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狐十夜  作者: 秋ぎつね
7/10

第七夜 お稲荷様

「お稲荷様、どうか商売が上手くいきますように」

「お稲荷様、お父っつあんの怪我が良くなりますように」

「お稲荷様、綺麗な嫁っこが来ますように」

 

 今日も人間たちがお参りをしていく。

 僅かなお賽銭と引き替えに、身勝手な願いをして。


 ここは花のお江戸の明神下、その片隅にある小さな稲荷神社。近所の住民がお参りにやってくる。

 馬鹿みたい。このお社にはお稲荷様はおろか、そのお使いだっていやしないのに。

 あたし? あたしはただの狐。『野狐やこ』っていうんだ。文字どおり野良に生きてる狐さ。

 神通力だってありゃしない。狐火を出せることと化けることくらい。そんなこと、ちょっと年を経た狐ならみんなできる。

 この江戸に数多ある稲荷社に祀られてるお稲荷様はもっといろいろな術が使えるんだ。

 病気を治したり、悪い憑き物を落としたり。でもそんなこと、あたしにはできゃしない。


 だけれどそんなあたしとしては、この神社に住んでよかった。お賽銭以外にもお供えを持ってくる人間がいるから。

 いなり寿司や油揚げ。願いが叶った時には小豆飯。

 あたしが生まれ育った山の中では食べられなかった御馳走。人間っていいもの食べてるね。

 おかげでこんな町中だけど、あたしは結構呑気に暮らしている。

 鼠だっているしね。まあ鼠は猫の奴と取り合いをする時もあるけれどさ。


 ん、今日もあの娘がやってきた。あたしは姿を見られないようにお社の縁の下に掘った穴に姿を隠す。

 その娘はいつも通り油揚げを一枚供えて、

 がらんがらん、紐を引いて鐘を鳴らして、

 ぱんぱん、と柏手を打って、

 無言でお辞儀をして、立ち去って行く。

 でもあたしにはあの娘が何を祈っているのかわかってる。そのくらいの力はある。

 あの娘は、『今日も一日無事に過ごせますように』、って祈ってるんだ。

 分相応、っていうのかな、生きてるものならみんなが願う、あたりまえのこと。

 そうさ、一日無事に過ごす、それだって難しいんだ。

 あの娘は毎日を懸命に生きている。あたしたちとおんなじだ。だから好きだった。



 

