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狐十夜  作者: 秋ぎつね
2/10

第二夜 吹雪

山岳ミステリー風?

 俺はプロの山岳カメラマン。とはいえまだ駆け出しだから、助手なんてものを持つことは出来ない。全部自前でやっている。

 今回の撮影山行はN県。厳冬期のH岳の写真を撮りに行ったのだ。天気に恵まれ、納得のいく写真が撮れた。


 上機嫌で雪の林道を下っていると、不意に目の前に狐が現れた。お腹が大きい。

 この季節、狐は繁殖期に入る。

 俺は食べずに済んだ非常食の中から、ソーセージを出すと狐にむかって放ってやった。

 狐はふんふんとにおいを嗅いでいたが、ぱくっとかぶりつくと身を翻し茂みに消えていった。

 本当は野生動物に餌をやるのは厳禁なんだが、時と場合によりけりだろう。

 今年は大雪で、2月終わりの今では例年の倍以上積もっているところもあり、森の動物たちは餌を見つけるだけで一苦労だろうから。

 この異常気象が人間の所為だとしたら、ちょっとくらい手助けをしても罰は当たるまい。

 俺はそんな勝手な理屈を考えながら林道を下っていった。

 

 3月。まだまだ降雪があり、珍しい写真が撮れそうなので、俺は再びN県にやってきた。

 Y岳肩の小屋の冬季小屋に篭もる事1週間、モルゲンロート、ブリザード、霧氷、ダイアモンドダスト、ブロッケン……

 様々な山の表情を写す事が出来た。

 さすがに食料も乏しくなってきたので下山することにする。

 生憎と寒気でラジオの電池が切れてしまい、気象情報を聞くことが出来なくなったが、空を見る限り大きな崩れはないだろう。

 そう判断して下山を始めた。


 それが誤りであった。

 いわゆる疑似好天。朝の青空は日本海の低気圧により一時的に冬型が崩れたためらしい。

 好天に誘われて欲を出し、M岳をまわったのが災いした。

 T原に至る前に、猛吹雪が襲ってきたのだ。

 凍った鎖場をなんとか下り、雪に埋もれた梯子を下りた頃、あたりには夕闇が迫っていた。

(まずいな...)

 T原は目印が少なく、方向を間違えると崖から落ちることにもなりかねない。

 かといって、この吹雪の中、ビバーク(非常露営)するには装備が足りない。

(落ち着かなくては)

 自分に言い聞かせ、可能な限り客観的な判断を下すべく心を落ち着かせる。

 そしてこの時点でベストだと思う方策を実行することにした。

 

 まず荷物、食料、コンロなどの生活必需品以外……サブカメラ、未使用のフィルム、三脚、電池の切れたラジオ、ゴミ……

 それらを、後日取りに来ることとして、目印の大ケルンの下の雪に埋める。防水ポリ袋に入れてあるから大丈夫だろう。

 荷の重さは半分以下になった。これでかなり歩行が楽になる。


 しかしあたりはもう真っ暗。コンパスを見ながら一歩一歩歩くが遅々としてはかどらない。

 しかしここで道を外したらそれこそ遭難してしまう。

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながらゆっくりと歩いていった。

 新雪に足を取られる。その拍子に、手にしていたコンパスを落としてしまった。

(しまった!)

 慌てて探すが、パウダースノーの中。しかももう真っ暗。ヘッドランプの光だけでは見つけようがない。

 俺は、あとはカンを頼りに歩くことにした。

 カンとはいえ、風向きで大体の方角はわかる、そう思っていた。

 風が雪を舞い上げ、視界を閉ざす。寒さが足の指、手の指の感覚を奪っていく。

 それでも歩き続けなくてはならない。

 Y沢に出会えば、沢沿いに下り、B平の避難小屋に逃げ込める。

 そのルートを外さないように、俺は慎重に歩いていった。

 

 いつしか雪は止んだが、風は益々強くなる。吹きだまりに嵌り、躓いた拍子に帽子が飛ばされてしまった。

 いよいよ寒さが身に染みてくる。

(へたすると凍死だな...)

 そんな思いが頭をよぎるが、俺はまだ歩き続けていた。

 もうT原が終わってもいい頃だと思うのだが、尽きる気配がない。

(まさか、方向を誤ったか...?)

