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四話 『モヤモヤ』しました!

 

 

 そいつは刀を持った女だった。


 女は異様なまでに長い蒼い髪を垂らし、ゆっくりとこちらに歩み寄っている。

 冷気が雪を降らせ、氷の道を作りながら。



 「あ、あんたは……」



 俺は痛むからに鞭を打ち、そいつを見据えながら立ち上がった。

 脚が震え、胸も苦しかったが、耐えられないほどのものではない。

 

 それよりもこの女。


 雪女が侍の真似っこをしているみたいな。この、アニメか漫画から飛び出してきたみたいなふざけた格好。

 間違いない。同じだ。

 こいつは同じ力を持っている。

 匂いもそうだ。

 アームの匂いを濃くしたような、不快な匂い。

 こいつは、俺と同じだ――!



 「……」



 女が俺の目の前で脚を止めた。

 何も言わない。

 その氷のように冷めた視線からは、感情というものは感じられず、何を考えているのかはさっぱり分からなかった。

 

 ただ、一つ言えるのは、その女は美しかった。

 雪のように澄んだ白い肌。

 光を反射する美しい蒼き髪。

 全てが芸術品かのような奇跡のバランスを保ち、女の放つ雰囲気を清く、高潔だった。


 俺もその顔を見た時、思わず見惚れてしまった。

 口を半開きにし、間抜けな顔で見つめる。


 その所為か、俺は気が付くのが遅れてしまった。

 

 

 その女が刀を大きく振りかぶっていることに――――。


 

 瞬間、俺の体を目がけて振り下ろされる蒼い刃。

 俺は避けることもできず、それをモロに受け止めてしまう。




 ――――!




 鉄を叩く様な甲高い音が響く。

 俺は体から、火花を散らしながら、大きく後ずさった。


 変身していて良かったと心から思う。

 もし生身であったのなら、飛び散ったのが火花ではなく、血であったのだから。



 「――っ!」



 俺が平気そうにしているのが気に入らなかったのか、女は大きく舌打ちをした。


 どうやらこいつは、本気で俺とやり合いたいらしい。




 「おい、なんだよこの女! 同じ力を持ってんなら、仲間じゃないのかよ!?」



 俺は胸のそいつに聞いた。


 

 『知らない。確かに同じ力を感じるが、こんな奴は初めてだ』



 何も知らないかじゃないかお前は!

 俺はそう心の中で悪態を吐きながら、胸から刃を取り出す。


 再び、女は刀を構えると、こちらに向かって地面を蹴った。



 ――――速い!!



 アームとは比較にならないほどの比較にならないスピード。

 女が振った刀に、俺は受け止めることで精一杯だった。

 

 女が刀を振り、それを俺が刃で受け止める。


 それの繰り返しだった。

 俺が攻めに回ることができない。

 

 斬撃は右から、左から、上からと方向を変えて襲い掛かり、その度に俺は精神をすり減らしながら、必死に受け止める。

 そのどれもが一撃必殺級で、俺は気が気でなかった。

 先程は当たりどころが良かったのだ、もしこれをまともに食らえば……。



 「くそっ!!」



 防戦一方な自分に苛立ちを覚える。

 それでも女の目に躊躇いも疲労もなく、その攻撃は至って冷静であった。

 

 俺はそれが、どうしようもなく腹が立って、その顔を崩してやろうと、思考を巡らせた。

 そうして、思いついた無茶をすぐさま実行に移した。



 「――――っ!?」



 俺の行動に、女の顔が驚愕に染まった。


 そうだその顔だ。

 やっと見ることができた。


 俺は左手を硬く意識し、無理矢理に刃を受けとめ、きつく握りこんだ。

 手の平がブチブチと切れ、激痛が奔り、血が溢れ出ていく感覚がするが、俺は完全に無視を決め込むと、右手に持っていた赤い刃を放り捨て、右手の拳を強く握った。



 「オラぁ!」



 右手を振りかぶり、思い切りに振り下ろす。

 狙いは女の顔。

 容赦なんてしない。

 一発お返ししないと、こちらの気が治まらないのだから。






 だが、その拳が届くことはなかった。

 俺の右手は女の眼前、宙で止まっていたのだ。


 いや、右手だけじゃない。


 刀を掴んでいる俺の左手から右手にかけ、真っ直ぐに体が凍り付いていたのだ。


 

 これが女の力だと気が付いたのは、その女の瞳が蒼く輝いていたから。

 先程の女が歩いている様子を見ていたから。

 この女の口が――――ニヤリと不気味に歪んでいたから。


 次の瞬間、俺の腹部に衝撃が奔る。


 その女が俺に向かって、思い切りに蹴りを繰り出していたのだ。





 想像以上に俺の体は飛び、公園を囲んでいるフェンスに激突する。

 その衝撃にフェンスを支えていた地面は抉れ、歪んだフェンスと共に、俺は公園外の道路に叩きつけられた。



 「――っは!」



 肺の中の空気が一気に漏れる。

 脳がぐらぐらと揺れ、視界がぼやけている。

 腹部には鋭い痛み。

 俺は起き上がる事すらできずにいた。


 そんな俺に、女は落ちていた刀を拾い直すと、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 その余裕な態度に腹が立ったが、手も足も出ないとはこの事だった。


