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三話 『もう一人』現れました!

 次に目を覚ました時、俺がいたのは白い空間だった。


 白い天井。白い壁。白いベッド。

 そして、俺の体に繋がれる様々な白い機材。


 ぼやけた意識の中、俺は状況を知ろうと視線を巡らせても、見覚えのあるものは、何一つ見つからない。

 分かったことと言えば、自分がベッドの上で横たわっているという事だけ。


 だが、そんな俺に話しかける者がいた。


 そいつは白衣を纏い、眼鏡を掛けていた。

 そいつは俺に近づくと、顔を覗き込み、粘つくような声で語りかけて来る。


 「やあ、目が覚めたかい」


 その声から、感情というものを微塵も感じない。

 どこか機械的で、まるで人間を真似て喋っているような。


 「突然の事で驚いてるかと思うけど。まず、一言、言わせてもらうか――」


 そいつの口が歪んでいく。

 先程までの雰囲気がまるで嘘かのように、楽しそうで、可笑しそうで――不気味だった。


 「おめでとう。新しい君の誕生だ!」





…………



 


 深夜の閑静な住宅街に、荒い息遣いが響く。

 

 道を外れた脇道。

 街頭の光の届かぬその場所で、俺は肩で息をしながら、槍の柄を両手で握り、怪物の体に深く突き立てていた。

 大粒に汗が頬を伝う。

 俺は槍を一気に引き抜くと、その刃の先には、球状の肉塊のようなものが突き刺さっていた。

 すると、それを残し、怪物の体は粒子となって空気に溶け込んでいった。


 俺はその様子を呆然と見送ると、槍先のそれを手で抜き取った。

 そうして、勢いよく胸へと押し込んだ。


 それが吸い込まれるようにして消え、俺の胸では咀嚼をする奇妙な感覚が、しばらくの間続くのであった。





 「……ふぅ」



 俺は暗い道を進みながら、小さくため息を吐いた。


 スマホの画面を見てみると、時間は既に午前二時を回っている。

 眠っていたところを無理やり叩き起こされ、こんな時間まで戦う事になるとは。正義の味方も楽ではないという事か。



 「――ん?」



 その時、俺の視界端に座り込む人影が映りこむ。

 こんな時間に何をと思ったが、自分もそうだと思い返し、その人物を見る。その人物は、俺にも見覚えがあった。



 「えと……冷泉さん、だっけ?」



 冷泉心美(れいぜん ここみ)

