第八夜 間者
『ずどぉん!』
山に鉄砲の音が響いた。また仲間が一匹、やられたらしい。
あの憎い猟師、平太の奴は、冬の初めになるとあたしたち狐の仲間を狩りに来る。
冬はあたしたちは皆、冬毛になるから。それが欲しいんだ。毛皮は高く売れるから。
その夜、あたしたちは集まった。狐は群れないけれど、山ごとに元締めはいる。
「皆のもの、集まったか。……今日は何匹やられた?」
「三匹です。……一本松の紺六と、けやき谷の紺八、紺乃夫婦」
「……そうか。……この冬になってもう十匹じゃのう」
あたしたちは話し合った。どうしたらいいか。
人間に復讐するという過激派から、この山から引っ越すという穏健派まで、様々な意見が出た。
元締めであるあたしの父は、復讐は更なる人間の報復を呼ぶから駄目だと諭した。
また、引っ越すと言っても今は冬、とても無理だと結論づけた。ならどうするか、一同は父に詰め寄る。
「……人間の元に間者を置くのじゃ」
父が言った。
「女狐が人間に化け、あの平太の家に潜り込むのじゃ。そして平太の狩りの邪魔をすればよい」
「なるほど、さすが元締めだ」
みんな賛成した。では誰がその役を?
「千鳥、お前がいけ」
父はあたしに白羽の矢を立てた。
「言い出したのは儂じゃ。娘であるそなたがこの役を果たせ」
父の言いつけには逆らえない。あたしは大勢の仲間に見送られ、平太の家へ向かう。
雪が降ってきた。好都合。あたしは旅の娘に化ける。そして戸を叩いた。
「誰だね」
顔を覗かせた平太はあたしを見てびっくりする。それはそうだろう。こんな冬に旅をしている娘は珍しいだろうから。
「旅の者です。雪に降られて難儀しております。どうぞ今宵一夜の宿をお願い致します」
そう言ってうまく潜り込む事に成功。平太は火を熾したり、雑炊を作ってくれたりといろいろしてくれた。
ふん、人間の女には甘いのよね。
ふと気が付くと、奥の方に誰かが横になっている。そちらに目をやると、
「ああ、気にせんでくれ。お袋が病で寝てるのさ」
「それはいけません、病人を、ましてやあなたさまのお母様ではありませんか、もっと火のそばにお連れしなくては」
そう言って、母親を囲炉裏の傍に引き寄せる。これも人間の心に付け入る手さ。
「おまえ様、名は?」
「ちどり……と申します」
「ちどりさんか。この先雪はもっと深くなる。どこまで行くのか知れんが、大丈夫か?」
「北に……母の里があると聞いています。もう身寄りは誰もおりませぬが、せめてそこまで行ってみようかと……」
「にしても春までは無理だ。お前さんさえ良かったら、何も出来んがここで春まで待ったらいい」
やった! 向こうからここにいろ、と言わせた。あたしも大したものね。
「ありがとうございます……」
あたしは手を付いて礼を言って、その申し出を受けた。
翌日から、あたしは平太の家に住み込み、家事を手伝った。やることは沢山ある。
掃除、洗濯、繕い物。
藁打ち、藁ない、藁靴作り。
あたしは一所懸命働いた。
そして平太の鉄砲を見て……身震いした。そんなあたしに平太は、
「はは、鉄砲が怖いか。大丈夫、いまは弾が入っていないから。……それでも怖いか。まあな、殺生するための道具だからな」
そして続けて、
「俺も、生きるためとはいえ、随分殺生をしてきた。狐を何十頭も撃ち殺したもんさ。……お袋の病さえ治ってくれれば、もう殺生なんかしたくねえんだが……」
良いことを聞いた。平太の母親、その病気が治れば平太はもうあたしたちの仲間を狩ることはしなくなる。そうあたしは考えた。
平太の母親の様子を見る。あたしの診たところでは、これは胸の病。栄養を付けてあげないと治らない。
そうか、それで平太はお金が欲しかったのか……。
「お母様には栄養のある物を食べて頂かないといけません」
