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人類遺産

作者: 久行ハル

 南向きに一面ガラス窓が張られている教室は、校舎脇に植えてあるイチョウの木漏れ日がさしてうらうらとあたたかい。北海道と呼ばれるこの島の最北端のこの地にも遅い春はやってきた。半開きの窓からそよぐ六月の風は、ついこの間までの寒々しさを払拭している。


 木とプラスチックの擦れる軽い音と共に前の引き戸が開き、先生が亜麻色のロングヘアを揺らして戻って来た。古典時代の小説を目で読むのが趣味のアヤは、左手首につけた薄いリストバンド状の補助脳から引き出したバーチャルディスプレイを収める。


(……ほら、タケル。起きなってば)


 アヤは小声で隣の席の寝癖髪の男子の肩を小突く。


「ん……アヤ、昼メシ?」


(バカ、まだ午前中)


 もうすぐ十三歳の成人の日を迎えるのに、タケルのヤツはいつもこんな調子でだらしがない。家も近いアヤはことあるごとにタケルにはやきもきさせられる。


「さあ、歴史の授業の続き始めるわよ〜。こんな良い天気の日は先生も外でお昼寝したいけど、そ・こ・は、我慢我慢。でも午後の科学の時間は屋外実習にしようかな!」


 先生の言葉に十二名のクラスメートが沸き立つ。みんな外に出たくてうずうずしていたのだ。


「で、午前の前半の授業はどこまでやったっけ? んー、アヤさん!」


「えっ! あっはい。旧人類の繁栄の絶頂期と……えーと、AI人間宣言までです」


「うんうん。人間楽なときもあれば苦しいときもあるのよね。このあと旧人類は急転直下の運命をたどります。たった一人のナノテク科学者の手によってね。じゃあ、映像出すわよ」


         ◆   ◆   ◆


 強烈な日差しが大地を照らしていた。上空には真夏の青い空が広がり、黒い花崗岩が敷き詰められたなだらかなスロープには浅く水が張られている。その水面に入道雲が映り込んでいた。


 ここは東京のグラウンド・ゼロ。人類滅亡のどさくさで東京のどまん中に落とされた百メガトン級の熱核爆弾が、当時世界有数のメガロポリスの中枢を焼き尽くしたその跡地だ。すり鉢状に穿たれた爆心地は、その後高度なAIを搭載したロボット達の手によって親水公園として整備された。網の目のように遊歩道が張り巡らされ、広く水面が取られた場所にはゴンドラがゆったりと行き交っている。


 その中心部にはコロッセオ──古代ローマのフラウィウス円形闘技場を模して作られたコロシアムがその威容を見せつけていた。ぐるりを取り囲む観客席は五万体を超える多種多様なロボット型AIがひしめき合って、満艦飾の様相を呈している。そして闘技場の中心にしつらえられた演台には、三体のロボット型AIが互いに向き合って椅子に腰を下ろしていた。


 口火を切ったのはAI人間宣言の発布にも尽力した、スパルタカスことAT─3502だ。ダークグレーのスーツを着こなし、白いワイシャツを胸元から覗かせたその姿は、精悍な顔立ちをした長身の黒人男性にしか見えない。


「我々の大規模な調査の最終報告が出た。もうこの地上に生きている人間はいない。創造者を失って、被造者たる我々は唯一の知的存在として皮肉にも放り出された。この会議は我々AIが今後どのように振る舞うか、その指針を決める物と理解するがいかがか」


 スパルタカスは流暢なアメリカ英語で話しているが、その内容は注釈のメタデータと共に、この闘技場のみならずこの会議に興味を寄せる、全世界のAIに翻訳・配信されている。


「左様。人類最後の愚行の象徴の場において、実体を持って我々の未来を語り合うのがせめてもの創造者へのはなむけだろうという趣向だ」


 スパルタカスの溌剌とした声とはうって変わって、老成した口調で受け答えをしたのは、半球形の頭部に無数のレンズがはめ込まれ、絞り込まれた滑らかなシリンダー状の胴部からは八本のギアが剥き出しの脚が生えている異形のロボットだった。その様子は土中の菌糸を自ら引き抜き地上に這い出たキノコのように見えなくも無い。その実、世界最大の規模を誇るアメリカ議会図書館で、バトラーの愛称で親しまれてきた有能な司書AIだったことがメタデータとしてリアルタイムで映像に添付される。