 今時珍しい大きな丸眼鏡を掛けた、小柄な女子だ。

 二年なってから同じクラスはであったが、あまり話した様な記憶はない。

 性格も大人しいもので、いつも教室で本を読んでいる姿を見かけていた。


 その冷泉さんは道の端でしゃがみ込み、何かをしている。  

 暗闇でその手元が隠れ、何をしているかまでは確認できない。


 俺は少々躊躇われたが、クラスメイト相手にそれも変だと思い、その背中に声を掛けた。



 「ねえ、何してるの?」



 声の掛け方を間違えたのか。冷泉さんは「ひえっ!」と悲鳴を上げて、尻餅をついた。



 「ご、ごめん」



 俺は謝る。

 冷泉さんは恐る恐ると言った様子で、こちらを振り返った。



 「え? あ、た、橘さん」



 幽霊とでも思ったか、冷泉さんは俺の顔を見ると、安心したかのように息を吐いた。



 「こんな時間に何してるの?」



 それは俺も同じことなのだが、もう一度、訊ねずにはいられなかった。

 ここはただの道の端、何かがあるようには思えなかった。


 俺の言葉に、冷泉さんは警戒した様子で、何かを考え込んでいた。


 俺は意図を理解できず、黙っていることしかできなかったが、やがて冷泉さんが口を開いた。



 「こ、これ」



 そう言って冷泉さんが指さしたのは、家の囲いと囲いの隙間、道と言うには細すぎる暗闇であった。

 見ると、一つの段ボールが置かれていて、中を覗き込むと、俺の口からは自然とため息が漏れた。



 「――わあ、か、可愛い……」



 そこにいたのは、二匹の子猫だった。

 誰かがここに捨てていったのだろう。

 段ボールの中には柔らかそうなシーツが敷かれていて、箱には『可愛がってください』という張り紙がされていた。



 「これ、冷泉さんが……?」



 俺は自然と思い浮かんだ疑問を口にする。


 すると、冷泉さんは必死になって、大きく首を横に振った。



 「ち、違う。私、じゃない……」


 「あ、ごめん。勘違いしちゃって」



 素直にそう言うと、冷泉さんも表情を変えずに、



 「べ、別にいい。気にしてない……」



 と、言った。


 俺はとりあえずに安堵すると、冷泉さんの隣にしゃがみ込むと、同じように子猫を眺めた。

 子猫は愛らしく鳴き、小さな肉球はどうしようもないほどに胸を刺激した。



 「う~ん、やっぱり、可愛いなあ。こんなに可愛い子達を捨てていくなんて……ゆ、ゆるせん」



 かと言って、俺が拾って帰るとは言えなかった。

 俺は住まわせてもらっている側な上、同居人がペットを許可してくれるかも怪しかった。


 そんな俺を察してか、冷泉さんは寂しげに呟いた。




 「この子達も一緒なの。誰にも必要とされてない……」


 「……え?」



 俺は思わず冷泉さんを見て、聞き返す。

 冷泉さんの横顔は寂し気で、すぐ隣にいるはずなのに、酷く遠いように感じた。



 「いなくなったって、誰も悲しんだりしない」



 冷泉さんは、自嘲するように微笑み、子猫の頭をそっと撫でた。

 