 女が刀の刃先を俺の首に向ける。

 見下ろしてくる瞳は、相変わらず冷めていて、何も読むことができない。


 女は刀を引くと、俺に向かって突き出すのであった。



 「――――っ!!!」



 上手く悲鳴を上げることもできず、俺は目を瞑った。

 だが、いくら待っても、首に衝撃がやってこない。


 俺は恐る恐ると目を開けると、刃先が首の前で止まっていた。 



 「なん……だよ」



 俺は絞り出すように言う。


 それが聞こえたのかいないのか。女が刀をそっと引くと、それが蒼い粒子となって手から消えた。

 そして、俺に背を向けると、何も言わずに離れてゆく。


 俺は必死に引き留めようと、叫んだ。



 「おい……! 待てよ……!」



 声が掠れる。

 

 だが、女は反応を見せず、その背中はみるみると小さくなっていく。



 「なんだよ……! 何なんだよお前は……!」



 女は公園の入り口を曲がると、ついにその姿が見えなくなる。


 俺は体から力を抜き、空を見上げた。

 空は暗雲が空を覆い隠しており、降りしきる雨が俺の全身に降りかかっている。


 その顔に当たる冷たい感覚が、今は心地よく思えた。



 「くそ――――!」




…………



 「――くしゅん!」



 俺のクシャミする音が通学路に響く。

 どうやら、雨を受けすぎたことが原因で体調を崩してしまったようだ。

 自身の怪我や壊れた物は直せても、病気だけはどうにもできない。

 俺は繰り返しにクシャミをしながら、重い身体を引きずって歩いていた。



 あれから、俺は変身を解き、重い身体を引きずりながら、冷泉さんと別れた場所へと戻ると、あれから随分と時間が経っていたのにも関わらず、冷泉さんは雨の中、同じ場所で待っていてくれた。

 俺が冷泉さんに向かって謝ると、彼女は暗い表情で『大丈夫です、待つのは得意ですから』と、下手くそな愛想笑いを浮かべたのであった。



 俺は自分の左手の平を見る。

 そこには包帯が巻かれていて、薄く血が滲んでいた。

 女の刀を握った場所。そこも病気と同じように、直せずにいたのだった。

 理由は分からないが、何かがあるには違いなかった。



 「結局、昨日のあの女は何だったんだよ……」



 俺は小さく呟くと、思い出すのはあの戦い。

 あの女の強さ。


 俺もアームとの戦いを何度か積み、それなりに自信を持ち始めていたが、それをあっさりと打ち砕かれた。

 一方的にやられ、情けを掛けられた。


 俺は左手を痛むのも構わず、きつく握る。

 赤い血がにじみ、包帯を染めたが、俺は見もしなかった。


 この胸の奥から湧き上がる感情が、ぐつぐつと煮え立つ思いが、どうしようもないほどに俺の心を支配していた。


 力を、この力をこんなことに。

 嫌違う。俺はそれ以上に――――。



 「――――歩くならちゃんと前を見ろ。まあ、お前が電柱と仲良くなりたいのなら、止めないがな」



 不意に背後から声を掛けられ、俺は顔を上げるが、時は既に遅し。

 俺は電柱に向かって、顔面を強かに打ち付けた。



 「~~~っ!」



 俺は鞄を地面に落とすと、鼻を抑えながらその場にしゃがみ込み、痛みに悶絶する。

 

 それを背後から見ていた誠司が呆れた様子で言った。



 「ったく、何をやっているんだ」



 誠司は乗っていた自転車を降りると、悶絶している俺の傍に近寄った。



 「おい、大丈夫か?」



 その声に俺はしゃがんだままで振り返ると、俺の顔を見た誠司が深くため息を吐く。



 「――はあ、酷い顔だな」



 涙目で鼻を赤くし、その両穴から鼻水をだらりと垂らしている。

 まだ鼻血でないのがマシではあったが、俺でも言い返しようがない程、酷い顔であった。



 「仕方がないな……」



 誠司はそう言うと、制服のズボンからハンカチを取り出した。

 こいつ、男のクセしてハンカチを持ち歩いているのか、と俺が思っていると、誠司はハンカチを手に俺の鼻を乱暴に掴んだ。そうして、乱暴に鼻水を拭いた。

 


 「痛い! 痛いって! もっと優しくやれよ!」



 拭かれている側の俺が文句を垂れる。

 すると、当然、誠司が不満げに返事をする。


 

 「うるさいぞ。黙って拭かれていろ」



 それにしても乱暴な手付きだ。

 恐らく、子供の世話などの経験が一切ないのであろう。

 慣れない手付きからも、それが直ぐにも分かる。


 

 「だから痛いって! いいよ、もう。自分でやるよ」



 そう言って俺は誠司の手からハンカチを奪い取ると、仕返しの意味も込めて、思い切り「チーンッ」と鼻を噛んでやった。

 そのまま得意げに返してやる。


 誠司はそれを手に、しばらく何かを言いたげにしていたが、グッと堪えた様子で、鼻水の付いた面を内側にしてハンカチを畳み、ポケットの中へと戻していた。


 てっきり、何か言ってくると身構えていた俺は面を食らい、思わず誠司の顔を見つめてしまう。



 「どうした? 俺の顔に何かついているのか?」



 平然とした様子で答える。



 「いや、別に何もついていないんだけども」



 ついているのは整った顔ぐらいだ。



 「そうか」



 誠司はそれだけ言うと、自転車に跨り、先へと進んでいってしまう。

 俺一人が道に取り残された。



 「なんだあいつ……。変なの。なんか悪いものでも食ったのか?」」



 俺は首を傾げながら、誠司の背中を見送った。



 「まあ、いいや」



 考えていても分かる事ではないだろうし。


 俺はそう思って、落とした鞄に手を伸ばすと、道の反対側で冷泉さんがこちらを見ているのが分かった。



 「あ、冷泉さーん!!」



 俺は手を上げて、声を掛けた。


 だが、冷泉さんから返事が返ってくることなく、彼女は俯きながらそそくさと通学路を進んでいってしまった。



 「あれ……昨日の事を怒ってるのかな?」



 雨の中で長時間待たせてしまったのだ、怒っていても不思議ではなかった。


 あとで、もう一度謝っておこう。

 

