【閑話】 使用人たちの慌ただしい昼下がり
「え、リリアン様が婚約破棄!?」
マリウスはその言葉が信じられなかった。
「ええ、そうなんですよ!師匠っ!!」
あんなに美しく優しいリリアン様が婚約破棄されるなんて。そんなことがありえるのだろうか。
いやいや、リリアン様に限ってそんなことはないだろう。…けれど、現実を見れば実際そうなってしまっているし。
グルグルとかき混ぜるのは『ニンジンスープ』。
実は今日は、月に一度のニンジン挑戦デーだったのだ。毎月、旦那様とリリアン様がニンジン嫌いを克服するためにと工夫を凝らすのだが、なかなかに上手くいかない。
「…それが、どうやらリリアン様が一方的に婚約破棄されたそうで…」
見習いはマリウスに耳打ちするようにコソッと呟いた。
「たぶん、王子様に愛しい方がお出来になったんですよ。政略結婚ですからね、リリアン様とは」
…やっぱり、今日はやめておこうか。ニンジン挑戦デーは今度にしよう。
婚約破棄が本当なら、今頃屋敷中が大騒ぎのはず。早急に話し合いの場を設けよう。
「話し合いが必要だな。おいお前、ちょっとみんなを呼んでこい!」
「了解、師匠っ!」
「おい、みんな!今回の議題は分かってるな?」
集まったのは各仕事の代表たち。
料理長である俺、庭師のバリーに、メイドからはメイド長のミリアと、たまたま手が空いていたために参加したナンシー。今回、家令(執事)は不参加だ。
マリウスの声にぱらぱらと答えが返ってくる。そのすべてがマリウスの言葉を肯定するものだ。
「リリアン様の婚約破棄。それは事実なのか?確認したものはいるか?」
見習いから聞いたものは噂の域を出なかった。ここにいる使用人たちの囁くそれを、厨房まで持ち帰ってきただけなのだから仕方がないが。
噂の出処はどこなのか、それは真実なのか、それならばどうするのか。確認しておかなければ。
「ミリア、君はどうだ?」
彼女は、一日中屋敷にいて掃除をしたり洗濯をしたりする、お屋敷常駐メイドの長。だから大抵の情報は彼女に聞くのが早い。
「あ、はいはい!私、リリアン様付きのメイドのテイリーが急ぎ足で旦那様の執務室へ向かうのを見たわ!」
声を張り上げるナンシー。
…いや、これは挙手制ではないし、俺はミリアに聞いたのだが。メイド長本人は気にしていないみたいだし、まあいいか。
「テイリーが急ぎ足なんて珍しいですね…」
メイド長が、それはただ事ではないと言葉を添える。
「やっぱりメイド長もそう思いますよね!」
頷くメイド長。そして、俺も同じ意見だ。テイリーはいつも時間に余裕を持って行動する。後輩のメイドがお手本とする、素晴らしいメイドなのだ。
「私は旦那様から手紙を預かりました。王家へ持っていくようにと言われたのです」
唐突に、メイド長は新しい情報を投下してくる。
「ええっ?それで、持っていったの?中身は?」
ナンシーはメイド長にくらいは敬語を使った方がいいと思うぞ。…みんなナンシーの明るい性格が好きだからなかなか問題にはならないけれど。
「いやですね、見るわけがないじゃないですか。…それに、私は持って行っていませんよ。他の仕事がありましたので。代わりに厩番のジャックに頼みました」
「ジャックか!」
あいつは小心者だ。中身は見ていないだろう。手紙を任されたのが同じく厩番のルークなら見ていたかもしれないが。
「事実が分かるまで待機、後は各自で考えて行動しよう」
解散。
…その後、話し合いに家令のジオルドが参加し、リリアン様の婚約破棄が事実だと分かった。噂の広がりが速く、誰が噂を流したのかは突き止められなかった。だが、まあ悪意ある者の犯行ではないだろう。だって、この家に仕えている使用人はみんなリリアン様が大好きだから。
ニンジンスープは賄いにして、夕食はリリアン様のお好きなものを作ることにしよう。
*
リリアン様のためにと丹精込めて作った料理。俺の料理で少しでも元気になってくれたらいいと思って、リリアン様のお好きな『キジのソテー』と『焼き牡蛎』を用意した。
まず、『キジのソテー』。
リリアン様はただ黙々と食べ進める。
「いかがですか?」
「ふん、まあまあね」
気のない返事。いつもはにこにこと美味しそうに食べるのに。
「そうでございますか…。精進致します…」
傷ついた心は料理が癒す、だなんて嘘かもしれない。師匠から受け継いできた信念だけれど、はたして俺は弟子に引き継ぐことができるだろうか。…だって今、目の前で苦しんでいる少女を、リリアン様を笑顔にすることができないのだから。
「でも、嫌いじゃないわ」
…しまった。気を使わせてしまった。きっと、俺は情けない顔をしているのだ。
リリアン様は素晴らしくできたお方だ。自分が苦しい中で、誰かを思いやることができるのだから。
「…グスッ」
リリアン様のお心を思うと、涙があふれ出てきた。リリアン様は泣いていないのに、何故俺が泣いているんだ。そう思ったけれど、リリアン様の代わりに泣くのも、まあいいかなと思い直す。だって、この涙はもう止められないし。
「ううっ…ズズッ!」
ああ、リリアン様が困惑していらっしゃる。
「マ、マリウス…?」
旦那様とそっくりな紫の瞳が俺を捉えている。
耳から髪が一束パラリと落ちた。その程よく手入れされた御髪や鼻筋には亡き奥様の面影がある。
「うおおおおぉん!」
本格的に涙が止まらなくなってしまった。どうしようか。誰か止めてくれ。
静かな食堂に俺の泣き声だけが響く。
…と思ったら違った。ミリアもナンシーもテイリーも、他のメイドもみんな泣いている。
うちのリリアン様は、みんなに愛されているなと改めて思った。
顔が涙でぐちゃぐちゃのナンシーが『焼き牡蠣』を持ってきた。幸い、まだ冷えてはいないようだ。よかった。
「おいしい…」
そう呟いたリリアン様は、次の瞬間には涙を零した。
「…っ!?ど、どうして…」
「ま、待ってね!これはすぐに止まるから!」
「すぐに泣き止むから!」
「ほんとに、もうちょっとでっ…!」
リリアン様は必死で涙を取り繕う。公爵家の人間として、人前で涙を流すことは許されないのだろう。
ナンシーはリリアン様を抱きしめた。使用人が主人を抱きしめるなんて、不敬罪なのに。
「もう、我慢しなくていいんです。泣いてしまっても、いいんです」
泣いてガラガラの声だったのに、ナンシーのその言葉だけは寒い日の青空のように澄んでいて、耳に心地よかった。
リリアン様は、悔しい、とそう本音を漏らした。
ナンシーは、なんでも一人で抱えてしまうリリアン様から本音を引き出したのだ。これはナンシーだからこそできたこと。
リリアン様と散々泣いて、ナンシーは言った。
「無理しなくていいんですよう!リリアン様には、私がついているんですから!!」
そして、俺を含む周りの視線を受け、笑って言い直した。
「…いいえ!私たちがついているんですから…!!」
今はまだ、主人と使用人。
けれど俺は、リリアン様とナンシーならば、その壁すらも超える友人に、いつか絶対になれると確信した。
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