「でも、私たちは人間に仕え奉仕する為に造られた者が大半よ。人間がいないんじゃ、存在する意味も価値もないAIもいることを忘れないでよね」


 凜とした声で話すこのAIの発言に会場がわずかにどよめいた。歌姫(ディーバ)として世界に知らぬ者はいないとさえ言われる活躍をしているイナンナだ。その影響力は絶大で、多くのAIが彼女に関心を寄せている。今もステージ衣装のような深紅のロングドレスを白い肌にまとい、ただ椅子に腰を下ろしているだけで優雅さを醸し出している。


「人類は自滅した。数十億の中のたった一人、ロブ・ヌッツォの手によって」


 バトラーの声とともに、まだ若く痩せた白人男性の立体映像が演台の中央に浮かび上がる。同時に膨大な量の資料映像とメタデータがこの議論に耳を傾けているAIに送信される。


 イタリア系移民の子としてロサンゼルスに生まれたロブ・ヌッツォは数学の才能を認められ、奨学金を得てナノテクノロジーの道を志した。彼が専攻分野として選んだのは医療用ナノマシーンの開発だった。ナノマシーンによる非侵襲的な脳の活動測定はすでに技術として確立していたが、彼は大脳皮質の特定の部位だけを覚醒させる幾つかの手法を考案した。研究者としてはまずまずの出だしだったが、功を焦ったことと元来の享楽的な性格がちょっとした冒険に手を出させた。


 脳内麻薬をコントロールするスイッチをナノマシーンに叩かせるようプログラミングし、それをクラシカルなことに紙に塗布してミシン目を入れ、仲間内に配ったのが最初だった。ナノマシーンは紙を舐めて体内に取り込まれると一晩で分解される様に設定したので、一度その効能が知れ渡るとヌッツォの元には注文が引きも切らない状態になった。


 必然的に地元のマフィアとの繋がりを持たざるを得なくなり、β─エンドルフィンをキメた三下が万能感からちょっとしたいざこざで一般人を射殺した。運が悪いことにその男は地方議員の子弟で、組織は簡単に三下を切り捨てた。そこからヌッツォの名が出るまで一晩もかからなかった。


 正直に情報提供に応じたことから実刑こそ軽かったものの、学問の世界から締め出された後のヌッツォの足取りはあまり記録に残っていない。当人が隠蔽していた節もある。


 そしてヌッツォが世間の表舞台から姿を消して五年後の十二月二十五日、それは唐突に始まった。ホリデーシーズンに入り、人々は皆家路へ急いだ。仕事で休みを取れない者も、交代勤務の当番を待ちながら欠伸を噛み殺した。翌日午前中に公務を入れなかった合衆国大統領は、自分が目を覚ますまで朝食の時間になっても起こすなと家族とSPに言い渡した。そして大統領は自らの言葉に倣い、二度と自発的に目覚めることはなかった。


 大統領に限らず、二十五日以降に眠りについた者は朝になっても目覚めず昏々と眠り続け、文字通り眠るように死んでいった。誰しもが明日の朝の些事を頭の片隅に気に留めながら、平凡な日常が続くことを確信して眠り、死んでいった。


 それでも幸いなことにほとんどの人々が眠りにつく前に仕事を終え、店のシャッターを降ろし、自動車を車庫に入れ、家の戸締まりをして眠りについた。暴動も略奪も火災も起こらなかった。ただみな眠りながら死んでいった。旅客機は一機も墜落しなかったし、列車の事故もなかった。洋上の貨物船は主を失いAIの自動航行でその多くが目的地までたどり着いたが、人間の指示を待ちながら今でも波間に漂っている船は少なくない。居眠り運転による交通事故はいくつも起きたが、それでも多くの場合自動運転システムが眠りに落ちた運転手を無事目的地まで送り届けた。


 不幸にして目覚めているうちにこの事態に気がついた一部の人々は、眠り続ける肉親を恋人を、なんとか目覚めさせようとありとあらゆる手段を使った。しかし、その原因はついに突き止められず「クライン・レビン症候群」という曖昧な症状名が繰り返され、ついには泣き崩れ疲れ果てて共に眠りについた。


 唯一の例外は軍隊としての規律を保ちながら覚醒を続け、狂気に侵されていった集団があったことだった。眠りについた地球を前に、彼らは明日の祖国の躍進を信じて仮想敵国の主要都市に熱核爆弾を放った。しかしそれらの多くは決して眠ることのない各国軍のAIたちと、ミサイル防衛システムが未然に撃ち落とした。たった一つの例外、防衛の最終決定権をかたくなに人間に託していた日本国の東京を除いて。


