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エッセイとしての私の記録  作者: マッキー
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ストーカーとのバトル、そして退職へ

ストーカーおじさんによって命の危機すら感じたが、なんと会社をクビに!

それでも私は「3年は頑張れ」という風潮に従おうと、すっかり麻痺した心身で懸命に働いた。鮮度の悪い魚のようだったと思われる。

土曜出勤もあったが、超過勤務手当は60時間までだったか40時間までだったか、実際の勤務時間通りに支払われることはなかった。基本給は13万、タイムカードを切ってから残業にあたる。とにかく貧乏だった。


有給休暇を取ると、皆勤手当なるものがなくなるので2万引かれた。有給とはどんな定義のものだっただろうか。2万円は私の1日の労働より高かった。


それでも仕事のない日はそれらを取り返すかのごとく遊びまわった。音楽関係やネットで知り合った人と下半身合奏もこなした。おじさんが参拝に来る部屋に帰りたくなかったし、帰れば明日が来てしまう。明日が来てしまったらまた会社に行かねばならない。会社に行けば大卒の総合職とは思えない労働、健康を害する成分の舞う現場。そしてストーカーおじさん。

ストーカーおじさんはこの時すでに不惑の歳を過ぎ、妻と子供もいた。「俺だって恋愛したい、ずるい」とかなんとかほざいていた気がする。お前はいったい何を言っているんだ。

彼は元珍走団で、自慢げに「武勇伝」を語っていた。ドン引きしすぎて地球1周分うしろに歩いて元の位置に戻った。


このころ体重は身長162cmに対して40kgギリギリ。自炊をしようにも1週間分の食材を買うだけのお金がないこともしばしばで、当時250円だった牛丼のお世話になりまくっていた。

生理は不順になり、しばらくするとまったくなくなった。のちに半年ほど生理は訪れなかった。生理用品を買わずに済むので喜ばしかったし、生理という現象そのものも忘れていた。


そして肩をたたかれる日は突然にやってきた。

上司と社長に応接室に呼ばれ、菓子パン投げ罵詈雑言クソ社長からありがたいお言葉が。

「20代前半の若者として元気がなさすぎる、辞めれば?」

直々に引導を渡してくれるとは思ってもみなかった。これ幸いと泣き出した私。もちろん快諾だ。

しかし退職してみると自己都合となっており、離職票もなかなか送ってもらえず、失業保険は手に入らなかった。

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子供のころから作文は誉められていました。 スマホの半角スペースだと段落の頭に空白マスを作れませんね。 でも寝転がって書けるのでスマホは便利。
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