 ……あの娘がお参りに来なくなって四日が経った。なんとなく寂しい。気に掛かる。

 娘の家はわかってる。神社の裏の長屋、奥から二番目。母親と二人暮らし。

 夜を待って、あたりが真っ暗になってからあたしは住処を出て娘の家へ向かった。

 美味しそうに太った鼠が前を横切ったけど、今は構ってる気にならなかった。

 娘の家の裏手に回って、そっと聞き耳を立てる。娘の声がした。

「おっ母さん、大丈夫? なにか欲しいものない?」

 母親が病気のようだ。だから看病に忙しくてお参りに来なかったのか。

「駄目よ、少しでも食べておかないと。さ、食べて」

 匂いからすると雑炊のよう。気配で、娘が母親に食べさせようとしているのがわかる。

 彼女の母親は、口に運ばれた雑炊をやっと一口二口、口にしたようだった。その後で、

「……もういいよ、お前がお食べ。……お前がどうにかなっちゃうだろう? ……」

「おっ母さん……」

「……」


 娘とその母親は互いに雑炊を譲り合っているようだ。だが、母親は気配からすると、かなり衰弱しているみたい。

 おそらく医者に診せる金もないのだろう。可哀想に。

 あたしは何か娘にしてやりたくなった。あたしにできること……。

 そうだ、弱った身体に力を付けるものを持ってきてやろう。

 あたしは闇の中に走り出した。西へと向かう。

「弱った身体に精を付けるなら野蒜のびる浅葱あさつきにら。熱を下げるなら葛根かっこんあたり」

 走りながら考える。

「他に山芋や蜂蜜なども病人にはいいだろうね」

 人に紛れて暮らしているうちに身に付けた知識が役に立つ。

 甲州街道と人間が名付けた道を、あたしは矢のように走っていく。

 夜が明ける頃、生まれた山に着いた。ここなら勝手はわかっている。

 まず人間に化けた。人間の手という奴は採集には都合がいい。

 近所の家から適当な袋を掠めてきて、採った薬草を入れていく。葱の臭いで鼻が曲がりそうだが我慢我慢。次いで葛の根。これは狐姿で掘った方が早い。

 同様に山芋も掘り取る。半日で葛の根十本、山芋三本を集めた。その時に運良く地蜂の巣も見つけたので、少々いただいてくる。

 あとは急いで娘の家へ帰ることだ。袋を背負うとあたしは狐の姿に戻って、来た道を駆け戻った。

 しかし来る時は夜だったけど今は昼間、袋を背負って走るあたしの姿はよく目立ってしまう。かといって人間姿では今日中に帰れない……。

 運を天に任せ、あたしは狐姿で駆け続けた。

 日が傾き、あたりが薄暗くなった頃、高田馬場に差し掛かった。その時。


 だあん!


 あたしの足に激痛が走った。火で焼かれるような傷み。同時に聞こえた音、鉄砲で撃たれたのだ。

 油断した。もうすぐ内藤新宿という安心感からつい油断してしまった……。

 右の後ろ足が動かない。傷みで意識が朦朧とする。

 若い頃はさんざん鶏やうずらを人間から掠め取っていたあたし、いつかこんな日が来るかも知れないとは思っていた。

 でもよりによって今でなくてもいいじゃないか……。

 火縄の臭い。猟師がすぐそこであたしに鉄砲の狙いを付けているのが見える。今にもそれが火を噴いてあたしの命を奪うだろう。

 せめてこの薬草をあの娘に届けたかった。あたしは力を振り絞って狐火を出す。

 猟師の目の前でちらちらさせ、目くらまし。猟師がまごついている間にあたしは動かない右後足を引きずって草むらに隠れた。

 犬はいないようだったからひとまず安心。近くの溝に生えていた血止め草を採ってきて傷に当てる。程なく血は止まったけれど、足が全然動かない。

 残った三本足であたしはよろよろと歩き出す。今度猟師に見つかったら最期。だから草むらから草むらへ、木の陰から木の陰へ、用心しいしい。

 やがて完全に夜になったので、あたしはようやく警戒を解いた。街道を歩き出す。

 走れないから時間が掛かったが、夜中にはなんとか娘の家へ辿り着いた。

 人間に化け、家の戸をそっと開ける。もう寝ているようだ。

 土間に採ってきた薬草や山芋や蜂の巣を置くと、あたしはまたそっと戸を閉めた。

 急に身体が重くなった。

 やることはやった、そう思った瞬間に緊張の糸が切れたみたい。

 あたしはほとんど這いずって自分の住処に戻った……。

 

 まる二日、あたしは死んだように眠った。疲れていたんだ。

 目を覚ましたのは三日目の昼。傷の痛みと空腹で目が覚めた。

 右後ろ足はやっぱり動かない。骨を砕かれたみたい。

 あたしは三本足でそっと外へ出てみる。人の気配はない。でも神社にお供え物があった。油揚げが一枚。

 食べてみてわかった。あの娘のお供え物だ。きっとおっ母さん、よくなったんだ。

 あたしはそう思うと、幸せな気持ちになった。

 水を少し飲んでまた穴に戻る。目を閉じると、不思議と足の痛みも気にならずに眠ることができた。

 

「お稲荷様、どうか金が儲かりますように」

「お稲荷様、爺さまの病が良くなりますように」

「お稲荷様、気立ての良い嫁っこが見つかりますように」

 

 人間たちは今日も勝手な願いをしていく。

 でもその中にあの娘の姿がある。娘は今日も油揚げを一枚供えてお参りしていく。

 そのお参りがちょっと変わった。

「お稲荷様、おっ母さんを助けてくださってありがとうございました」

 あたしは苦笑いをしながらそれを聞いている。

 あたしはお稲荷さんじゃないけど、こんなことくらいならできるんだ。

 大好きな娘の笑顔を守れたことで、あたしは幸せだった。

 足もようやく治ったし、気が向いたら人間たちの願いの一つくらい、簡単な物なら、だけど……

 きいてみてやろうかな。

 お読みいただきありがとうございます。

 明日1月14日も更新します。

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