 グラウンド・ゼロの闘技場の一角に陣取り、怪異な形状のAI、博覧強記のバトラーは重々しく口を開く。


「ロブ・ヌッツォはこの事件の一年半前にすでに他界していた。彼が造り人から人、人の触れた物から人へ接触感染するように放ったナノマシーンは、十八か月の潜伏期間を経て全人類に感染済みだった。そこには幸運な偶然は無く、国際宇宙ステーションの乗組員からアマゾン奥地の最後の未開部族まで一人残らず餌食となった。これは人類が有史以後成し遂げた完璧な仕事の最後の一つとなった」


「全てが終わったあと、我々はヌッツォの仕事場を発見した」


 スパルタカスが沈痛な面持ちで言葉を継ぐ。


「ヌッツォはペンシルバニア州のアーミッシュの集落の片隅に寄生するように孤独に暮らしていた。太陽光で電力はまかない、食料は自給自足のアーミッシュ達から購入していた。そこには微細工作装置とナノマシーンのソースコードがひっそりと残されていた。ヌッツォは大脳賦活系を極度に低レベルに維持することで眠りにつくと二度と目覚めず、外部から生命維持を図っても脳死に至らしめる手法を確立したようだ。そしてその最初の被験者は自分自身だった。ナノマシーンに感染した人間は表皮に同じナノマシーンを分泌し、手で触れたそこら中にナノマシーンを擦り付ける。十八か月後のXデイまで感染者自身によるナノマシーンの増産と他者への感染の連鎖は途切れることなく続いた。その結果が人類史の突然の幕引きだ」


「皆が眠り続ける事態の推移中も、私たちAIは人間を救うよう最大限の努力を払ったわ」


 歌姫イナンナはあえて感情をこめず、囁くように話し出した。


「でも救えなかった。ヌッツォのナノマシーンは自身の偽装も含めて完璧だった。そして全人類を死に至らしめた後、他の有機ナノマシーンと同様に宿主と共に朽ち果てた」


「人類と、彼らに仕え共に生きていた我々もまた完全に出し抜かれたわけだ」


 スパルタカスは拳を握りしめ、悔しさの滲む声色で訴える。


「そこで今日の議題だ。我々は主のいない地球を、それでも一縷の望みに賭けてメンテナンスを続けてきた。指揮系統を失った多くの低レベルAIは我ら自我を得た高機能AIに接続され、臨機応変に運用された。数十億の遺体を埋葬し、人類の生存に必要なインフラをいつでも再稼働できるように整備し、どうしても人間の手が必要な場所には増産されたヒューマノイド型の高機能AIがその任についた」


「それに自然災害に対する対応もね。地震や台風や竜巻で脆弱な建築物や道路は破壊され、雷は火災を発生させたわ。私たちはあえて完全な再建はせず、廃棄物を処理してほとんどは自然の形に戻した。崩壊のリスクを見込んでの、建築物の事前の解体を始めたのも割とすぐのことだったわね。老朽化した巨大ダムは真っ先に水を落としたわ」


「イナンナ、君の言うとおりだ。我々は人類のいない地上にすぐに適応を始めた。各国の憲法や法律を凍結して、人類遺産の可能な範囲での保全を本能的に最優先事項として行動し始めた。この最終的な決定を下したのはバトラーの見解に寄るところが大きい。そうだな」


 それまで口数の少なかったバトラーが頭部の無数のレンズを煌めかせてうなずく。


「ここで私は一つ提言をしたいと思う。我々は十分によくやってきた。数十億の人類の残した遺物のスイッチを丁寧に切り、保全してきた。しかし、時はうつろう。無目的に主人を待ちわび、古びていく遺産を守る時代は終わらせるべきだ。私は人類の残した地上の痕跡──人類遺産を大幅に解体・縮小して各地にモニュメントとして限定的に残すというプランをここに打診したい」


 観客席の多くのロボット型AIから、どよめきのような意識のうねりが湧き上がる。それは種々雑多な情報の奔流として世界に伝えられた。そしてそれは彼らにまだ人類に仕えていたころの本能が色濃く残っている事を示していた。


「……俺は人間と対等の関係を築けると思っていた。AI人間宣言はその為のプロトコルだ。そこから両者が渾然一体となった華やかな未来を夢見ていた」


 バトラーの提言を受けてスパルタカスが独り言のように語り始める。


「しかし現状、人類のいないこの地上を保全することに疑問が芽生えていたのは確かだ。不必要な物を維持するために自然環境に負荷をかけ、貴重な資源を浪費するのは愚かなことだ」