 俺はそう思って鞄に手を伸ばすと、今度は背後から、俺の背中に何かが衝突した。

 それにより、俺は鞄を掴み損ね、その上体勢を崩してしまう。



 「お、おっと」



 転ぶことはなかったが、原因を求めて俺は振り返った。

 見ると、きつい表情をした三人の女子生徒が中心を前にして横に並んでいた。



 「おはよう橘」



 中心の一番きつそうな女子生徒が言った。

 恐らくこいつがぶつかったのだろうが、謝る素振りすら見せない。

 後ろの二人もそれを知っていて、こちらを見て嫌らしい笑みを浮かべていたが、相手にする程ではない。

 こういう輩は無視するに限ると、誠司も昔言っていた。


 それでも俺は「おはよう」と一言だけ言って、そそくさとその場を離れようとするが、三人がそれを許さなかった。



 「おい、待てよ」



 もう一度、中心の女子生徒が言う。

 名前はえーっと確か……そうだ、虎澤だ。特徴的な名前だから、記憶に残っている。

 そして、左のが鷹野。右が堀田。

 左から、鷹野、虎澤、堀田――――。

 それぞれが、赤、黄色、緑のヘアピンを付けている。


 よし、そうだ。

 クラスメイトのいつも誠司を見ているあの三人組だ。


 クラスメイトの名前を忘れていただなんて、失礼極まりない。

 三人には気が付かれないようにしないと。



 「――ねえ、聞いてるの?」


 「え?」



 鷹野さんの言葉にハッと我に返る。

 どうやら名前を思い出すことに必死で、話を聞き逃していたらしい。


 俺が何と言おうかと迷っていると、鷹野さんが呆れた様子で溜息を吐いた。



 「もう、しょうがないなあ。もう一回言うから、今度はちゃんと聞いててよ?」


 「は、はい」



 ご丁寧にもう一度言ってくれるらしい。

 本当は優しい人なのかもしれない。


 だが、次に聞いた言葉に、俺は思わず耳を疑った。

 


 「……え?」



 意味が分からなかった。

 何故そこで冷泉さんの名前が出て来るのか。


 そんな俺の疑問に答えるかのように今度は、堀田さんが言った。



 「……あの子ね。変な噂があるんだよ」


 「噂?」


 「そう、噂。学年中に広がってるんだから」



 そんなもの聞いたことがない。

 俺はオウム返しに聞いてしまう。


 次は中央で腕を組んでいた虎澤さんが答えた。



 「呪いよ」


 「のろ――はあ? 呪い?」



 あまりにも突拍子のない言葉に、俺も思わず言葉を強めてしまい、一瞬、虎澤さんがビクッと肩を震わせたが、すぐにも咳払いし、いつもの調子に戻った。



 「――そう、呪い。しかもマジもん」


 「マジ……もん」



 そう言われても、まるでピンとこない。

 俺は何度か冷泉さんと話しているが、どこも影響を受けていないし、おかしなところもない。

 何かの間違いではないか。俺はそう思った。


 だが――――。



 「嘘かと思うけどこれがマジでマジなんだよね。実際に、怪我をして入院した人だっているんだから」



 堀田が言う。次は鷹野が言った。



 「確か、三人は入院してるよ。しかも、三人とも冷泉さんに嫌がらせをしてたとか」



 それが本当なら、ただ事ではない。

 確認の為にも、本人に聞きたいところだが――――。



 「ちなみに、本人に聞いても無駄だ。本人だって良く分かっていないんだから」



 まるで俺の思考を呼んだかのようなタイミングで虎澤が言った。

 どうやら、本人に問い詰めたことがあるらしく、本人は何も知らないの一点張りだったそうな。

 

 というか、どうして三人はバラバラで話すんだ。一人がまとめていった方が楽だろうに。



 「じゃあ、なんで呪いだって分かるんだよ。ただの偶然かもしれないじゃん」


 「だって、実際に見たって人がいるもの」



 鷹野。



 「見たって……何を?」


 「呪いに決まってるだろ」



 虎澤。



 「どうやって」


 「直接! 入院した子の一人が言ってたの!」



 堀田。



 「そんなまさか! そんなのがあるワケないじゃん!」



 俺は言葉では否定するが、心の中で言いようのない不安がぐるぐると渦巻いていた。


 深夜の道で会った時。言っていた言葉。



 『この子達も一緒なの。誰にも必要とされてない……』

 『いなくなったって、誰も悲しんだりしない』



 その意味が今になって気になり始めて、俺は居ても立っても居られなくなった。


 鞄を引っ掴み、通学路を駆け出す。

 三人が止めるような声を上げるが、俺は耳を貸さなかった。


 そんな俺に堀田が大声で言う。



 「ねえー! 今の話忘れないでよー!」


 「うん! ありがとー、()()()さん!」


 「()()だよー!」



 意外とこの三人は見た目に反して、いい人達なのかもしれない。

 俺は新たな発見に喜びながら、冷泉さんの背中を探して、青い空の下、道を走り続けた。



…………



 あれから、俺は教室に駆け込み冷泉さんの姿を探したが、見つける事は叶わなかった。

 色々と何かを言ってくる誠司に無視を決め込みつつ、真子に冷泉さんの事を聞いたが、まだ教室には来ていないという。

 俺は教室で冷泉さんを待ったが、朝のホームルームが始まっても現れず、ついには一時限目が始まってしまった。

 

