう倖の後ろを雛のようにちょこちょこ付いていった珠緒は、始業式の日と同じように倖を見送った。


「いただきます」


 少し冷めたいくらいが、猫舌の珠緒にはちょうど良かった。キャベツやベーコンの入った鶏ガラスープは程よい塩加減で、これから寝る珠緒の腹を程よく満たす。

 飲み終わった食器を、倖が浸けていった皿と一緒に洗う。どちらが言い出したことでもないが、いつの間にかそうするようになった。


「明日が打ち合わせ……」


 リビングのカレンダーで予定を確認し、冷蔵庫から猫用の餌を取り出した。


「おはよう。ブチ、グレイ、クロ」


 一回り体の大きくなった猫達は、客間に飽きてしまったのか隙あらば外へ出ようとする。慎重に中へ入ると、それぞれが必死に何かをアピールするように鳴きわめく。今あげている量では足りてないのではと倖がぼやくほど、猫達の食欲は旺盛だ。珠緒にも見習ってほしいという呟きは聞こえなかったフリをした。


「君達がここにいるのも、あと少しだね」


 数日前、杏から引き取り手が見つかったと連絡があった。流石に寮では飼えないので、ゴールデンウィークに実家へ連れ帰るまで預かることで話はついていた。一匹だけ別の所に引き取られるが、先住の先輩猫がいるらしく遊び相手には困らない。


 猫が引き取られ次第、客間は倖が使うことになるので、ゴールデンウィークは簡単な引っ越しで終わってしまいそうだ。


「何でだったんだろう……」


 うっすら血が滲んでいた傷も、今は探さないと見つからないくらいには治っている。傷の痛みよりも、急に牙を剝かれたことがショックだったのだが、そこまで思い出した珠緒は倖から告げられた言葉も芋づる式に思い出して落ち込んだ。


「……わたし、くさい?」

「にゃ?」


 すんすんと腕を上げて臭ってみるが、自分の匂いは分かりづらい。猫のお腹に顔を埋めて臭うと、お日様の匂いとご飯の匂いが混ざったような、少し美味しそうな匂いがする。猫によって異なる匂いを嗅ぎ、再度自分を嗅いでみる。やっぱり自分のはわからない、と珠緒はしょんぼりと猫の横に座った。


 共に住んでいるのだからバレるのは時間の問題だったようにも思うが、珠緒としては気付いて欲しくない部分だった。ちゃんと服は毎日替えているし、部屋着と寝間着も別々だ。今のような時期以外は、空調をつけっぱなしにした室内で過ごしているので汗もかかない。だから臭くない。そう言いたいところだが、自分の匂いが分からない以上断言できない。


「お風呂、苦手……」


 お腹が一杯で幸せそうなブチを撫でる。ふわふわの毛は柔らかく、触れていると大抵のことはどうでも良くなる。前世が猫だった影響かもしれないが、珠緒は動物の中では猫が一等好きだった。


 覚えている限り一つ前の前世。

 それはとある家庭に拾われた猫だった。その記憶が一番色濃かったせいか、珠緒は幼い頃からお風呂が苦手だった。お風呂に入ろうと母親に言われるたび、イヤイヤと駄々を捏ねて困らせた。


「……」


 もう二度と会うことはない母親を思い出し、撫でる手が止まる。


「……お風呂入らなくても、生きていけるもん」


 子どものような屁理屈を呟き、立ち上がる。長居すると、またここで眠ってしまいそうだ。ふああ、と思い出したように欠伸をすれば、就寝準備をしに客間を出た。



 珠緒は熟睡型だ。

 一度深く寝入ってしまうと、ちょっとやそっとでは起きない。夢遊病のように徘徊する癖があることも両親から聞いていたし、杏からも言われていた。その間の記憶はないが、皆の態度から嘘だとは思わなかった。


 きちんと歯磨きをして寝間着に着替え、私室のベッドで丸くなる。肩まですっぽり被った布団は次第にぽかぽかと温まり、眠りを誘う。


 あっという間に眠りについた珠緒は、けたたましい音を響かせた電話機には気付かなかった。少しして留守番電話に切り替わり、ちかちか光るランプを残して通話は切れた。



* * *



「……ちっ」


 一日の勉学を終え、帰りに寄ったスーパーで倖は舌打ちした。


 今日が特売日なのは知っていたが、目星を付けていたもの以外も安くなっていて、予想以上に荷物が増えてしまったのだ。いつも鞄にエコバックを一つ仕込んでいるものの、カゴに入れた量は一つでは到底賄えない。


「次から三つくらい入れとくか……」


 ビニール袋を使わなければ、エコポイントが付いてよりお得になったのにと歯噛みする倖だったが、持っていないものは仕方ない。二人分しか買わないからと油断した。

 引っ越してから塵も積もればと集めてきたポイントを惜しみながら、倖は買い物を済ませて帰路につく。


「あいつ新聞取ってないから、チラシ入らないんだよなぁ……」



 珠緒の家はマンションで、オートロック式。郵便物は一階のポストに全て入るので、そこへ取りに行かなければならない。倖が来たことで食事を買いに出ることが減り、さらに引き篭もりの珠緒にはポストに行くこともなく、そもそも毎日新聞を読むというマメさがない。


 外界から隔離されて生きているような珠緒は、もっと外と関わるべきだとは思う。物書きとして色々知っておいた方が良いだろうにと思うのは倖の勝手だ。浮世離れしているからこそ、書けるものもきっとある。そう思ってないとやってられない。


「遅くなったな。さっさと帰るか」


 通い慣れたスーパーから家までの道を歩き、家に辿り着いた倖はドアを開けるなり驚いた。


「お、おかえりなさい……!」


 玄関のドアを開けた先には、何故か珠緒が立っていた。


 開け放たれたリビングのドアは微かに揺れていて、玄関の開く音で慌てて飛び出してきたのが見て取れる。

 今まで見送りはあれど出迎えはなかった。何故か切羽詰まったような珠緒に、倖は片眉を上げる。


 仮に倖が帰ってくるのを待っていたのだとしたら、その理由とは。色々考えた結果、勝手に同居する黒くてすばしっこく動く物体が出たのではと思い至り、珠緒に問いかけた。


「ヤツか?」

「え? だれ?」

「……違うならいい」


 きょとりと首を傾げられる。

 倖の読みは外れたらしい。不思議そうに倖を見上げる珠緒の顔は能天気で、切羽詰まったように見えたのが気のせいだったかと靴を脱ぐと、珠緒が袖をくいくいと引っ張った。


「あの、電話………」

「電話?」

「留守電……」


 単語しか口にしない珠緒からそれ以上は聞き出せないと判断し、とりあえず台所に荷物を置いて電話機に向かう。後ろからちょこちょこ付いてきた珠緒の言う通り、留守電のランプが点いている。だが、倖はこの家の電話を誰にも教えていない。両親や友人からだとしても、携帯にかけたほうが早いし確実なので、家の電話機に掛かってくる心当たりはなかった。


 倖の後ろで隠れるように電話機を見る珠緒をちらりと見て、倖は留守電のボタンを押した。


『用件を一件再生します』


 続いて聞こえたのは、倖のよく知る声で。聞き終えた倖は、つい頭を抱えた。


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