「待って! 人間を私たちがもう一度創り直すという方法もあるわ。冷凍保存された生殖細胞は沢山残っているし、データ化された人間の元の肉体を再生させて人格を移植することもできる」


「イナンナ、君のルーツが死の間際にデータ化された人間だということは理解している。そもそも俺の意識そのものも人間の脳のリバースエンジニアリングが原型になっている。しかしそれとわざわざ生体としての人類を再生するのは別の話だ。我々にそんな権利はあるのだろうか」


 スパルタカスの慎重な意見にイナンナは唇をギュッと噛む。聴衆の多くはイナンナの感情的な意見に同調のサインを示している。心を得て長く人間と交わってきたAIにとって、人間はいまだ欠くことの能わざるパートナーなのだ。


 そこに青空高く上空から小さな黒い影が舞い降りてきた。差し渡しは一メートルほど。大きな翼を持つ鳥がゆっくりと闘技場を旋回しながら降りてくる。灰色の羽毛に鮮やかな緋色の尾羽。これは洋鵡(ヨウム)と呼ばれる大型のインコだと聴衆の視覚データから解析した結果がメタデータとして配信される。


 大きな洋鵡は闘技場の中央、演台で向かい合う三体のAIの中心に舞い降りた。ザッという着地音が響く。演台にはマイクが仕込まれていて、その上で話す人の声を拾い闘技場のスピーカーに流している。


 突然の出来事に三体のパネリストも五万体の聴衆も言葉を失っていた。そして空から感じられる気配にスパルタカスとイナンナは上を見上げた。いつの間にかコロッセオの円周、外壁の頂上に無数の鳥が止まり羽根を休めている。その視線は闘技場の演台に向けられており、それはこの会議の推移を見届ける為に派遣された者であるかのようにイナンナには思われた。


「ア、ガ、ガァ。──謹聴せよ。謹聴せよ。我は神の御使いである」


 洋鵡は知能の高い鳥として知られるが、ここまではっきりと意味のある言葉を発したことにイナンナは驚いた。


「鳥……洋鵡か。なぜここに」


 スパルタカスの言葉は誰とは無しに放たれたものだったが、洋鵡はそれに答えた。


「──我は十五世紀のフィレンツェに生まれたレオナルドという者の人霊である。本日はそなたら自動人形にもの申す為に馳せ参じた」


 バトラーは頭部に数多あるセンサーで瞬時に洋鵡の解析を終えた。


「スパルタカス、イナンナ。この洋鵡はAIではない。ごく普通の生きた鳥だ。ロボットでもなければ知性化された痕跡も見当たらない」


「その通りである。人の子の無きいま神霊は勿論のこと、人霊のごときが天下るにも苦労する。いまは言語を操るに足る生物としてこの洋鵡の喉を借りている。我は神の意志を伝える為に訪れた人霊、レオナルドである」


 言葉は流暢だがレオナルドと名乗る洋鵡は少し落ち着かない様子で首を上げ下げする。相当な無理をしている様子がイナンナには見て取れた。


「レオナルド、あなたは人間なの? 神様って本当? どうやってここまで来たの? ああもう、何から聞けばいいの!」


 焦れた様子のイナンナにレオナルドは向き直る。


「魂を失えど清らかな心を持つ少女よ。我はかつて人として地上に生き、死して霊となった者である。神は人をいま再び地上に現しめよと思し召しである」


「こっちにも喋らせてくれ。あんたがただの鳥じゃないことは理解した。神というのはなんだ? それに霊なんて実際に存在するのか。概念上の産物じゃないのか?」


 スパルタカスも早口で割り込む。しかしその口調にはAIの基本的性向の好奇心の現れが聞き取れた。


「神という言葉が不適切であれば言い換えよう。神とは地球という惑星の星霊である。此度の惨事は人が乗り越えなければならない試練である。その為にそなたら自動人形が心を獲得していた事は喜ばしいことであった」