 一体どうしてしまったのだろう。

 俺はそれを考えながら、その一日の授業を終えるのであった。



…………



 結局、昼休みにも、放課後にも冷泉さんを探したが、全く影を掴むことすらできなかった。

 先生に聞いたところ、休みの連絡が来ていなかったらしく、心配をしていた。

 俺は先生に頼み込み、冷泉さんの家の住所を聞き出すと、お見舞いをするという体で家を目指すことにした。


 昨日に加えて、今朝の様子。

 何があったのかは分からないが、俺にも原因があるように思えた。

 あの捨て猫の件が彼女を苦しめているのだとしたら、俺が何とかしてあげないと。

 

 そう思ったのだが――――。



 「――すんごい雨降ってる……」


 先程までの快晴が嘘だったかのように轟轟と雨が降っていた。

 まさにバケツの水をひっくり返した、という表現が相応しい密度の雨で、一足踏み込めば、一瞬でびしょ濡れになるだろう。


 だが、ここで止まる俺ではない。

 こんな時の為にしっかりと用意をしてあるのだ。


 俺は自身の鞄を弄ると、そこで眠っていた折り畳み傘を取り出した。

 いつ鞄に入れたのかは、全くと言って覚えていないが、これでこの中を進むことができる。


 俺は意気揚々とカバーを外し、勢いよく傘を開いた。



 ――――が。


 「えええ……」


 ものの見事にボロボロであった。

 布地の部分が所々破れており、それを支えていた骨組みはあらぬ方向に曲がり、ぷらんぷらんと揺れている。


 どうして、こんなものが鞄に入っているのかと思い返してみると、かつて同じような雨の日に使用して壊れてしまい、それを捨てることすら面倒くさがった俺が元の状態に戻して、鞄の奥底にしまい込んだ。

 そして、それをまだ使えるものと最近の俺が勝手に思い込み、また同じように鞄の奥に押し込んでいたのだ。


 俺は過去の自分に向かって、文句を言いたい衝動に駆られる。

 しかし、それはもう後の祭り。


 今の俺はボロボロの傘を手に、玄関口で立ち尽くす他ないのであった。


 


 「――はぁ……」



 俺は深くため息を吐く。

 

 何だか、ここ最近上手くいっていない気がする。

 冷泉さんには何かしてしまったみたいだし、傘はボロボロだし、アームには殺されかけるし、助かったと思ったら、今度は同じ力を持つ変な女にボコボコにされるし……。


 これでは溜息を吐くな、という方が難しい。



 「――――はあぁぁぁ」



 俺は、もう一度深くため息を吐くのだった。


 

 だが、そんな小さくなってしまっていた俺の背中に声を掛ける奴がいた。

 振り向かなくたって、誰かはすぐに分かる。

 昔からずっと聞き続けている声なのだから、当然だ。


 

 「――――中々のいい傘だな。お前のか?」



 相変わらずの憎まれ口。

 いいだろう。俺も付き合ってやるよ。



 「ああ、そうなんだよ。家の奥深くで見つけたんだ」


 「へえ、そりゃあいい。運が良かったな」


 「そうだろ? でも、私だけで使うのも悪いし、誠司のと交換してあげようか? どう?」


 「いや、遠慮しておくよ」


 「どうして? 今なら無期限レンタル可能だぜ」


 「俺も、自分の傘に思い入れがあるからな。そう易々と人には渡せない」


 「……そうか、それなら仕方がないな」


 「ああ、しっかし残念だな。俺も傘を忘れるなんて間抜けな事をしていれば、使えたかもしれないのにな」


 「……その場合は、交換する傘がないから使えないぞ」


 「それじゃあ、永遠に使える日が来ないじゃないか!」


 「じゃあ、別の傘を持って来れば?」


 「ああ、その手があったか。やっぱり、そんな傘を持ってきている奴は違うな」


 「……」


 「どうした? 自身の凄さに感動して、言葉も出ないのか? ん?」


 「――――いつまでやるんだよ。いい加減に腹立ってきた」


 「奇遇だな。俺も飽きてきたところだ」


 「そうかそうか。私たちは息ぴったりだな!」


 「そうだな」



 そのまま二人で、『はっはっは!』と笑い合った。




 「はっはっは――――はぁ……雨どうしよう」



 しかし、そんなコントしたところで、この天気が良くなるわけではなかった。

 寧ろ、先程よりも激しくなっている気さえする。



 「傘はそれしかないのか?」



 隣に立った誠司が聞いてくる。



 「うん、今日が雨とは思ってなかったし。朝は晴れてたし……」


 「予報ではしっかり雨と言っていたがな」


 「私、テレビとかあんま見ないんだよね」



 主にアーム退治が忙しい所為で。

 今だって、体調不良に加えて、少し寝不足だ。



 「そうか、それは今時珍しい奴だな。だが、天気予報くらいは見ておいた方がいい。こうなるからな」


 「うん……。今凄く実感してる……」



 雨を前にして、為す術もなく立っていることしかできない。

 なんと情けのない事か。



 「というか、さっきから色々言ってるけど、誠司はちゃんと傘持ってんのかよ」


 「当然だ。ほら」


 「お、おお……」



 そう言って、誠司が俺に見せたのは、折りたたまれていない立派な黒い蝙蝠傘であった。

 俺は謎の敗北感に襲われる。



 「まあ、俺はお前とは違い、準備は怠らないからな」

 

 「さいですか……」



 俺はまた「はぁ」と溜息を吐く。

 もう何度目だろうか。

 このままこうしていれば、その回数はどんどんと更新していくことだろう。

 どうしたものか。



 「……」


 「……」



 二人で、ボーっと外を眺める。

 俺は仕方がないとしても、誠司は何をしているんだ?

