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エッセイとしての私の記録  作者: マッキー
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社会人になるまで

これは私のエッセイとしての記録、私小説である。

ダークながらも笑いのエッセンスを入れていかれたらいいなぁ…

これは私の人生の記録である。

エッセイというジャンルはたいがい笑いを誘うものが多いが、私の場合はあまり冗談とは言いがたい。しかし人生はそんなものである。


まず自我が芽生え自身について考えるようになった中学生のころは大変卑屈でいわゆる陰キャであったことを明示しておこう。


1番仲が良かった友達は帰国子女でとても明るく人気者だった。思春期にありがちな謎の群れ行動を好まなかった彼女は私と他数名の友人とつるんだ。教室移動などでは私が「トイレ行ってくる〜」と言えば彼女は「じゃあ場所取っておくね」と言うひとだった。そんなところが好きだった。


しかし、彼女への羨望、憧憬とともに自分のような人間とのあまりの違いに悩むこともあった。今となればそんな悩みは鼻クソのようなものだが。思春期とは得てして馬鹿馬鹿しいのだ。


現在私は英語を少し話すことが出来るが、おおよそ彼女のおかげである。放課後の校庭を見ながら外来語禁止ゲームをしたり、授業中もアルファベットのハンドサインでおしゃべりしたりした。この彼女のおかげで中学3年間を通して少し「自分」というものにある程度のパターンや自信を見つけられるようになった。


高校では部活動に熱心になり、仲間ができ、また自分の立ち位置などもわかるようになっていった。ムードメーカーだった。

本番が近付き練習も佳境に入ると皆ナーバスになる。そこで私が明るく振る舞い笑いを取ることで居場所を見つけたような気がした。


高校の部活仲間とは現在も交流があり、便利な時代に感謝している。


大学でもサークル活動に勤しんだ。2年次では単位を落としまくるくらいに。(3年、4年となんとか取り戻し無事卒業できた)


サークルでは社会でも役立つような組織としてのシステム、生涯の趣味、親友など多くのものを得られた。今でも戻りたいと思える時間だった。


さあ、問題の大学卒業後、社会人になってからである。就職活動はリーマンショックのあと、卒業する3月には東日本大震災と幸先の良いスタートとは言えなかったが、なんとか会社員としての生活がスタートした。


兼ねてより自立したかった私は一人暮らしを始め、S社に入社した。募集要項では大卒の総合職で基本給は18万だったが、入ってみたら13万だった。勉強のためと工場の各現場を半年間まわった。


ちなみに手先は器用なので、その中で1番得意だった場所はシルクスクリーンである。あれはなかなか面白い。失敗したときはシンナーで拭き取るので指紋がなくなり、物を持つ際によく落とすようになったが。


正直なところ不満が多く、あまり充実した社会人生活ではなかった。それでもなんとか現場を一通り覚え、営業部に配属された。楽しい地獄の始まりだ!

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子供のころから作文は誉められていました。 スマホの半角スペースだと段落の頭に空白マスを作れませんね。 でも寝転がって書けるのでスマホは便利。
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