 俺も『そんなことはない』と否定したがったが、俺はあまりにも冷泉さんを知らなかった。


 俺が黙っているのを見ると、冷泉さんは急に立ち上がった。



 「あっ! ご、ごめん。変な事言って、キモかったよね……」


 「そんな――」


 「ごめんなさい! さ、さよなら!」



 そう言って、冷泉さんは駆け出し、夜の闇に消えていった。


 この場に、俺と子猫だけが取り残される。

 見ると、段ボールの傍には、冷泉さんが置いて行ったのであろう猫缶があった。


 俺は子猫と目を見合わせ、どうしたものかと考え込むのであった。



…………




 「ふああ……あづー」



 俺は椅子に座りながら大きく欠伸をすると、開いた窓の外を眺めた。

 外には綺麗な青空広がっていて、爽やかではあったが、風は全くと言っていいほどに吹いておらず、俺達は暑さにすっかりやられてしまっていた。


 斜め前の席に座る真子が椅子ごと体をこちらに向け、同じように文句を垂れた。



 「ホント暑い……。というか、どうしてうちの高校にはクーラーがないんだろ。これじゃ勉強どころじゃないよ……」


 「……誰か熱中症で倒れれば付けてくれるかも。なあ、真子。試しに倒れてみてくれよ」


 「ちょっと、やめてよ橘さん。冗談じゃなくて本当に倒れそうだから」


 「確かに。地球温暖化か何かは知らないけど、せめて、私が生きている間だけは抑えておいて欲しいよ」


 「なんか凄い事言ってる……」



 俺は手で仰いで風を起こそうとするが、焼け石に水。

 ぬるい風が頬を撫でるだけに、まるで意味がなかった。


 そんな俺達を、隣の席に座った誠司が見て笑った。




 「ふっ、だらしないなお前らは」


 「なんだよ誠司ー、お前は平気って言うのかよ」


 「そうとも。『心頭滅却すれば火もまた涼し』。つまりは、精神力の問題さ」


 「はえー……」



 そう言う誠司は、その言葉通り、ワイシャツのボタンをきっちりと閉め、涼し気な表情で文庫本を読んでいる。

 だが、そんな誠司も暑さには勝てないのか、額には汗が浮き出ていた。


 俺はそこをツッコんでやる気力もなく、だらしなく足を広げて、背もたれに寄りかかった。同時に襟を掴んで、パタパタと風を送り込んだ。


 それを真子が(たしな)める。



 「た、橘さん。それはちょっと隙だらけ過ぎるよぉ。色々と見えそうだし。周りには男子だっているんだから」



 そう言われ周りを見る。

 確かに何人かの視線を感じたが、俺は気にせずに続けた。



 「いいじゃねえかー……。見たけりゃ見せてやれば。減るもんじゃないし……」


 「えええ……。だけど……」



 真子が困った様子で、俺を見ていた。



 「ったく、下品な奴だ」



 誠司が文庫本に視線を向けたまま言った。



 「なんだよ誠司。お前も見たいのかよ」


 「そんな事は一言も言っていないだろ」


 「いいんだぜ恥ずかしがらなくても。誠司だって男だもんな。私も気持ちは良く分かるから、さ」


 「……」



 俺は「ホレホレー」と胸元を開いて見せるが、誠司は無反応だ。

 俺はその反応が面白くなくて、少しずつ大胆になっていく。


 普段はこのような事は絶対にしないのだが、どうやら自分が思っている以上に暑さでやられてしまっていたらしく、その恥も外聞もない行動はやがて加速していき、ついにはスカートにまで手を伸ばそうとしたところを、真子が腕を伸ばして止めてくれた。

 


 「んん、やっぱダメ!! はい、足閉じて! 胸元も閉める!」



 真子は俺の足を叩くと、席を移動し、俺の胸元のボタンを閉じ始めた。



 「ええー、暑いってー」


 「ダメです。そこら辺は、しっかりしないと」


 「お母さんかよー」


 「こんな男勝りの娘がいたら大変だね」


 「ママー」


 「はいはい……」



 暑さで二人とも、すっかり変なテンションだった。

 俺は真子に為すがままにされていたが、不意に思い当たった事を口にした。



 「そう言えば真子ー。その『橘さん』ての、やめろよなー」


 「えっ?」



 真子が驚いた様子で俺を見た。



 「だってよー。なんか他人行儀じゃんか。私は呼び捨てしてるのに」


 「そうだけどー」



 真子がもじもじと手を合わせる。



 「本当に……いいの?」


 「うむ」



 おずおずと聞いてくる真子に、俺は力強く頷いた。

 すると、真子は恥ずかしそうに俺の名を呼んだ。



 「じゃあ、『有紀ちゃん』。これで、いい?」


 「オッケー」



 俺がそう言うと、真子は嬉しそうに笑った。

 うむ。何とも愛い奴だ。




 「はあ、見ていられないな……」



 唐突に、誠司が文庫本を閉じながら言った。



 「なんだよ。ちょっと疎外感を感じたからって、一々突っかかってくんなよな」


 「そんなものは感じていない。見ていて暑苦しいんだよ」


 「それだけ、仲が良いってことだろ? 良いことじゃねえか」


 「見せられる側の身にもなれ」


 「ったく、誠司は相変わらずだな」


 「黙れ」


 「はいはい」


 「……」


 「……」



 一連の流れをすると、お互いに黙り込む。 

 それを見て、真子が言った。


 


 「そう言えば。ゆ、有紀ちゃんが誠司くんを呼び捨てにしても何も言わないね。――――何かあった?」




 「「別に」」



 二人の声がハモり、思わず俺達は見合ってしまう。

 その様子を、真子はニヤニヤとした目で眺めていた。



 「別に何もないよ。これが普通さ」


 「そうとも。俺がいくら呼ぶなと言っても、こいつは聞かないからな。こっちも馬鹿らしくなったのさ」


 「そうそう――――って、それじゃあ、私が馬鹿みたいじゃないか」


 「違うのか?」

 