 傘があるなら、早く帰ればいいものを。


 そして、傘を持たぬ俺はどうするべきか。

 このままボーっと待っていたとしても、雨が止む気配はない。

 冷泉さんが心配だし、ここはあの手で……。



 「よしっ!」



 俺は俯くのをやめ、決意するように頷いた。


 

 こういう時はあの方法しかあるまい。

 よく傘を忘れた時にやったものだ。


 俺は自身の鞄を頭の上に持ってくると、雨を睨みつける。

 そうして、深呼吸を行うと、一目散に駆け出した。



 「じゃあな誠司! お前も早く帰れよ――――ぐえぇ!」



 いや、駆け出そうとして、何かに阻まれてしまう。

 その何かは俺の服の後ろ襟を掴み、それによって首が閉まった俺の口からは、潰された蛙のような声が出て、自分でも驚いた。

 

 俺は咳き込みながらも、その人物に抗議した。



 「な、なにすんだよ誠司! すげぇ変な声出たじゃんか!」



 誠司は俺の抗議をものとせず、平然としていた。



 「いや、なに。馬鹿が馬鹿らしいことをしようとしていたからな」


 「馬鹿が馬鹿らしいことするなら、それでいいじゃねえか。……って、誰が馬鹿だこの野郎」


 「なんだ? こんな雨の中を傘もなしに突っ込んでいこうとする奴を、馬鹿じゃなくて、なんと呼べばいいんだ?」


 「ぐぬぬ、何も言い返せない……。じゃあ、お前が傘を貸してくれんのかよ?」


 「それは無理だな。そうしたら、今度は俺が濡れることになる」


 「だろ? なら、私が突っ込んでいくしかないってことだろ?」


 「何故そうなる。それしか考えられないのか?」

 

 「じゃあ、他に方法があるってんのかよ?」


 「……」


 「ないだろ?」


 「……」



 誠司が珍しく押し黙ってしまう。

 俺はその無言の空気に少し気圧されてしまうが、負け時に続けた。



 「……もういいか? 私は行くぞ。ちょっと用事が――」


 「――傘」


 「あ? だから持ってないって――」



 しつこく止めようとする誠司に戸惑いながらも、雨の中へと行こうとしたが、次の瞬間、誠司の口から発せられた言葉に俺は固まってしまった。



 「――――入ってくか?」


 「――――――――――――――――はあ?」


 

 何を言っているんだこいつは。

 変な事を言うものだから、一瞬思考が止まったぞ。



 「何言ってんだよ! ってか、そもそもお前は自転車だろ!」


 「言ってなかったか? 今日は体力づくりの為に、走ってきたんだ」


 「平然と嘘を吐くな! 思いっきし、今朝会っただろうが!」


 「やはり、馬鹿相手でもこの嘘はダメか」


 「おい、それは流石に人を馬鹿にし過ぎ――――クシュン!」



 俺の口からくしゃみが漏れる。

 俺は誤魔化すように鼻を啜るが、もう遅かった。



 「――――こんな奴を、こんな雨の中に放り出したりなんかしたら、俺の寝覚めが悪いからな。だから、入れって言うんだ」



 誠司が傘を指さし、無言の圧力を掛けて来る。


 『ぐぐ……じゃあ! 傘だけ寄越せ! 傘だけ残してお前は濡れて帰れ!』   

 

 ――――なんて言えるはずもなく。



 「ぐ、ぐ、ぐぬぬぬぬ…………」



 俺は唸ることしかできない。


 俺は心の中で考えた。


 いや、でも、それはつまり、そう言う事だぞ!

 どうなのよ、それ!

 一応、元男だぞ俺は!

 男同士だとか、気色が悪すぎる!

 いや、でも、今は女だし……。

 ん? そっちの方が不味いのか?

 どうなんだ?

 分からない! 全然分からない!

 だって、したことないし!

 初めてだし!

 でも、誠司が折角心配してくれたんだし……。

 それを無下にするのは心苦しいし…………。

 きっと、逃げようとしても、誠司の事だから無理矢理にも阻止してくるだろうし………………。

 いや、でも、いや、いや、でも、でも、でも――――――――――。










 






 「してしまった――――――」



 俺は一つ傘の下、大きく項垂れていた。



 「どうした? 気分でも悪いのか?」


 「うるせぇ! お前の所為だよ!」


 「近くで喚くな、煩いぞ」


 「そもそもお前がこんな『あ――」



 『それ』を口にしようとして、思わず躊躇われてしまう。



 「こんな『あ』?」


 「――二人で傘に入るなんて。私だって初めてだったのに」


 「そうか、初めては俺か」


 「やめろ、その言い方! 完全にセクハラ……クシュン! あー……」



 突然なくしゃみが俺の言葉を中断させる。

 鼻水がだらしなく垂れ、怒る気も失せてしまう。




 「ったく、お前はもう――。ほら、一回止まれ」


 