 風向きに騙されて誤った方向に歩いていたとしたら。

 もはや正しい道に戻る術はない。足跡など付けるそばから風が消してしまい、俺は自分がどこにいるのか最早わからなくなってしまった。

 

 突風に押し倒される。顔が雪に埋もれて冷たい。

 このまま眠りたい、そう思った時だった。

(ぺろ)

 俺の頬を何か生温かいものが触った。

 目を上げる。何もいない。

 だが、数メートル先の闇の中に、光るものが二つ、並んでいた。

 それが動物の目だということに気が付くのに数秒を要した。

 その動物は俺をじっと見つめている。

 俺は立ち上がった。

 するとその動物はすたすたと数メートル歩いていき、立ち止まってこちらを振り返る。

 まるで道案内をするかのようだ。

 俺は、このままではどうせ凍死するだけ、動物が歩いていける道なら自分も歩けるだろう、とその動物に付いていくことにした。

 

 動物は少し行っては立ち止まり、また少し行っては立ち止まりしている。

 無言でそれに付いていく俺。

 いつしか風が弱くなり始め、沢に入ったことがわかる。傾斜が増し、下りになった。

 間違いない、Y沢だ。俺は気力を奮い起こして歩き続けた。

 Sガレを過ぎると風は更に弱くなる。代わって寒気が身体を締め付けるようになった。

 闇の中、動物の光る目だけを頼りに歩いていた俺の前に、大きな黒いものが立ちはだかっていた。

 B平の避難小屋だ。間違いない。俺は手探りで扉を探し当てると、転がるように中に入り込んだ。

 

 中は無人かと思いきや、先客がいた。

 単独行の女性らしい。驚いた顔で俺を見つめていた。

「おどかして済みません。吹雪で道がわからなくなり、ようやく辿り着いたんです」

 強張った口でようやくそう言うと、その女性は黙って俺にマグカップを差し出した。

 中は熱い紅茶だった。

「ありがとう...」

 そう言うと俺は少しずつその紅茶を胃に流し込む。身体の中から温められ、少し元気が出て来た。

 荷物の中からコンロと鍋を出し、残ったアルファ米と味噌で雑炊を作ろうとすると、

「……」

 女性が手振りで、俺にじっとしていろと言い、替わって炊事をしてくれ始めた。

 俺は有難くその好意を受け、荷物から乾いた服とシュラフを取り出し、休む準備をした。

 じきに雑炊が出来上がり、腹に収めると眠くなってきた。

 女性も休む支度を始めたので、礼を言って俺もシュラフに潜り込んだ。

 あっというまに俺は眠りに落ちていった……。

 

 目が覚めると、窓の隙間から光が差し込んでいた。

 外を見ると、雲はあるものの雪は止み、風も収まっているようだ。

 今回の冬型は長くは続かなかったようである。

 部屋を見わたすともう女性はいなかった。早々に出発したのだろうか。

 俺は湯を湧かし、非常食のチョコをかじりながら最後の餅を焼いて食べた。

 あとはこのまま下ってA川に出ればいい。もう心配はなかった。

 小屋の外に出る。ふと、昨日の動物は何だったのか、と思って辺りを見回す。

 小さな足跡。ほぼ一直線に並んだそれは狐である。

 それよりも気になったことがあった。

 俺の前に出発したであろう女性の足跡がない。あるのは狐の足跡ばかり。それも沢山付いている。

 おかしなことにその一つは小屋から外に向かう方向に付いていた。

(まさかな……)

 昨夜の女性が狐だった、などという馬鹿げた考えを振り捨てるように頭を振って小屋に戻りかけたその時。

 扉の横に何か置いてあった。

 うっすら積もった雪を払いのけてみれば、昨日自分がT原に置いてきたはずの荷物である。

(いったい誰が……)

 どう考えてもそんなことの出来る人間がいるとは思えない。

(本当に……狐が……?)

 そう思って周りを見直すと、大きな足跡に混じって小さな足跡。子狐だろう。

(まあ……どっちでもいいか)

 俺は、余った非常食からビーフジャーキーを出すと、そっと雪の上に置いた。

 

 荷物を担ぎ直して歩き出す。

 樹林帯を抜けてA川に出、川沿いに歩けば午前中にKトンネルを抜ける。抜ければそこにはS温泉。

 ゆっくりしてこよう。

 そんなことを考え考え歩いていく。

 雪の上に置かれたビーフジャーキーは、夫婦らしい2頭の狐とその子供だろう3匹の子狐が仲よく分け合って食べていた。

お読みいただきありがとうございます。

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