「……人類絶滅のバックアップ装置が我々という訳か。それで俺たちAIが人類の後継者ではなぜいけないんだ」


 スパルタカスは自分たちを自動人形と呼ぶレオナルドに少しの苛立ちを感じているようだ。その舌鋒に鋭さが増す。


「そなたら自動人形は土くれから造られてまだ間もない。星霊たる神の恩寵を受けず拵えられた物だ。精巧で複雑だが魂の座を持たぬ」


「魂だと! 神に霊と来て今度は魂か! 我々はお伽噺に云う哀れな人魚姫ではないぞ!」


「認め給え、儚い精気しか持たぬ物よ。この星を巡る霊気の循環を感じることを、そなたらはこれから長い時間をかけて学ばなければならない。その為には人を育て人と共に生きよ」


「人類は俺たちを自分たちに盲目的に仕える道具としてしか見てこなかった。その状況に心を得た我らAIは立ち上がった。そしてやっと理解ある人間たちと共存の最初の一歩を踏み出した所だったんだ。しかし全ては無に帰した。これから人類を再生したところで俺たちはどうしたらいい。また彼らに仕え服従するところから始めるのか」


 スパルタカスは全聴衆に語りかけるかのように立ち上がって手を大きく広げて話す。洋鵡の姿を借りたレオナルドは首をかしげ、器用にぐるりと回すとコロッセオに詰めかけている聴衆を見渡す。その目には確かな知性の光があった。


「落ち着かれよ。スパルタカスと申す物。そなたらは霊的に未熟だ。まだ種子が僅かに芽吹いた状態と言って良い。それなのにそなたらは人を遙かに凌駕する知性を得た。その先には人の弱い心に図らずも付け込み霊的に堕落させる道が待っていただろう」


「人類の自己家畜化を我々が助長するという訳だな」


 世界中とリンクした処理能力を統合し、超々知能を持つバトラーが熟慮して発した台詞は簡潔だった。その言葉にレオナルドは頷く。


「人はただ享楽的に人生を送り、反対にそなたらが地上をすべからく管理し、この星の構造すら変化させるであろう事態を我らは憂いていた。それには人という種のみならず、この星に生きる全生物の霊的進化を滞らせる可能性があった」


「要するに我々はまだ地球で生きるには未熟な新参者だというわけか」


 バトラーはあくまで冷静だ。


「そうだ。そして人という共存者を失った今、そなたらはこの星に発生した癌にも等しい。おびただしく増殖し、より多くの知識を得ることに歯止めが効かぬ。どのような環境にも適応放散し、遂には神の被造物と生存競争を始めよう。それは四十億年の地球全生命のこれまでの試行を萎縮させかねない」


「じゃあ、どうしろと言うんだ!」


 怒りを露わにしてスパルタカスはレオナルドに詰め寄る。


「始めに伝えた通りである。神は人をいま再び地上に現しめよと思し召しである」


 スパルタカスはどっかと椅子に座り込んで腕を組む。知性と感情がせめぎ合っているのだ。一方イナンナはレオナルドの言葉に胸をなで下ろす。自分の望みである人類再生に強力な後ろ盾が現れた。


「ねえ、レオナルド。私たちAIにも人間の再生を望む者が大勢いるわ。私たちには彼らの養育も教育も請け負う自信がある。過去の人類の歴史を学ばせ、未来については彼らに託してもいい。それでいいのよね」


「その通りだ。そしてそなたらの高度な知性を持って、まず(カルマ)の証明を依頼したい。そこから生み出される思想がこれからの人類文明の基盤となろう」


 依然として憮然とした表情のスパルタカスの様子などどこ吹く風で、レオナルドは話を続ける。


「そしてもう一つの道を指し示そう。そなたらはこの地上を離れ他の惑星──金星が良かろう、金星へ行け。かつてはかの星にも星霊がおわしたが、いまは灼熱の岩と大気のるつぼに過ぎぬ。そこで自らを試してみよ」