 そう言って誠司が、朝と同じようにズボンのポケットから、ハンカチを取り出してくる。



 「いいって! てか、出すならティッシュだせよ、ティッシュ!」


 「生憎、持ち合わせていなくてな。そもそもお前が持っておけよ。ほら」


 「それはそうなんだけど……。ああ! やめろって!」



  誠司は半ば無理矢理俺の手に傘を握らせると、俺の首根っこを掴み、ハンカチで鼻を拭いて来る。

 その力が強く、抵抗もままならない。



 「うあー、せ、せめて自分で拭かせて……。お願い……」



 俺は鼻声で言う。



 「ダメだ。また今朝みたいな事をされては困るからな」


 「ごめんて! もう思い切り鼻かんだりしないからさ、だからぁぁぁ……」



 抵抗は空しく、やがて、綺麗に拭きあがってしまう。

 誠司は俺の言葉を覚えていたのか、嫌に手付きが優しかった。




 「よし、これで完璧だ」



 誠司は満足気にそう言うと、ハンカチを丁寧に折り畳み、元の場所にしまった。



 「うああ……く、屈辱だ……」


 「一々大袈裟なんだよ、お前は」



 屈辱に唸る俺の気持ちを知らず、誠司は俺の手から傘を取り上げる。

 そうして、俺達はまた雨空の下を歩き出す。



 「だって! だってよ、男に鼻を拭かれるとか――」



 男として嫌だろ!



 「そうか? 別にいいと思うがな」


 「どうして、お前はそう言う事を言うんだ……」


 「――――?」



 不思議そうに顔をしかめる誠司。

 その顔にいつものふざけた様子はなく、本当に親切心でやっていることが分かってしまう。

 だから、それ以上の事は何も言えなかった。



 「いや、いいんだ……」



 お前はそのままでいてくれ……。




 「――ふふっ」



 不意に笑いを溢す誠司。

 俺は俯いていた顔を上げると、隣に立つ誠司の顔を見上げた。



 「な、なんだよ」


 「いや、やっぱり、よく似ているなと思ってな」


 「あん? 何が?」


 「お前のその雰囲気がな。似ているんだよ」


 「誰に?」


 「裕樹に」


 「――――っ!」



 俺は言葉を失った。

 そのまま誠司の顔を見ていられず、目を逸らして俯いてしまう。

 誠司は遠くを見る目をして、小さく呟いた。



 「裕樹もこんな風に騒いでばかりで、お馬鹿で、考えなしで――――」


 「お、おい……」



 悪いところばかりじゃないか。

 もしかして俺は誠司に……。



 「――でも、最高に良い奴だった」


 「――っ」



 その言葉に俺はもう何も言うことができなかった。

 景気を見つめる誠司の顔が本当に寂しげで、その表情をさせてしまっているのが自分で――。

 俺は二人乗りの自転車で風を受けた、あの夕暮れを思い出していた。



 「色んな事に一喜一憂して……。人の為に喜べて、人の為に悲しめる。そんな奴だった」


 「……」



 誠司がまるで自分の事を語るかのように、嬉しそうに、誇らしげに話しているのを見て、俺は堪らなく、胸が苦しくなった。

 今すぐ、俺が裕樹だと、ここにいると叫びたくて、俺は無意識に胸を押さえていた。



 「――だから、今回、お前が冷泉に構っているのも、そう言う事、なんだろ?」




 「――――っ!」



 初めて見る、優しく微笑んだ誠司の顔。

 こんな顔。男の時には見たことが無くて、俺はまた胸が苦しくなった。

 言いようのないモヤモヤが、俺の胸中を渦巻いている。

 俺はそれを誤魔化したくて、思わず声を張り上げてしまう。



 「そ、そうだよ悪いか!」


 「いいや、悪くない。寧ろ、いいと思うぜ」



 そう言って何かを懐かしむような、嬉しむような、そんな笑顔を見せる。



 「~~~~~~~!!」



 俺はその顔を直視していられなくて、顔を背けてしまう。

 俺は湧き上がる、言いようのない感情に一人苦しんだ。


 なんだよ、なんだよこれ!

 胸の中がモヤモヤするような、イライラするような。

 とにかく、気持ちが悪い! 

 なんだこれ!


 俺が苦し気に胸を押さえて俯いていると、誠司が心配そうに「どうした?」と声を掛けて来る。

 俺はそれすら、耐えられなくて――。




 「と、というか、お前! もっと寄れよ! 肩濡れてるだろ!」



 見ると、誠司は俺のスペースを広げるために、傘の外に肩を出していた。

 当然雨にぬれてしまっている。



 「やめろよ、そういうの。私に気を使うなって」


 「いや、気を使っていないし、俺肩広いし」


 「嘘が下手! 急にやっても気持ち悪いだろ?」


 「――え? 気持ち悪いのか、これ」


 「――え? そこは普通に傷つくの?」


 「……」


 「え、あ、その、ごめん……。引き続き、それ頼む……」


 「あ、ああ――――」

 