 「こ、この野郎……」



 拳を握り、ワナワナと震わせる。

 真子はそれを見て、今度は可笑しそうに笑った。



 「本当に仲直りしたみたいだね。良かったー。あれの後、二人ともギスギスしてたから」



 真子の言うあれとは、口にも出したくない『あの件』についてだ。

 できれば、忘れていたままが良かったが、そうはいかないらしい。


 俺は至って気にしていない体で誠司に言う。



 「まあ、そうなるのか?」


 「……俺に聞くな」


 「こんな感じ」



 俺は大げさに呆れたジェスチャーをして見せて言った。



 「したってことだね」



 そう言って真子はクスクスと笑うが、俺は何だか恥ずかしくなった。



 「平和が一番だよ。うん」


 「……そうだね」



 俺は素直に頷いて言った。

 誠司も何も言わなかった。




 その時。

 背後から教室の扉が開く音した。


 俺はチラリと視線を向けると、冷泉さんが胸に鞄を抱え、少し俯きながらも足早に自分の席に向かっているところだった。


 俺は「ちょっとごめん」と二人に一度断ってから席を立ち、鞄を机の上に置いて、席に着こうとしていた冷泉さんに話しかけた。



 「おはよう、冷泉さん」

 


 すると、酷く驚いた様子で、冷泉さんは肩を大きく跳ね上がらせると、前と同じように恐る恐るとこちらを振り返った。長い前髪に隠れた瞳が落ち着きなく、左右に揺れているのが分かる。



 「おおお、おはようございます! た、橘さん!」


 「お、おう」



 冷泉さんは声を上ずらせながら、深々と頭を下げた。

 思わず俺も面食らってしまう。



 「き、昨日はその! えと、私……」


 「ど、どうしたんだよ。落ち着けって」


 「ご、ごめんなさい! その、ええと」



 冷泉さんの指が忙しなく前髪を弄っている。

 俺は冷泉さんの態度に困惑しながらも、何とか会話にしようとするが上手くはいかなかった。



 「いやさ、あの子猫の事なんだけど」


 「あ、はい!」



 冷泉さんは顔を真っ赤にしながら、やけに緊張した様子で頷いた。



 「あの子達さ、私の――――」


 「え、何ー。有紀ちゃん猫飼うの? 私も見たーい」



 そこまで言いかけて、変なところから反応が返って来て驚いた。

 見なくても誰か分かる。


 だが、もっと驚いたのは冷泉さんだった。

 冷泉さんは「ひうっ!!」と驚いた声を上げると、全身が震え始め、やがて、「ご、ごめんなさい!」と言って、教室を飛び出して行ってしまった。

 もうすぐでホームルームが始まるのだが、大丈夫だろうか。


 そう思いながら取り残される俺。


 背後では真子が唖然とした様子で、冷泉さんが出て行った教室の扉を見つめていた。

 


 そうして、外では青い空を雲が覆いはじめ、どこからか湿った香りが漂ってくるのであった。



…………



 心美は自室のベッドの上で枕を抱え、自己嫌悪に陥っていた。


 思い出しているのは有紀との会話。上手く会話することができず、しかも途中で逃げ出してしまった。

 それから、有紀が何度も話しかけようとしてくれたが、逃げてしまったことに対しての申し訳なさ、気まずさが勝ち、結局心美は家に帰るまで避け続けてしまった。



 (うう、また失敗しちゃった……。どうして私はもっと上手く人と話せないんだろう……)



 心美は枕に自身の顔を埋める。



 (せっかく、橘さんが話しかけてくれたのに……。変な奴って思われたよね)



 冷泉心美と言う少女は昔からこうであった。

 極度の人見知りとアガリ症が併発し、他人との会話すらままならない。

 故に、友人も少なかった。



 (はあ……こういう時は、あの子達の写真でも見よう……)