「じゃあ、野兎でも捕ってくるか」
そう言って平太は鉄砲を担いで雪の山へ出かけ、夕方には三羽の野兎を捕ってきた。
兎ならあたしも好物だ。思わず舌なめずりしそうになるのをこらえて、
「……かわいそう……」
と、心にもない事を言ってみる。
「ちどりさん、生きるためには仕方のないことなんだ、とはいえ俺は死んだら畜生道に堕ちるだろうな」
そう言って寂しそうに微笑んだ平太の横顔が何故か心に残った。
兎を煮て母親に食べさせる。それだけじゃ駄目なので、あたしは山へ入って百合根を採ってきた。
二人とも雪の山で百合根を採ってきたあたしを見て驚いていた。ちょっとやりすぎたかな……。
そんな毎日が過ぎていった。雪が降り、雪が積もり、さすがに山に猟には行けなくなった。あたしはほっとした。
雪がやみ、雪が凍り、……そして雪が融ける春がやってきた。
平太の母親は大分加減が良くなってきた。あたしは山へ行って、出たばかりの山菜を摘んでくる。
山うど、わらび、ととき。みずな、あけびの芽、はじかみ。
狐姿に戻って、山芋も掘ってきた。
山が緑で覆われる頃、平太の母親はすっかりよくなっていた。
これで平太はもう狩りはしないだろう。あたしの役目も終わり。 そう思った日。平太が思いがけないことを言い出した。
「ちどりさん、俺の嫁になっちゃくれんか?」
……あたしを? ……あたしが? ……平太の? ……嫁に? ……
あたしは絶句した。
「……そりゃあこんな山家暮らしで、何にもしてはやれねえが、精一杯大事にするよ。おまえ様が嫌ならもう鉄砲は捨てる。な、ちどりさん……」
あたしが平太のお嫁になったら、もう平太は鉄砲を撃たないの?
……あたしは……承知した。仲間のためだもん。
平太はもちろん、母親も喜んでくれた。その夜、一つの杯でお酒を二人で分け合って飲んで、それがあたしたちの祝言だった。
それから、あたしと平太は働いた。わずかな斜面を切り開き、畑を作る。山の湧き水を、竹をつないだ筒を通して引いてくる。
その水を使って家の前に溜池を作り、岩魚や山女魚を釣ってきて放しておく。
生活は豊かではなかったけど、楽しかった。充実していた。あっという間に夏が過ぎ、秋になっていた。
秋が深まった頃、あたしはあけびの蔓で細工物を作ってみた。
かごやざる。それを平太が町まで売りに行く。そして必ず何かを買って帰ってくる。簪だったり、櫛だったり。あたしは幸せだった。
そんなある日、平太はあけび細工を持って町へ行き、あたしは山の畑をたがやしていた。
そこに狐が現れた。父だった。
「御苦労じゃったな、千鳥。平太も猟を止めたようで、結構なことだ。そろそろ帰ってきて良いぞ」
帰る? ……そうか、あたしは狐だったんだ……。
平太の家へ行ったのは仲間のためで、嫁になったのは鉄砲を止めさせるためで……。
「さあ、もう化けんでもよい。苦労かけたな、帰ろう」
あたし、あたしは…………。
その夜、帰ってきた平太は、あたしがいないことに気が付くだろう。そして捜し回るに違いない。
でもあたしはもう平太の所には帰れない。あたしは狐。平太は人間。
狐と人間は所詮一緒にはいられない。これが一番いいんだ……。
あたしは父と並んで山道を歩いていった。もちろん狐の姿で。
枯れ草がざわめき、木の梢が風に鳴る。木枯らしが身に染みる。
あたしは足を止めた。
「どうした?千鳥」
平太の家は暖かかった。平太のおっ母さんは優しかった。平太の腕の中は安らげた……。
その温もりが胸によみがえった時、あたしは身を翻していた。
「千鳥!」
父が後ろで叫んでいた。あたしは一声、こーんと鳴くと、後を振り返ることなく走り続けた。
あの、暖かなあたしたちの家へ向かって。
お読みいただきありがとうございます。
次の更新は20日(土)くらいです。
あと2話で十夜完結です。