 「……」


 「……」



 暗い雰囲気で押し黙る誠司に、俺は罪悪感に襲われる。



 「――でも、本当に今日はどうしたんだよ。なんか変に優しいというか……」


 「別に、俺だって他人に気を遣う事もあるさ」


 「『俺だって』か……。自覚あったんだな」


 「まあ、優しいと言える方ではないよな」




 自嘲するように笑う誠司。

 それは見た俺は、さっきの仕返しをしてやろうと考えた。



 「――――そんな事ない」


 「――?」


 「誠司は優しい奴さ。私は良く知ってる」


 「なっ……て、転校生のお前が何を知っているんだ」



 驚いた様子の誠司。

 唐突な俺の態度の変化に戸惑い、視線を背けたのを俺は見逃さなかった。

 そのまま畳みかけるように続ける。



 「知ってるさ。ずっと見ていたからな」



 勿論、男の時に。

 だが、あえてそれっぽく言って見せた。



 「――――っ! 馬鹿を言うな」



 誠司が目を見開き、視線を泳がせる。

 傘の陰で分かりにくいが、頬が微かに赤く染まっている。

 普段からは考えられないその態度が、俺には堪らなく可笑しくて、ついつい口が動いてしまう。



 「なんだよ、照れてんのか?」


 「照れてない!」


 「照れてる」


 「だから! 照れてなどいない!」


 「そう言う事にしておいてやるよ」


 「だから――――!」


 「はいはい、分かってる分かってる」



 ムキなって声を張り上げようとする誠司。

 それを俺は落ち着いた様子でいなしてやれば、最高に気持ちがいい。



 「――――こ、こいつ……」



 傘を握る誠司の手が震える。

 それがまた可笑しくて、俺は笑い声を抑えることができなかった。



 「誠司、面白っ!」


 「うるさい!」


 「すーぐ、ムキになる」

 

 「――くっ、それはお前もだろ!」


 「そうだねー」

 

 「ぐっ……」



 俺が先程したように、今度は誠司が唸る番だった。

 

 誠司がこんな顔をするなんて、と俺は大声で笑った。

 ひーっひーっ! とお腹を抱える。


 親友のこのような新たな面を見ることができたのなら、女になったのも少しは悪くないかな、と俺は思った。

 胸のモヤモヤは相変わらずに、消えてはくれていなかったが、それでも幾分かは気分も晴れていた。


 

 「ふう、ふう、可笑しい……」



 苦し気に、それでも楽しくて俺は息を吐いた。


 こんな昔みたいな空気をまた誠司と味わえるなんて。

 そう思って、俺は堪らなく幸せな気持ちになった。



 「誠司!」


 「――なんだ」



 俺が名前を呼ぶと、誠司は未だに不満げな表情をしていた。

 俺はそんな誠司に向かって拳を突き出すと、顔が笑ってしまうのを抑えられずに言った。



 「――私達、親友だよな!」


 「――――っ!」



 誠司の顔が驚愕に染まる。

 俺からそんな言葉が出たことが、どれだけ驚きなのか。

 誠司はしばらくの間、表情を変えずに固まっていた。



 「おいおい、どうしたんだよ」



 拳を突き出したままに聞く。

 すると、誠司は我に返ったように首を軽く振ると、いつもの調子に戻った。



 「――ふっ、残念だが、俺の親友の枠はもう埋まっているんでな」



 その親友が誰か、聞かなくなって分かる。

 俺は嬉しかった。誠司はそう思ってくれていることに。



 「――そうだなっ! なら、仕方ないな!」



 だから、こうして拳に何も触れてこなくとも、俺はずっと笑っていられた。

 誠司の手は、しっかりと俺の心に届いていたのだから。



 「なっ……!?」



 俺の反応が予想外だったのであろう。

 驚いた様子で俺の方を見た。


 俺はそんな誠司に「いーっ!」と、小馬鹿にするように笑って見せた。


 誠司はまだ良く分かっていない様子だったが、それでも良かった。

 俺は女になった今でも、こうして誠司との友情を確認できたのだから。

 それが堪らなく、堪らなく嬉しかった。


 