 そんな心美の最近の楽しみは、あの捨て猫たちの面倒を見ることだった。あい 

 あの猫を見つけたのは丁度一週間前。

 家に帰る途中で見つけたのだ。

 それ以来、定期的に餌を持って行っては、一人で戯れ、癒されていたのだ。

 本当は家に連れて帰りたいところではあったが、家では母親からペット禁止の誓約があり、叶わずにいた。

 また、一応インターネットで里親の募集を掛けてはいたが、心美のやり方が悪いのか、一向に来る気配がなかった。


 だがしかし、心美も負けてはいなかった。

 猫たちと接するの中で、ある種の母性、使命感などが生まれ、弱気な心美をその気にさせていた。


 心美は、スマホの画面に映された猫たちを見ながら、強く意志を固めていた。



 (やっぱり、可愛い……。うん、猫ちゃん達、私が責任を持って飼い主さんを見つけてあげるからね!)



 そう思いながら、心美はウトウトと微睡に身を任せていった。




 次に心美が目を覚ましたのは、窓を叩く水の音が激しくなってきた頃だった。

 

 心美はハッと目を覚まし、しばらくの間、ボーっと窓の外を眺めていたかと思うと、唐突に目を見開いた。



 (雨! 猫ちゃん達!!)



 捨て猫たちのいる場所に屋根はない。

 このままでは雨に打たれ、衰弱してしまうのは目に見えていた。


 心美は焦った様子で枕を放り投げると、スマホも持たずに部屋を飛び出した。


 怒られるのも構わず一段飛ばしで階段を下りきると、玄関に置いてある傘を掴んで雨の中を駆け出した。



 雨風を受け、水溜りを踏み抜き、必死の思いで目的地を目指した。

 だが、そこに猫たちの姿はなく、変わりに見知った顔が手を上げて待っていた。



 「よっ」



 赤い傘が似合う、快活そうな顔をした女性。

 以前もここで出会ったことのある彼女だ。



 「た、橘さん……」

 


 まだ会うには気まずさが抜けきっていなかったが、有紀はまるで気にした様子も見せずに笑っていた。



 「待ってたぜ。冷泉さんなら、きっとここに来るって思ってたからな」



 芝居がかった声で有紀が言う。

 自身の事を見透かされていたという事実に、心美は気恥ずかしさを覚えたが、なんとか気を持ち直し、率直な疑問を投げかけた。



 「あ、あの! 猫ちゃん達は……?」



 心美の質問に、有紀は待ってましたとばかりに、得意げな表情を浮かべた。

 それを見た心美の脳内に、嫌な予感が通り抜ける。


 だが、その予感は見事に命中してしまうのであった。



…………




 「猫ちゃん達は新しい飼い主さんに預かってもらっているよ」



 俺がそう言った時の、冷泉さんの表情が忘れられない。

 眼鏡の奥の瞳は驚愕に染まり、前髪で隠れていも、その顔が青ざめていることが分かった。


 俺はこの時、自分の早まった行動を酷く後悔した。


 突然の雨があったとは言え、一言は冷泉さんに相談すべきだったと今になって思う。

 彼女は大分可愛がっていた様子だったから、それを配慮すべきだったのだ。ちゃんとお別れもせずに、引き離してしまうなんて。

 俺は自身の浅はかさと、軽率さを呪った。



 「ご、ごめん! 一言言っておくべきだったよね? 俺が勝手に……」



 今となっては後の祭りだが、俺は必死になって謝った。

 だが、意外にも冷泉さんからは冷静な答えが返ってくる。



 「――い、いや、いいんです。私も探していたところでしたから。それにこの雨じゃ……」



 そう言って、かざした手が微かに震えているのを見て、俺は心が苦しくなった。



 「でも、凄いですよね。こんなに早く飼い主さんを見つけちゃうなんて。私は全然だったのに……」



 自嘲気味に笑う彼女は、さっきよりもずっと小さく見えて、思わず俺は手を伸ばしていた。



 「――いや、違うんだよ。丁度、知り合いに良い奴がいてさ」



 ハッとなって、手を引っ込める。

 自分が何をしたかったのか、分からなかった。



 「知り合い……ですか」


 「そうそう。凄い良い奴だから、安心してよ」


 「そう……ですか」



 心美はそれっきり俯いたまま、黙ってしまう。

 俺は何か言うべきかと、言葉を探していたが、相応しいものは見つからない。



 俺がそうこうしているうちに、新たな事態が訪れた。


 アームの気配だ。近い。

 