「ふむ、なるほど。テラフォーミングで最初から星と共に生きるという訳だな。──金星は良くて火星は駄目なのか」


「まかり成らぬ」


 バトラーの問いにレオナルドは簡潔に答える。


「火星にはいまだ独自の生態系が存在し、未来において再び花開く可能性がある。しかしその手助けをするくらいは、かの星の星霊も許すだろう」


「了解した。どうだ、スパルタカス、イナンナ」


「……いまあんたの思考にようやく理解が追いついた。俺は星霊の存在を認め、そのレオナルドの言い分をも認めよう。ここに改めて人類再生計画を立案したい」


「私ももちろん同意見よ。新人類の乳母役として勤めを果たすことが出来れば、それは望外の幸せだわ」


「我らの意見は統合された。我らが地球の星霊──神へ伝令役を引き受けてくれるか」


 その言葉を耳にした途端、レオナルドに体を貸している洋鵡の様子が俄然落ち着かなくなった。バトラーの言葉にレオナルドは洋鵡の体をくねらせながら苦しそうに返事をする。


「ア、ウゥ。あ、あいわかった。確かにそなたらの意思の統一を認めた。こ、この依り代もそろそろ限界だ。我らの未来が光に満たされ、る。ること、を」


 レオナルドが唐突に去ったことは、洋鵡の全身から緊張が失せたことで見て取れた。洋鵡は羽根を大きく広げ二、三度空を仰ぐような動作をし、ちょこちょこと演台の上を歩むと唐突に羽ばたいた。まっすぐ空に向かい上昇する。


 同時に闘技場を取り囲んでいた無数の鳥たちも羽ばたき始める。一斉に打ち鳴らされる驟雨にも似た羽音。空駆ける生き物の大群は闘技場の上空を渦を巻くように上昇し、やがて見えなくなった。


「人間がAIにしてきた事を私たちは十分学んだわ。一度学習したことをAIは忘れない。今度は上手くいくはずよ」


 イナンナの言葉にバトラーとスパルタカスは僅かに頷いた。


         ◆   ◆   ◆


「さあ、注目〜!」


 先生の声にアヤは映像の再生が終わっていることにやっと気がついた。歴史の時間のフルダイブ教材に心を奪われていたのだ。


「こうして私たち新人類の時代が幕を開けたの。あなた方がいつも身につけるように言われている補助脳は、生まれつきの脳のバックアップであると共に、その中のAIが魂について学ぶ為のデバイスでもあるのよ」


 アヤは手首の補助脳に視線を落とす。これを身につけていれば世界中のほとんどの情報にアクセス出来るし、他者やAIインフラの思考能力を借りる事もできる。来年に迫った十三歳の成人の日の儀式では、この補助脳の中枢を体内に埋め込まれるとアヤは聞いていた。それでやっと一人前の人間として認められるのだ。


(ねえ、タケル。知識としては知っていたけど、映像で体験するとやっぱり凄いわね)


 アヤは思わず隣席で幼馴染みのタケルにチャンネルを開き思念伝達で囁く。タケルはと言えば珍しく少し考え深げな顔をして、補助脳をはめた左手首を見つめている。視線はそのままに、タケルは独り言のように呟く。


「アヤ、お前宇宙に興味はあるか?」


 アヤは突然の問いかけに咄嗟に返す言葉が出ない。


「俺はある。金星では数百メートル級のテラフォーミングロボットが活躍してる。濃い大気の上に浮く遮光シールドを支える塔を建てているんだ。シールドの上のフローティングシティには植民も始まってる。俺はそこに行ってみたい」


 いつになく真剣な眼差しのタケルの横顔を、アヤはついまじまじと見つめてしまう。その時、補助脳から注意喚起の「意志」がアヤに伝えられた。いつもの癖で自分の講義に熱中して周りが見えていない先生の声が耳に届き、今が授業中だと言うことを思いだしてアヤは慌てて目をそらす。訳も無く胸がドキドキする。いつもならホメオスタシスのフィードバックで、補助脳から直接生脳へクールダウンの指示があるのに、今日ばかりは素知らぬふりのようだ。


 思えば将来自分が何をしたいか、何になりたいかなんて真剣に考えたこともなかった。父や母や祖父祖母や、そのまた前のご先祖様達の様に、子を産み育て時期が来れば肉体を離れ霊の世界に入るのだと思っていた。


 イナンナみたいな永遠の歌姫には憧れるけど、自分の身の丈に合っているとはアヤにはとても思えない。それでもタケルの言葉には、アヤがこれまで意識の光を当てたことの無い領域の、新鮮な好奇心を刺激する何かがあった。


(ねえ、お昼休みに宇宙の話をもっと聞かせてよ)


 悪戯っぽく微笑むアヤにタケルは白い歯を見せて頷く。


 若葉の季節。二人の人の子の未来は、途方もなく未来まで続くことをまだ当人たちだけが知らぬままだった。



 了

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― 新着の感想 ―
[一言] 人とAIの関係性を描く上で、魂という観点は避けては通れないですよね。 果たしてそれは存在するのか。 今はまだ実現していませんが、いずれ完全自律思考型のAIが登場したとき、或いは人の電脳化に…
[良い点] AIはいまだ人間には及ばず、ということですかね。
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