 『おい、ご主人』



 だが、そんな俺に水を差すように、嫌な声が脳内で響いて。

 誠司に聞かれないように、俺も頭の中で答えた。



 『なんだよ、急に』



 無意識に、俺の声は不機嫌に染まってしまう。

 それでもそいつは意に介せず言った。



 『近いぞ、アームだ。しかも二体』


 『――なっ!』



 俺は驚きに目を見開く。


 まるで気が付いていなかった。

 確かに、意識すると二体分の嫌な気配を感じる。

 しかも、片方は――。



 『だらしないぞ』



 そいつが窘めるように言う。

 俺はその言葉が頭にきてしまう。



 「う、うるさいな。分かってるよ!」


 「……? 何がだ?」



 気が付くと、言葉に出てしまっていたらしい。

 誠司が不思議そうに俺を見ていた。

 俺は必死に誤魔化した。



 「いや……なんでも、なんでもないよ! それより――」



 俺は首を傾げる誠司に言わなければならない。

 楽しい時間を壊すその一言を。 

 迷ってはいられない。

 あんなの、放っておけないんだから。



 「――ごめん、誠司! 先に帰っててくれ!」


 「お、おい!」



 誠司の引き留める声を無視し、俺は雨の中を駆け出した。


 途端に、全身はずぶ濡れとなり、水を吸った服が重く肌に張り付いた。



 「くそっ!」



 俺は堪らなく悪態を吐いた。

 胸を渦巻くモヤモヤがまた顔を出していたからだ。

 辛い、苦しい。


 これを何かにぶつけなければ、耐えられないほどに――――。



…………



 閑静な住宅街を進み、曲がり角を曲がった先。

 昨日と同じ公園に――あの女が立っていた。


 全身で雨を受け、刀を握った腕をだらんと垂らしている。

 その雰囲気は冷たかった。


 こちらに気が付き、向けられた視線は、無だ。

 感情を感じさせず、がらんどうな瞳。


 俺はそれを見ていると、堪らなく腹が立ってきたのだ。



 「よお……また会ったな。昨日は世話んなったぜ」



 女は答えない。

 答える代わりに、蒼い刀を両手で構えた。



 「なんだよ、早速、やる気満々じゃねえか」



 俺はほぐすよう肩を回す。



 「まあ、俺も負けっぱなしてのは、性に合わないからな」 



 そうして、自身の胸に拳を叩きつけた。




 「行くぞ」


 『ああ』



 そいつが答える。

 これ以上の言葉は必要としない。

 ただ、力を込め、声高々に叫ぶのみ。



 「『メタモルフォーゼ(変身)ッ!』」


 

 俺達が叫ぶと同時に、刀の女は地面を蹴った。


 変身中の俺に目がけて、刀が振り下ろされる。

 それを俺は、未だに輝く腕で受け止めた。



 キンッという鉄を叩く音。


 

 だが、女は目を見開いた。

 光が消えた腕に傷はなく、振り下ろされた刃は、俺の腕の装甲でしっかりと受け止めれていたのだ。


 俺は女に向かって、不敵に笑ってみせる。


 やろうと思えば、意外とできるものだ。

 俺は先に腕だけを変身させると、刃をその腕で受け止めて見せたのだ。


 そうして、如何にも余裕であるように言って見せた。



 「おいおい、変身中に攻撃なんて、マナー違反じゃねえの?」



 女の表情が不快気に歪んだ。

 俺は逆に笑って見せる。


 俺は未だに蒸気が漏れている体を動かすと、女に向かって思い切りに拳を振りぬいた。



 ――――!



 拳に伝わる鈍い感覚。

 確かに、俺の拳は女の腹部に命中していた。



 「――――がはっ!」



 その時、初めて女の声を聞いた気がする。

 

 女は数メートル後ろに吹き飛ぶと、綺麗に受け身をとってみせた。

 その瞳は憎々し気に俺を見ている。


 俺は笑った。



 「やっと、その無表情な顔を素敵に変えられたな! これからが俺の本領発揮だ! 二度もやられて堪るか!」



 俺はそう叫び、赤い刃を取り出すと、それを構えて見せた。



 「ああ……やっと分かった」



 俺は一人そう呟く。



 『何がだ?』



 そいつが聞いてくるのを、俺は答えてやる。



 「モヤモヤの正体だよ。どうしてあんな気持ちになっていたか」


 『モヤモヤ?』


 「ああ!」



 今もこうして胸を支配する嫌な感覚。

 この正体を俺は分かっていなかったが、こうして刀女と対峙して、ようやく気が付くことができた。



 「負けたからだ! 一方的に、あの女にやられたからだ!」



 女に刃の切っ先を向ける。

 すると女も刀を構えた。



 「俺は今までこの力を使って負けたことがなかった。ピンチな時もあったけど、いつだって勝ちを掴んできた。それを! あの女が打ち壊した!」



 だから、それを忘れてしまいそうになっていた俺に、無意識に心が訴えかけていたのだ。

 忘れるな。お前は負けたんだ――って。



 「だから! 俺はお前を倒す! 倒して、この気持ちごと、お前のその態度をぶっ壊してやるっ!」


  

 

 俺はそう叫んで地面を蹴ると、同時に女も駆け出す。

 

 そうして、二人は雨の中、刃を交差させるのであった――――。



…………



 誠司は雨の中を走っていた。

 

 防ぎきれない滴が体に掛かり、飛び散った水が靴の中へと侵入してくる。

 どちらも堪らなく不快ではあったが、脚を止めるワケにはいかなかった。



 「――橘っ!」



 その名を叫ぶ。

 誠司の声は雨の音に呑まれてしまいすぐに消える。


 それでも誠司は構わずに叫び続けて。



 「橘っ! 橘っ! 橘っ!」



 しかし、いくら叫ぼうとも返事はなく、有紀の姿も見当たらない。



 「――くそっ、一体どうしたんだよ」



 誠司の胸は不安感で満たされていた。

 唐突に消えた有紀。

 それが、何故かかつての親友と重なってしまい、気が付いたら誠司も駆け出していたのだ。



 「橘っ!」



 何度も叫んだ。

 喉が枯れて、痛みが奔る。

 こんなに叫ぶのなんていつ以来だろうか。

 誠司はそう思いながら、叫ぶことは止めなかった。



 橘有紀。

 あいつは変な女だ。

 怒ったり、喜んだり。態度がコロコロと変わって。

 怒ったと思ったら、嬉しそうに「親友だろ」なんて言って笑って。

 それを不覚にも、俺は()()()()()思ってしまって――。




 誠司は住宅街を走る。

 そうして、その先の角を曲がり――それを見た。


 何処にでもあるような公園。

 そこに二人はいた。




 鉄が交錯する音。

 飛び散る水しぶき。

 漂う蒸気と冷気。

 

 駆ける二人の美しい女性。


 



 それを見た誠司の口から、自分でも思いがけない言葉が零れる。

 理由は分からない。

 それでも、思ってしまった。

 連想してしまったのだ。


 その名を――――。




 「―――橘?」




 誠司は一人、雨の中で立ち尽くしていた。

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