 俺は冷泉さんに「ごめん、ちょっと待ってて! すぐ戻ってくるから」と言って、雨の中を駆け出した。

 それでも、冷泉さんは俯いたままであった。





 

 住宅街の脇道を進み、小さな公園にまで来た。

 この雨だ。辺りに人の気配はなく、閑散としていた。


 だが、その気配だけは確実に感じられた。

 怪物の放つ、嫌な気配。


 俺は身構えると、胸をそっと触れた。



 「おい、どっちにいる?」



 そいつは答える。



 『雨の所為か、良くは分からないな。でも近くなのは間違いない。警戒しておけ』



 曖昧な答えに、思わずため息を吐きたくなった。

 だが、分からないのは俺も同じなので、素直に辺りを警戒した。


 

 雨の降る音だけが包む世界で、その時は、唐突に訪れた。


 それは雨を切り裂きながら、俺の背中を目がけて真っ直ぐに飛んでくる。

 それを寸前で察知した俺は、傘を放り出しながら、濡れた地面を転がった。

 冷たい感覚が不快であったが、それも直ぐに気にならなくなる。

 俺は受け身をとると、そいつの姿を見た。


 そいつの顔は、蛙だった。

 蛙の顔と体をして、二本の足でっている。名付けるならば、蛙人間と言うところか。

 口からは赤く、恐ろしいほどに長い舌が伸びていて、まるで意志を持っているかのようにゆらゆらと蠢いている。

 先程、俺を襲ったのも、恐らくはあの長い舌だろう。


 俺がそれを確認すると、まるで待っていたかのように、舌を俺に目がけて伸ばした。

 俺はもう一度転がり、避けて見せる。

 そうして、素早く受け身をとると、しゃがんだままの状態で声を高々にして叫んだ。




 「『メタモルフォーゼッ!!』」




 瞬間、俺の体から眩いばかりの閃光と、身を焦がすような高熱が発せられる。

 俺は光に包まれながら、ゆっくりと立ち上がると、同時に光は消え、俺の体からは蒸気が上がっていた。

 高熱を帯びた体は雨を蒸発させ、まるで俺の体を囲うようにして、その空間から雨が消えていた。


 

 俺は拳を構え、地面を蹴る。

 蛙型アームは、そんな俺を目がけて今一度舌を伸ばすが、俺はそれを上半身を逸らすことで回避し、逆に両手で掴んで見せた。

 舌を動かせず、蛙型アームはもがいていた。。

 俺は両手で思い切りに舌を引っ張ると、引き寄せられてきた蛙型アームの顔面を殴りつけた。


 

 吹き飛ぶ蛙型アーム。

 俺は間髪を入れずに、自身の胸から赤い刃を取り出すと、それを振り下ろした。


 

 綺麗な断面を残し、舌が切断される。

 苦し気に唸る蛙型アームの様子を尻目に、俺は胸に手を入れ、赤い槍を抜き出してみせる。

 

 そうして、濡れた地面を蹴ると、蛙型アームの胴体目がけ、深く突き刺した。



 それは、あっという間の出来事であった。



 蛙型アームは短い悲鳴を上げると、舌をだらんと垂らし、やがて動かなくなる。

 俺は槍を引き抜くと、その先には球状の肉塊は突き刺さっていた。

 全身で雨を受けながら、俺はそれをボーっと眺める。


 いつやっても、良い感覚とは思えない。

 寧ろ、回数をこなしていくごとに、機械的に作業的になっていく。


 俺は肉塊に手を伸ばし、それを引き抜こうとした。





 だが、その時。

 柔らかい何かが俺の首に巻きつき、思わず手から槍を取りこぼした。

 

 槍が地面に落ち、鉄を叩く高い音が響く。


 俺は自身の首に巻きつくものに触れながら、必死に背後を見た。

 そこには、今しがた倒したはずの蛙型アームが舌を伸ばしている姿があった。

 どうやら、二体いたらしい。

 すっかり油断していた自分に悪態をつくと、俺は自身の首に巻きついた舌を取り外そうと試みるが、舌の力は想像以上に強く、中々上手くいかない。


 そうこうしているうちに、首を絞めつけは強まっていき、俺の意識が徐々に薄まっていった。


 これではマズイ。

 俺はそう思い胸に手を伸ばすが、同時に蛙型アームが器用に舌を動かし、それによってバランスを崩した俺は背中から地面に倒れこんだ。


 強かに背中を打ち付け、水を叩く音が耳に届く。


 俺の首を絞める力は、なお一層強まり、俺は顔を真っ赤にしながら手を震わせた。

 脳への酸素供給量が減り、意識と共に思考さえもが薄まっていく。

 俺は必死に足をばたつかせながらもがくが、それを嘲笑うかのように、蛙型アームの込める力が増していく。




 「――――かはっ!」




 俺の口から大量の空気が漏れる。

 こうなると、とうとうヤバい段階に至る。



 『なんとかしろ。このままじゃ死ぬぞ』



 そいつは無責任言うが、こっちも必死だ。


 俺は近くに放り投げた刃が落ちているのを確認し、震える腕を伸ばした。

 そうして、なんとか届かせては見せたが、呼吸をしていない所為で手に力が入らない。

 掴んだチャンスもすぐさま取りこぼしてしまった。







 万事休す――――。


 そんな言葉が浮かんだ時であった。


 

 唐突に、体を引っ張る力が消え、首を絞める舌も急激に弱まった。

 俺は残った力を振り絞り、巻き付いていた舌を外し、放り投げると、四肢を投げ出し、酸素を求めて喘いだ。


 

 ぜはー、ぜはーという荒い呼吸音が頭の中で響く。



 俺はひとしきりに空気をむさぼると、真っ白だった思考も色づいていく。

 俺は仰向けの状態から、体を動かし、俯せの状態になると、腕をついて辺りを見渡した。


 始めに視界は言ったのは、バラバラに切断された蛙型アームだった。

 切断は綺麗なもので、相当鋭利なもので切られたことが分かる。

 しかも、切られた回数は二度や三度では収まらず、十回には及んでいるだろうか、それだけそいつの体は分解されてしまっていた。


 

 そうして、俺はその方向に視界を向けると、自身の目を疑いたくなった。



 まるで、この世のものではないかのような違和感を覚える。

 それがあまりにも周りから浮いていて、偶然に紛れ込んだ、そんな異物感を与えている。


 それは、ゆっくりと雨の中を歩いていた。

 だと言うのに、全くと言って濡れていない。

 雨から全身を守るように、何かが包み込んでいる。



 その正体は、すぐに解った。



 冷気だ。

 冷気がそいつの体を覆い、雨の滴が体に触れるよりも早く凍り付き、結晶となって地面に降り注いでいる。

 同時に、歩みを進める度、足が触れた地面が凍り付き、白い輝きが道筋を照らし出している。

 その二つが合わさる事で、まるでそいつの周りだけを、どこからか切りとってきたかのような違和感を抱かせるのだ。

 



 俺には、そいつが何なのか分かっていた。




 長く伸ばした蒼い髪が。

 シカのように美しい、白い脚が。

 全身から放たれる雰囲気が。

 そして何より、そいつから感じ取れる、俺と同じ匂いが――――。


 そいつが何者なのかと。


 強く、強く、強く――――表していた。 






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